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其の三百五十七 隧道
しおりを挟む揃って切り倒された夫婦松の幹に腰かけて、藤士郎はうつらうつら。
決闘を終えたのち、紅夜佗の骸を埋めて墓標代わりに野太刀を突き立てたところで、夜明けを迎えるも、そこで限界がきた。肉体の疲労よりも、いつにないかけ引きにて精神が擦り減っていた。
勝ったという喜びはない。
運よく策がはまり勝ちを拾えただけ……。
藤士郎は徹底して刃を交えることを避けた。打ち合ったらまず勝ち目がなかったからだ。場所が味方した。自由に動ける広さと二本の松、もしも一本であったならばどうなっていたことかわからない。藤士郎の首ごと、二本をまとめて斬ろうとしたがゆえに、紅夜佗は止まれなかった。
天才……いや、鬼才というべきか。
純粋に剣の腕だけを比べたら、とてもかなわない。
じつに恐るべき相手であった。
紅夜佗の死に顔は笑っていた。
それを目にしたら、とても骸を打ち捨てていく気にはなれなかった。
人が近づいてくる気配がする。
藤士郎は瞼を開けた。
やってきたのは長七郎と銅鑼であった。
「ご無事でしたか、九坂殿」
「戻って来んから、てっきり斬られたのかとおもったぞ、藤士郎」
「お生憎様、どうにか生きてるよ。でも疲れたぁ」
やや憔悴している藤士郎に長七郎が「これを」と差し出したのは竹皮の包み、中には握り飯が入っている。
ちょうど腹が減っていたので、藤士郎はありがたく頂戴することにした。
藤士郎が握り飯を頬張っているのを横目に、長七郎は夫婦松の断面の滑らかさに目を白黒とさせている。
銅鑼が脇にちょこんと座り「どうだった?」と訊ねれば、藤士郎は「強かった」とだけ答えた。
◇
おもいのほかに藤士郎の消耗が激しかったので、疲れをとるために昼頃まで休息をとった一行。
いざ、重い腰をあげて先へと進む。
あとは山一つ越えれば目的地の嘉谷藩に到着する。
待ち合わせ場所に指定されているのは藩内の瑞雲寺(ずいうんじ)にて、そこは嘉谷家の菩提寺である。
そこへ長七郎を送り届ければ、藤士郎はお役御免となる。
藩境の山には隧道(すいどう)が通されており、険しい山道を通る必要はない。女子どもでも楽に通れると茶屋の老婆も言っていた。
だがしかし、奇妙なことに藤士郎の足取りは重かった。
仮眠をして、腹も満たしたことで、気力体力はすでに回復している。
なのに歩みが鈍い。紅夜佗との決闘へと赴く際とは雲泥の差だ。それこそ本当に泥田んぼの中を進んでいるかのよう。ねっとりとした空気がやたらとまとわりついてくる。そんな感覚が隧道が近づいてくるほどに、強くなっていく。
そのことに藤士郎は内心で戸惑っていた。
もたもたしている藤士郎の態度に、長七郎は首を傾げ、銅鑼は直接「なにをちんたら歩いてやがる。そんな調子じゃあ、向こうに着く頃には陽が暮れちまうぞ」と文句を言う。
「いや、その……なんだろう。ものすごく厭な感じなんだよね。どうにも気が重いというか。う~ん、これが世にいうところの、虫の知らせというのかなぁ」
自分でもよくわからない藤士郎は、ただ感じたままを答えるしかない。
それでも一行は足を止めることはなく、やがて隧道の入り口へと差しかかったのだが――
山の斜面を掘り進め、真っ直ぐに通されている隧道。
ぽっかり開いている入り口、中は真っ暗にて、奥よりひんやりした冷気が流れてくる。
よくよく目を凝らしてじっと見てみれば、ずーっと奥の方に小さな光がある。おそらくはあれが出口なのだろう。関所はここを抜けた先、嘉谷藩側にのみ設けられているという。
入り口を前にして、いっこうに中に入ろうとしない一行。
隧道の奥から静々と流れくる風に混じって、ほんのり薫るのは甘く優しい蝋梅(ろうばい)にも似た香り。
藤士郎にはその匂いに覚えがあり、はっとした。
それは竜尾岳での戦いのおりに、刺客もろとも川へ転げ落ちた藤士郎を、助けてくれたであろう女人の残り香と同じもの。
長七郎には匂いや一帯に漂う妖気がわからないらしく、突然の足踏みに困惑するばかり。
銅鑼はいろいろ嗅ぎ取ったらしく「うわぁ」
へちゃむくれの顔をいっそうくしゃくしゃにして、心底厭そう。
「こいつはきつい。藤士郎……おまえ、とんでもない女に目をつけられたな。つきたての餅のようにねとねとと。道成寺の蛇淫も真っ青な執着っぷりだ。
気をつけろよ。この手の輩は生きてても面倒だが、死んでからも厄介だぞ。よほどうまいことやらないと、ほぼ確実に障るぞ」
妄執と情念は、死して裏返り怨讐に成りやすい。可愛さあまってなんとやらだ。
人の身にありながら、すでに妖の域に片足を突っ込んでいると、銅鑼はいう。
どれほどの業を重ねれば、生きながらにそんな風になれるのかはわからないけれど、どちらにしろ尋常ならざる相手である。
藤士郎は「銅鑼と長七郎はここで待っていておくれ」と告げ、ひとり隧道へと足を踏み入れた。
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