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其の三百五十六 夫婦松の決闘 後編
しおりを挟む雄々しい枝ぶりの松が夫で、すぐ隣にまるで寄り添うようにして生えている、やや小ぶりな方が妻に見立てての夫婦松。
それを挟んで対峙する美貌の刺客と狐侍――
無言のまま、ふたりは静かに見つめ合う。
どちらからともなく刀に手をかけたところで、紅夜佗がずいと前へと出る。
すると狐侍も同じく前に出るかとおもいきや、逆に後ろに下がった。
これを紅夜佗は訝しむ。
両者の扱う得物、野太刀と小太刀のことをおもえば、狐侍こそ間合いを詰めるべきであるし、きっとそうすると考えていたから。
だが、狐侍はすっと身を引いた。
でも、臆して退いたわけではないのは相手の目を見ればあきらか。
ふたりの間に充ちている剣気がせめぎ合う。
目には見えない鍔迫り合い、攻防はすでに始まっている。
紅夜佗がさらに前へと出た。
それに合わせて狐侍はまたもや下がる。
ふたりの間は畳を縦に二枚並べた分ほど、美丈夫の紅夜佗と五尺もある野太刀であれば、大きく踏み込み抜き放てば、いっきに詰められる距離である。
だが、狐侍がそれをさせない。紅夜佗がいざ抜かんとしようとすると、今度は逆に狐侍が半歩前へと踏み出してくる。それとともに殺気が飛んでくる。
それにより間合いにわずかなずれが生じる。刀の抜き時を失う。
常人であれば気づきもしない、わずかなもの。たいていの者は気にせず抜く。
しかし紅夜佗には出来ない。理由は自身の背にある得物だ。
五尺の野太刀は、その長刀ゆえにとても扱いが難しい。それこそ常人には満足に抜くこともかなわない。けれどもひとたび抜き放てば、凄まじい威力と切れ味を発揮するがゆえに、これを止めるのは至難となる。
でもだからこそ抜刀する瞬間が何よりも大事となる。
出足が鈍りここで躓けば、剣速が乗り切れない。長刀はその重さゆえにもたつき、その後の動きに影響する。
寄せては引く波のごとし――
紅夜佗と狐侍はにらみ合ったまま、丘の上を行ったり来たり。
この状況を厭うて紅夜佗が不意に寄せる足を速めれば、その分だけ狐侍も素早く逃げる。
ならばと調子をわざと崩し、虚実を織り交ぜてからさらに踏み込もうとするも、それには狐侍は惑わされず。
つかず離れずにて、時間ばかりが無為に過ぎ、募るのは焦燥感である。
存分に斬り結びたい相手がすぐ目の前にいるというのに、刀が抜けない。そのことに紅夜佗は次第にいら立ちを隠せなくなっていく。
対して狐侍のつれないこと。これほど紅夜佗が恋焦がれているというのに、素知らぬ顔にて憎たらしいったらありゃしない。
そんな狐侍の動きが唐突にかわった。
ずっと前後にばかり動いていたのが、横へと動く。
それに釣られる形で対峙している紅夜佗も横へと動く。
するとふたりを結ぶ直線上に夫婦松が陣取る格好となった。
とたんに紅夜佗が柳眉をさげた。わずかに浮かんだのは失望の色である。紅夜佗はがっかりした。
ここまでは絶妙なかけ引きにて、実際に刀こそは抜いていないものの、見えない剣気と剣気をぶつけ合い、激しく打ち合っていたからである。
だというのに、最後は松頼み――おおかた、松を盾にしてその隙に――というは腹積もりなのだろうが、これには興醒めだ。
たかが松の木二本ごときで、自分の野太刀を止められると思ったかと、憤りすらも覚えていた。
狐侍が夫婦松を目がけて駆け出す。
それに合わせて紅夜佗も動く。滑るようにして地面を進み、それと同時に野太刀をついに抜き放つ。
突進の勢いと、腰の回転、柔軟な上半身がしなり、鞘から解き放たれた長刀が閃き疾駆。真一文字に振るわれ、狙うは迫る狐侍の首、ただひとつ。
これまでの鬱憤を晴らすかのように、そして意中の相手への想いを込め。
それは紅夜佗の生涯を通じても、唯一無二となる出来映えの抜刀、会心の一撃であった。
夫婦松が揃って撫で斬りにされた。
まるで青竹でも斬るかのように、たやすく。
なのに肝心の狐侍の首は跳ばず。
野太刀を手に、その場でくるりくるりと紅夜佗が舞う。
その目は大きく見開かれており、喉には小太刀が突き刺さっていた。
狐侍が投げたものだ。紅夜佗が斬りかかってきたのと同時には狐侍も仕掛ける。
己の首へ迫る凶刃、死をひしひしと肌で感じつつ、紅夜佗の姿が夫婦松の陰に隠れて奴がこちらを見失う一瞬を狙った。
機会は一度きり、はずせばそれまで。
とんだ大博打にて、それもかなり分の悪い賭けであった。
だが狐侍はその賭けに勝った。
やがて踊り疲れた紅夜佗の身が崩れ落ち、決闘は終わった。
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