355 / 483
其の三百五十五 夫婦松の決闘 前編
しおりを挟む緩い風が吹く。
穏やかな夜にて、空には三日月が出ていた。
細い眉月にて円弧の形にてすーっと引かれた姿が、これから会う秀麗な男の眉を連想させる。
薄(すすき)の原っぱを抜けると、見えてきたのはなだらかな斜面、お椀をひっくり返したかのような形をした丘だ。登った先は平らな地面になっており、丘の上をなかほどまで進んだ所に二本の松が仲良く並んで生えている。
あれが夫婦松――。
茶屋の老婆に聞いていたとおりの景色である。
果たし状を貰った藤士郎は、ひとりやってきた。
長七郎は銅鑼に預けてきた。銅鑼は気のない返事であったが、もしもの場合にはちゃんと送り届けてくれるだろう。
ここまでの来る間、藤士郎はずっと考えていた。
今宵、雌雄を決する紅夜佗と自分についてのことを。
紅夜佗は五尺もあろうかという野太刀を遣う。
藤士郎は二尺ほどしかない小太刀を遣う。
間合いの優劣に関しては言わずもがな。
抜刀の鋭さでは、速さでは藤士郎が勝るだろう。
だが紅夜佗の剣は抜きの速さもさることながら、その後の動きこそが恐ろしい。
あれは止まらないのだ。
基本の構えは刀を立て左足を前に出す八双、そこから繰り出す切り払い薙ぎなども、どこの流派でもやっている普通のもの。
けれども技と技との継ぎ目がまるでない。ごく自然に、それこそ水が流れるかのようにして繋がっていく。結果、止まらない。
人刀が一体となり剣舞のようにひらりひらり、だが優雅にみえて刀はますますの冴えをみせて、切っ先にいたっては加速、加速、加速……。
怒涛の攻め手、多彩な変化にて上中下段と刃が疾駆する。攻撃的な薙刀の型にも似ているか。
打ち合うのは論外だろう。
自在に振るわれるお化け野太刀、刀そのものも重く、それを操る紅夜佗は美丈夫にて膂力はもとより下半身の粘りも相当にあるはず。そこに天性の剣才が加わった剣撃の衝撃は凄まじい。それこそ首どころか胴体をも真っ二つにするほどに。
一打、二打ならば受け流すことも可能だろうが、さらに続けば小太刀がもたない。いかに肉厚で頑強な鳥丸とて刃が欠けて、砕け散る。
では剣以外では?
体捌きでは伯天流をおさめた藤士郎に軍配があがる。手癖足癖の悪さならば負ける気がしない。
身軽さでも藤士郎が有利だろう。野太刀は重いのだ。それを振り続けるのは並大抵のことはない。
だからのらりくらりとやり過ごし、相手に疲労の色が見えたところで……と考えたいところだが、それはおそらく悪手中の悪手だろう。
先にも述べたが、紅夜佗の剣は振れば振るほどに速さを増し、より強力になっていく。
それにあの紅夜佗だ。一晩中、笑いながら余裕で剣舞を続けそうである。
世の剣客たちが剣を遣うのに対して、紅夜佗は剣の声に耳を傾け、剣に寄り添う。刀を遣うのではなく、刀が望むままにみずからが動く。
剣聖の境地にて、常人とは見ている景色が違う。
斬り結びは刹那の攻防、紙一重ながらも、そこには天と地ほどの差がある。
それを無理に埋めようとしても、たやすく埋まるものではない。
才能は残酷だ。凡百の努力や工夫をあっさりと越える。
そして天才は観の目に優れており、勘どころ――極意や秘訣、こつに利点欠点など――をたちどころに掴み、機を見るに敏だ。
とどのつまり、紅夜佗には同じ技や動きは二度通じず、下手に勝負を長引かせてこちらの手の内を晒すほどに不利になるということ。
◇
藤士郎は頭の中で、あれこれと紅夜佗との戦いを思い描いては、どうにかして勝ち筋を見い出そうと模索する。
だが考えれば考えるほどに、自分が斬られる姿しか出てこない。
そんな中から、どうにか捻り出した答えがひとつ。
けれども、ほとんど博打みたいなものにて、それとてもかなり分が悪い。
「はぁ」と藤士郎は嘆息する。いっそのこときびすを返して逃げてしまえば、とりあえず負けはない。
なのに足は真っ直ぐ待ち合わせ場所へと向かっている。
不思議と足取りが軽い。恐怖はない。むしろ胸がちょっと高鳴っている。
そんな自分がいることにこそ、藤士郎は驚いていた。
武士の誇りとかとは無縁だが、腐っても伯天流の道場主、いっぱしの剣客であるということ。やはり強い相手と戦いたい、存分に己の武芸をぶつけてみたいとの願望があるらしい。もしかしたら、その辺も見透かされての果たし状であったのかもしれない。
丘の上、夫婦松がずんずん近づいてくる。
ふとその先を見れば、ちょうどあちらから紅夜佗がやって来るところであった。
まるで示し合わせたかのよう。ふたりの息がぴったりなことに、おもわず藤士郎はくすりと笑みを零すも、すぐに余計な表情は抜け落ち剣客のものへと変わった。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる