狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百四十六 竜尾岳の死闘 前編

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 いつの間にか、吐く息が白くなっていた。
 ここにきて気温がぐんと下がったらしい。
 気が急くあまり、つい呼吸が乱れがちとなる。
 寝ていたところを焼け出されたあげくに、濡れ衣を着せられ町の衆に追い立てられたことにより受けた心の衝撃、身の疲労が、じりじりと押し寄せてくる。
 足が重い。滴る汗と山の冷気で体が冷たくなっており、眠気もちらつく。
 つい立ち止まりたくなるが、それを許さないのが背後から追ってくる松明の列。
 追いつかれたら終わりだ。その恐怖から逃れたい一心にて、藤士郎と長七郎は励まし合いながら山越えを続ける。

  ◇

 細い山道を汗だくになりながら、どんどんと登っていく。
 進むほどに道は険しくなり、景色も様変わりした。
 次第に木々は失せていき、代わりにあらわれたのはごつごつとした大小の岩たち。
 藤士郎たちは知らなかったのだが、そこは修験者などが修行のために通る道にて、波打つ峰々とその峻険ぶり、岩肌などが遠目には竜の鱗のように見えることから「竜尾岳」と呼ばれている場所であった。
 そんな難所を越えたときには、すでに東の空が白んでいた。
 鮮やかなご来光が差す。
 ついに悪夢の一夜が明けた。
 藤士郎と長七郎は顔を見合わせ、にぃと笑みを浮かべる。
 だが刹那――。

 轟っ、うなり音をさせながら飛んできたのは鉄の塊、鎖分銅による攻撃!

 朝陽が眩しい。逆光により敵の正体や位置はわからない。
 難所を越えた直後のこと。夜が明けた、どうにか逃げきったという安堵、蓄積された疲労、喉の渇き、飢え、眠気……。
 藤士郎とてけっして油断していたつもりはなかった。
 だが、知らず知らずのうちにほんの少しだけ警戒が緩んでいた。
 そのわずかな心の間隙を狙われた。
 夜討ち、朝駆けは戦の定石なれども、よもやこのような場所で襲われるとはおもわなかった。
 狭い悪路にはしばらく人が立ち入った形跡がなかったはず、そのことを何度も確認していたがゆえに藤士郎は驚きを禁じ得ない。
 まんまと謀られたばかりか、待ち伏せをされた。心に受けた衝撃は大きい。

 動揺と混乱のさなか、迫る分銅を前にして藤士郎にとっさにできたのは、長七郎を突き飛ばすことぐらいであった。
 おかげで長七郎は「うわっ」と驚き尻もちをつく程度ですんだが、逃げ遅れた藤士郎は鎖分銅の一撃をかわしきれず。
 身をひねって分銅の直撃こそは避けたが、鎖を受けてしまった。当たったのは左肩近く。殴打と擦過傷が混じったような痛撃にて、「ぐぬっ」と顔を歪ませる。
 藤士郎はよろめく。
 でも鎖分銅での攻撃はこれで終わりではなかった。
 ぴんとのびきった鎖が、不意にたわんで大きく波打つ。まるで蛇体のごとく生きているかのような動き。
 これにより藤士郎の躬が、どんっとはじかれた。
 藤士郎はさらに大きくよろめく。このままでは倒れる。とっさに踏ん張ろうとするも、それはならず。
 支えとなるはずの地面がなかった。
 がくんと視界が下がる。
 小路より押し出されたと気づいたときには、すでに狐侍は急斜面を転がり落ちていた。

  ◇

 崖にも等しい斜面にて、目まぐるしく天地が入れ替わる。
 どこかに捕まろうとのばした手が虚しく空を掴む。
 ならばと狐侍は小太刀を抜いた。力任せに斜面へと突き入れ、これを支えとすることで強引に滑落を止めることに成功した。
 慌てて見上げると、こちらを覗いている襲撃者と目が合った。朧一家の蝸牛であった。五郎より受け取った地図により、先回りして網を張っていたのである。
 蝸牛は巨漢にて、その手に握られていたのは鎖鎌だが、大きさが尋常ではない。鎌も鎖も通常の物の倍はあろうか。
 そんな代物を足場の悪い処で自在に操っている。こちらに気取られぬように山を登り、気配を完全に消しては、絶妙な頃合いでの不意打ち……強敵だ。
 まともに対峙しては、長七郎なんぞはあっという間に殺されてしまう。

 内心で焦る狐侍がねめつけていると、それを放置して蝸牛の姿が崖上に消えた。
 いよいよ獲物を仕留めるつもりなのだ。
 どうにかして急ぎ上に戻らねばならない。
 だが、よじ登ろうにも肩に受けた一撃により左腕に力がうまく入らない。加えて岩肌ももろく、ちょっと足をかけただけでぽろぽろと崩れてしまうではないか。これではろくに踏ん張れない。
 どこか他に捕まる処は、足場となる箇所はないかと狐侍は懸命に探す。
 すると目に入ったのは斜面からのびた松の幹であった。
 木が生えているのは自分から十尺ほど下のところ。斜面にしっかりと根を張っており、自分が飛び乗っても問題なさそう。
 これでとりあえずは足場は確保できる。でも問題はその後だ。
 いかに優れた身体能力を持つ狐侍とて、この崖と見まがう急斜面をひと足飛びには登れない。

「……いや、ひとつだけ方法はある」

 狐侍がちらりと見たのは帯にぶら下げていた印籠、中には河童の得子からもらった丸薬が入っている。
 これを使えば一時的にだが人外領域へと至れる。
 その力があればきっとこの窮地を脱せるだろう。
 しかし特別な力を得るには相応の代償を払う必要がある。
 銅鑼からも「ゆめゆめ使用は控えろ、戻れなくなるぞ」と忠告されている。
 けれども今を乗り越えねば、どのみち先はない。
 意を決した狐侍は……。


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