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其の三百四十五 五郎と蝸牛
しおりを挟む時を少し遡る。
昨日の夕刻、藤士郎と長七郎らが旅籠を決めたところで――。
その様子を物陰から見ていた者がいた。
やや軽薄そうな笑顔の男は、どこにでもいる遊び人風の町人である。
この男の名は五郎といい、朧一家のひとり。
得意とするのは陽動……町中にて騒ぎを起こしては、そのどさくさにまぎれて獲物へと忍び寄り背後からぶすり。あるいは自分では直接仕掛けずに、第三者を扇動しては代わりに動かすなど。目的を果たすためならば手段を選ばない。その卑劣、悪辣さにかけては朧一家でも随一の輩であった。
「よしよし、やはりこの宿場町に寄ったか。荷物を抱えているから、無理はすまいとにらんで正解だった」
顎をさすりながら五郎がつぶやくと、その背後の暗がりにてわずかに身じろぎする気配がある。朧一家にて斥候や伝令役をしている、元忍びの雉丸(きじまる)であった。
雉丸は無言のまま。
「けっ、相変わらず不愛想な野郎だぜ。忍びってのはどうにも陰気でいけすかねえ。……まぁ、いいさ。紅夜佗と麻霧に伝えてくれ。『今宵仕掛ける。ど派手にいくから、巻き込まれたくなかったらとっとと逃げな』ってね」
一度、藤士郎たちが泊った宿の方を見て、五郎がふり返った時にはもうそこには誰の姿もない。
消えた雉丸、それと入れ違いに姿をあらわしたのは、首に幾重もの鎖を巻いている巨漢であった。
朧一家のひとりにて、名を蝸牛(かぎゅう)という。
「面倒なことをする。せっかく一家の者が五人も揃っているんだ。一斉に仕掛ければよいではないか? さすればいかに相手の用心棒が強かろうとて、ひとたまりもあるまい」
蝸牛がもっともな意見を述べれば、五郎は「へっ」とそれを鼻で笑う。
「つまんねえことを言いなさんなよ、蝸牛の旦那。ただ殺すだけだなんて、それじゃあ面白くねえだろう。どうせなら、みんなで楽しく踊ろうじゃないか。踊る阿呆に見る阿呆ってね。よいよいってな具合に」
「……」
「ったく、雉丸だけじゃなくて蝸牛の旦那も乗りが悪いねえ」
ぶつくさ文句を言いつつ、五郎は懐から一枚の紙を取り出した。それはこの宿場町周辺の地図にて、丸印がひとつ入れてある。
印がついているのは嘉谷藩方面へと山越えするには、必ず通る場所。
五郎が地図を差し出すと、蝸牛はこれを受け取り舐めまわすように眺める。
「まぁ、そこを通るかどうかは五分五分といったところだぜ。なるべくそっちへ向かうようには仕向けるけど確実じゃねえから、はずれた時は勘弁な」
「わかってる……。さっそくこれから向かうとしよう。お主もせいぜい用心することだ。特に紅夜佗には気をつけろ。聞くところでは、九坂藤士郎に並々ならぬ執着をみせているようだからな」
「あー、それって麻霧もだから。ったく、二人して仕事そっちのけで獲物にいれあげて、いったい何を考えているんだか」
五郎の言葉に蝸牛は肩をすくませた。
じゃらり、じゃらり……。
蝸牛が歩くたびに首からさげている鎖が揺れて音がする。
遠ざかるそれを見送ってから、「さてと、じゃあ、こっちもぼちぼち始めますか」と五郎も動き出した。
◇
寝静まった宿場町。
いい塩梅に風も出てきたところで、あらかじめ仕込んでいいた藁束に火をつけていく。
たっぷり油を染み込ませた藁束はよく燃え、たちまち町が紅蓮に包まれたところで。
「火事だーっ!」
叫んで走り回ったのは、火をつけた当人である。
自作自演にて騒ぎを助長する狙いだ。
その目論み通りにて、半鐘が激しく打ち鳴らされた直後から、小さな宿場町は大騒ぎとなった。
慌てて宿から飛び出してきた者らや、逃げてきた住人らがひしめき合い、通りを埋め尽くす。これに混じりながら五郎は右往左往する振りをしつつ、より大衆の不安を煽る流言をまき散らしては、じっと機会を伺う。
そうして地ならしをしつつ待つことしばし。
獲物が姿をあらわす。
頃合いを見計らって五郎は叫んだ。
『あいつらだっ! あのひょろ長いのと若い侍の二人連れの煙草の不始末のせいで、火が出たんだ!』
そして火と狂躁の宴が幕を開けた。
興奮し猛った町の衆に石を投げられ追いかけられては、逃げまわる藤士郎と長七郎を横目に、五郎は街道を封じることや、山に逃げ込むかもしれないこと、だとすればあの獣道を抜けて山越えをするかも、などということをそれとなく吹聴する。
扇動されているとも知らずに、手の平の上で踊らされる人々。
かくして策は成った。
盛大な火祭りにて、人々は踊り、目の色を変えては生贄を追い求める。
その光景に五郎はひとりほくそ笑む。
だがしかし――。
「へっ、なんだこれ?」
かっと胸元が熱くなった。
見れば、己の胸からにょきっと竹の子みたいに白刃が生えている。
かとおもえば、それがいきなり引っ込んだ。
ぐにゃりと崩れ落ちる五郎、じわりと広がる血溜まりの中、見上げた先には長刀を手にした紅夜佗の姿があった。
薄れゆく意識の中、五郎が思い出したのは蝸牛の忠告であった。
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