狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百四十四 狂躁

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 夜更けに起きた火事によって、燃える宿場町。
 増す火勢、焔が煌々と天を照らし、息苦しいほどの熱波が地をうねり、人々は逃げ惑う。
 そこかしこで火の粉が爆ぜ、煤(すす)が舞った。
 怒号と悲鳴が飛び交い、辺りに漂うのは煙と焦げた臭い。
 そんな中で殺気立った者らが徒党を組み、躍起になって走り回っては、ある者たちを探していた。

「あの火付け野郎ども、どこに行きやがった!」
「向こうにはいなかったぞ」
「あっちは探したのか?」
「街道は塞いだ。どのみち袋の鼠だ。逃げられねえ」
「ちくしょう、おれの家が……。ふん縛って、さらし首にしてやる!」
「いいや、生きたまま火に放り込んでやれっ!」
「急げ、代官が出張ってきたらややこしくなるぞ」
「ふん、あのへたれが来るもんか。いまごろ火にびびって自分の屋敷の奥で縮こまっているだろうよ」
「くそっ、どこにもいねえ。ひょっとしたら山に逃げ込んだのかもしれん」
「だったら山狩りだ!」
「なんにせよ朝までにとっ捕まえないと――」

 怒気もあらわにて口々に悪態をつき、憎い相手をののしっている。
 赤い火に照らされるその横顔、のびた影は、まるで地獄の獄卒の群れのようであった。
 火事場で発せられた謎の声により、扇動された者たちだ。
 彼らが目の色を変えて追っていたのは藤士郎と長七郎である。謎の声の流言により、まんまと火付けの犯人に仕立てあげられてしまった。

 ありえない……。
 普段であれば、町の衆とてこんなに簡単には騙されないだろう。
 なのにころりと騙されたのは、危機的状況だから。炎が人心を興奮させるのも災いした。怒りと恐怖、戸惑い、混乱……様々な悪条件が一度にどっと押し寄せて、人々から冷静さを失わせたところで投下された流言に、たちまちみんなは飛びついてしまった。
 狂躁。
 こうなると堰が切れたようなもの。溢れ出した水は誰にも止められない。

 一方その頃、追われる立場となった藤士郎と長七郎はというと――。

 這う這うの体にて、奇しくも追手のうちの誰かが予想した通りに、山へと分け入っていた。
 騒動勃発直後、町中にて身を潜めつつ、急ぎ街道を抜けようとするも一歩及ばず。すでに先回りをされて封鎖されてしまっていた。
 即席の関所にたむろしていた人数は十人ほどにて、藤士郎がその気になれば強行突破は可能であったが、それは躊躇われた。
 なぜなら彼らは悪人ではない。ふだんはごくありふれた、どこにでもいる善良な町人だったからだ。
 災害時に恐慌が生じて、人心が乱れるのはままあること。
 でもそれは麻疹(はしか)みたいなもので、一時のことにすぎない。じきに落ち着きを取り戻す。ただ問題なのは、乱れている時には制御するのがとても難しい。
 いずれ落ち着きを取り戻したら、きっとおかしいことに気づくはず、わかってくれるはず。
 だから藤士郎には彼らが斬れなかった。

  ◇

 夜露に濡れそぼる裾(すそ)を引きずりつつ、山の斜面を突き進むうちに、細い道にでた。
 おそらくは地元の猟師や炭焼きなどが使っている道であろう。
 地面を調べてみたところ、ここ数日中に誰かが立ち入った形跡はない。
 藤士郎たちはほっと安堵し、しばし休憩をとることにした。

 にしてもこの状況はなんだ?
 藤士郎はまるで生きた心地がしやしない。
 長七郎も真っ青になっており、さっきからひと言も発しない。疲労もさることながら、かつて感じたことのない恐怖のせいで、心胆寒からしめているせいだ。

 扇動された大衆から一斉に敵意を向けられる。
 それもいわれなき理由にて。
 一瞬にして周囲のすべてが敵になる。
 その理不尽さの、なんと恐ろしいことか。
 言葉が通じない。誰も聞く耳を持たない。ちっとも信じてもらえない。もの凄い剣幕にて一方的に罵倒される。
 まるでみんなが人の皮を被った、別の何かに変わってしまったかのよう。
 あるいは自分たちが悪鬼の国にでも迷い込んだかのような、そんな錯覚に見舞われる。

 現状、その根底には何者かの悪意が見え隠れしている。
 紅夜佗……はちがうだろう。あれは良くも悪くも生粋の人斬りだ。漆黒なる無垢。刀で人を斬ること以外に興味はない。
 恐らくは新手の刺客の仕業なのだろう。
 だが、なんという悪辣さか。
 さいわいなことに半鐘の報せが早かったこともあり、焼け出された者らは大勢いるが、火や煙に巻かれた者は少ないようだが、一歩間違えたらとんでもない大惨事だ。
 たった一人を殺すために、小さいとはいえ宿場町をひとつ焼くとか、まともな人間のすることではない。
 いや、そもそもの話として、まともな人間ならば殺し屋稼業なんぞに身をやつしてはいないのか。

 腰をあげた藤士郎、慌てて長七郎も立ち上がろうとするも、それは手で制し「ちょっと様子をみてくる」と言って、藤士郎は長い手足を使って最寄りの木をするする登る。
 そうしてある程度まで登ったところで、枝の上に立ち、麓の様子を確かめたところで、「ちっ」と舌打ち。
 かなり歩いたつもりであったが、思ったよりも距離が稼げていない。
 遠目に、町の火事はやや勢いが衰えてきたか。
 喜ばしいことなのだが、それよりも気になるのはこちらへと近づいてくる松明の行列である。
 三十ばかしが鈴なりとなっている。山狩りだ!
 地の利は地元の者にある。いま藤士郎たちがいる小路を知る者も集団に混じっているのだろう。集団の動きに迷いがない。のんびりしていたらすぐに追いつかれる。
 木から降りた藤士郎は長七郎に声をかけ、すぐにその場を離れることにした。


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