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其の三百三十九 呪術師
しおりを挟む嘉谷藩へと向かう道中、藤士郎たちが次々と襲いかかってくる刺客と対峙していた裏では、別の戦いが繰り広げられていた。
「ぎゃっ!」
火の粉がぱちりと爆ぜて、轟っと焔がうねり大きく揺らめく。
燃え盛る護摩壇の前で、悲鳴をあげてうずくまったのは、くすんだ黄金色の法衣をまとった即身仏のごとき老爺である。
かつては神仏に深く帰依し、僧正の位にまで昇りつめたものの、密教の秘術にのめり込むあまり呪術に傾倒し、道を誤り呪術師へと墜ちた男。名を寿慶(じゅけい)という。十一人からなる殺し屋集団・朧一家のうちがひとり。
いまは依頼を受けて、嘉谷藩の御家騒動に加担している。
跡継ぎと目されている側室の子を呪い殺さんとしていた。
強力な呪詛を飛ばし、側室の子を害そうとする。
だが、そのことごとくが防がれはじかれる。
「ぐっ、おのれぇ、巌然め!」
顔をあげた寿慶の額には、まるで焼きごてを押しつけたかのような、痛々しい火傷が生じていた。
呪詛返しを喰らったせいだ。
これまでは一方的に呪詛を飛ばし、向こうはそれを跳ね返すのがやっとであったというのに、ここにきて風向きが大きく変わりつつある。
原因は、嘉谷藩の国元へと向かっている七組の囮と大名行列だ。
そのうちのどれかに、呪い殺す相手がいる。
あるは、すべてが偽物という可能性もわずかにだが否定できない。
さりとて手をこまねき、うかうかお国入りを許すわけにはいかない。
もしもそんなことを許せば、側室側の派閥が気勢をあげて、いっきに形勢を持っていかれるからだ。
『何としても側室の子の国入りを阻止せよ』
それが依頼主の強い要望。
ゆえに各々の囮に向けて刺客が放たれている。
寿慶もまた呪詛を継続してそれを援護していた。
ただしこれまでと大きく違うのは、呪詛する対象が八つに分散していること。
どれが正解かわからぬ以上は、手当たり次第に潰すしかない。
しかしそのせいで呪力も分散してしまう。
それでも十分に殺傷能力の高いものなのだが、向こうには歩く仁王さまとの異名を持つ巨漢にして、腕っぷしもさることながら、妖退治の高僧としても名を馳せている知念寺の巌然和尚がついている。
寿慶の攻勢が弱まったとみるや、いきなり反撃しては痛打を見舞ってきた。
「しかし、よもやこれほど正確に打ち返してこようとはおもわなんだ。ここはもう駄目だな、特定されてしまった。すぐに場所を移動せねば……。にしても、どいつもこいつも不甲斐ない。いまだに一匹も仕留められぬとはな」
どの囮にも凄腕の警護役がついている。
朧一家は別格として、他に雇われた刺客らもそれなりに粒ぞろいではあったが、いかんせん急拵えにて数を合わせることを優先した。獲物との相性を吟味する余裕はない。それが仇となって祟っている。
「……まぁ、よい。放っておいても向こうから近寄ってくるのだから、いざともなればまとめて網に絡め捕ってしまえばいいだけのこと。
それに『あやつ』も控えておるしな。万が一にも仕損じることはなかろうよ。
にしても、鬼平太も底意地が悪い。儂が言えた義理ではないが、よくもまぁ、あれほど悪辣なことを考えるもんじゃて、ふぇ、ふぇ、ふぇ」
枯れ木のような痩せた体を揺すり寿慶は笑う。
鬼平太は朧一家の首領の名である。「あやつ」とは朧一家の十二番目の仲間だが、その存在を知るのは、もっとも付き合いが古い鬼平太と寿慶のみであった。
あれほど激しく燃え盛っていた護摩壇の炎がふつりと消えた。
たちまち世界が暗転し、寿慶の姿は闇に埋もれるようにして見えなくなった。
辺りはしぃんと静まり返り、漂うのは燃え残った木材の焦げた臭いばかり……。
一方その頃、遠く離れた江戸では――。
「ちっ、せっかく繋いだ糸が切れおった。逃げたか、寿慶。くたばりぞこないのくせして、相変わらず逃げ足が早い」
悪態をついたのは祈祷所に篭っていた巌然であった。強気な態度とは裏腹に全身汗だくにて、頭からは湯気が立ち昇っている。
これまではやられるばかりであったので、ここぞとばかりにやり返してやったのだけれどもあと一歩届かず、もうちょっとのところでかわされた。
一撃を見舞うことには成功したものの、渾身にはほど遠い。
じつは巌然と寿慶とは因縁浅からぬ。
とはいえ直接の面識はない。邂逅するのはもっぱら術を通してである。
片や衆生に御仏の慈悲を示すべく奮闘している者、片や金を貰って呪術を行っている者。
二人は光と影だ。妖や怪異を挟んでの表と裏、敵対する間柄にて、これまでに二度、対峙したことがあり、そのいずれでも決着はつかず。
三度目の正直にて、巌然は寿慶に引導を渡すつもりであったのだが。
「にしても……、あれはちとまずいな」
巌然が憂いていたのは、先ほどの呪術合戦を通して焔の中に見えた不吉な影のこと。
どうやら敵はとんでもない切り札を隠し持っているらしく、このままでは藤士郎たちが危うい。
どうにかして危機を報せてやりたいが、あいにくと藤士郎たちは遠方の旅の空の下にある。弟子の堂傑の陰陽術にて式神を飛ばしてもいいが、それだと寿慶に気取られる恐れがある。
さて、どうしたものかと巌然が思案していると、背後にてそろりと動く気配があった。
隅の暗がりから姿を見せたのは、黒銀虎縞のでっぷり猫であった。
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