狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百三十八 金鳴り

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 執拗な追跡を受けて、心身ともに追い詰められた獲物がとる行動はだいたい決まっている。
 穴倉に引き篭るか、もしくは振り切ろうと足掻くか。
 狼の視線に怯えて疲弊した場合は前者となり、いまだ心が折れていないものの、いら立ちが押さえきれない場合は後者となる。
 どちらにしろ、限界は近い。
 だがしかし……。

「……妙だな。連中、何をぐずぐずしていやがる」

 先に宿を発ち、八名は表に潜んで獲物が出てくるのを待っている。
 旅人の大半は徒歩である。馬や籠を用立てて進むのは、ほんのごくわずか。
 個人差はあれども、一日に歩ける距離は限られている。それに街道沿いにある宿場町も決まっているから、おのずと足を休める場所が重なるもの。無理をして先を急いだとて、中途半端なところで夜を迎えることになる。そうなれば野宿だ。これはよほど旅慣れた者でもかなり危うい。
 賊にとってはいい鴨にて、餓えた獣にとってもいい鴨だからだ。

 宿屋の玄関口からどっと吐き出されるのは、昨夜の宿泊客たち。
 とても賑わっている。出立が重なっているのだ。
 身にやましい旅でもなければ、この集団にまぎれて流れに乗って進む。旅は道連れ、群れることで安全が格段に増すからだ。群れからはぐれた者が真っ先に狙われるのは、人も獣も変わらない。
 まぁ、それはさておき――。
 見張っている八名が焦れていると、ようやく目当ての者たちが姿をみせた。
 順番としては先発組の尻につける格好だ。

「やれやれ、ずいぶんとのんびりしていやがる。てっきり朝駆けでもするかとにらんでいたんだがなぁ」

 追跡に悩まされて焦れた獲物が、夜明け前に出立してこちらを出し抜こうとするのは、よくあること。
 だがそれはあまりいい手とはいえない。
 前倒しの行動のつけは、あとできちんと払うことになるからだ。早起きをすれば、日中に眠くなる。体内にてずれが生じて、調子も崩す。
 ゆえに正解は淡々といつもの通りに動くこと。
 もっともいまの状況下では、それがいっとう難しいのだけれども。
 だというのに、今回の獲物ときたらその逆をしようとしている、はて?

 小さな違和感を覚えた八名は首を傾げつつも、追跡を開始する。それと同時に前方にいる獲物の背中をひとにらみした。
 その視線に反応して、ふたり連れの背の高い方がびくりと肩を震わせる。その姿を見て、八名はしめしめとほくそ笑む。
 そんなふたり連れが急に駆け出した。
 だからとて八名もいっしょになって走り出したりはしない。
 これは釣り、稚拙な誘いだ。
 八名は内心で嘲りつつも悠然と構えて、後を追う。

 さほど時をおかずに、二人連れは先発組に追いつき、これを追い抜く。
 現時点での並びとしては、先頭に九坂藤士郎と河合長七郎、次にその他の旅人たちを挟んで、末尾にいまは薬売りに扮している八名となっている。
 おおかた藤士郎たちは、旅人たちを目くらましにして、逃げ切る算段なのだろうが、その程度でまかれる八名ではない。
 八名はごく自然の足取りにて、旅人たちに合流し、周囲の誰に気取られることもなく、その間を縫うように進んでは、藤士郎たちと一定の距離を保ち続けている。
 ついでに、ちょいと揶揄ってやれとばかりに、一瞥をくれてやる。
 狼の視線を受けて、藤士郎がばっとふり返る。
 ここまでに幾度となく繰り返したやりとり。
 でも、今回は違った。

 ふり返った藤士郎、その手に握られていたのは小袋である。
 それは銭入れであった。いっしょにふり返った長七郎もまた銭入れを手にしている。

「いったい何をするつもりだ?」

 奇異な行動を訝しんでいると、ふたりがとんでもないことを始めたもので、さすがの八名もぎょっとなる。
 藤士郎と長七郎のふたり、小袋に手を突っ込んだかとおもったら、やにわに中身を掴み出しては、これを後方へと向けてばら撒いたのである。

 陽光を受けて煌めく金子たちが、ちゃりん、ちゃりん。
 撒かれた金子が地面に落ちるたびに、景気のいい音がする。
 とたんにその場に居合わせた者たちの顔が、一斉に撒かれた金子へと向いた。
 人とは浅ましいもので、とかく銭の音には反応してしまうもの。
 たとえ一文銭といえども、鳴ればつい反応する。ましてやそれが小判ともなれば、どうしてこれを無視できようか。ちなみに藤士郎たちが撒いたのは、先の襲撃の時に追手連中から巻き上げた泡銭である。

「さぁさぁ旅の衆、ご祝儀だ。早い者勝ちだよ」

 声を張ったのは藤士郎である。
 これにより居合わせた者たちは、我先にと地面に落ちた金子に群がった。
 ただし、この場にて金子に目が眩まなかった者がただ独り――

「しまった!」

 八名がこの行動の意図に気がつき、慌ててきびすを返すも時すでに遅し。
 藤士郎の両の眼(まなこ)が、はっしと狼の視線の正体を捉えていた。


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