狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百三十七 八名(やな)

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 街道を歩いていると、いきなり背後から首筋を冷たい手で触られたときのような、ひやりとした感覚に襲われて、ぞぞぞとなる。

 茶屋で休んでいると、横合いから矢で射かけられたかのような、鬼気迫る感覚が生じ、はっとする。

 周囲に誰もいない拓けた場所では、じっとりと全身を舐めまわすような視線がまとわりついてくる。

 ならばと峠道を駆け上り、超えた先にて身を隠し、あとからつけてくるであろう相手を待ち伏せするも、それには引っ掛からない。

 宿場町へと入って、人混みにまぎれてほっとしたのも束の間、またぞろちらつく気配に悩まされる。

 つかず離れず、絶妙に厭らしい間合いにて、視線のみによる執拗な追跡は延々と続く。

「大丈夫ですか……ずいぶんとお疲れのようですが」
「あー、うん、体は問題ないよ。ただ、例の視線がちょっとねえ」

 宿屋の部屋にてふたりきりとなったところで、ようやく視線の追跡から解放されたものの、藤士郎はぐったりしている。
 それを長七郎は案じていた。
 姿なき追跡者があらわれて、すでに三日が経っており、藤士郎はすっかり辟易している。
 こうして宿屋の部屋に篭ってしまえば、さすがに追っては来れないらしい。
 さりとて宿の中ならば安全かといえば、そんなこともなく。
 難儀なことに、宿の廊下を歩いているときにも視線を感じることがあるのだ。
 どうやら同じ宿に視線の主も泊っているらしい。
 ならばと宿泊客らに目を光らせるも、敵の正体はわからず。

 いくら変装をしていたとて、こうもこちらの目を誤魔化せるものなのか?
 もしくは追跡者は複数にて、そのときどきにて入れ換えてこちらの探りをかわしているのかもと勘繰るも、それはちがうと藤士郎はこの考えを否定する。
 自分へと向けられる視線の種類がひとつきり、それすなわち敵もまたひとりということ。
 つねに視線に悩まされ、向けられる害意を肌でひしひしと感じている藤士郎には確信がある。

「なんにせよ、このままだとじり貧だ。いずれ感覚が麻痺して注意が散漫になる。警戒が薄れる。おそらく見えない敵はその瞬間を狙っているのだろうけど……。完全に後手に回っているよね。いいように振り回されている。う~ん、いっそのこと一か八かで、こちらから仕掛けてみるべきか」

 ならばいかなる手段でもって敵を炙り出すか。
 藤士郎は長七郎にも相談し、ふたりで知恵を絞ることにする。

  ◇

 夕餉の時刻にて、慌ただしい宿屋内を横目にして――。
 宿の裏木戸にもたれて男の宿泊客が煙管をふかせていると、こつんと向こう側で小さな音がした。

 女の声にて「首尾は上々のようだね」と聞こえれば、「まぁな、いい塩梅だし、次の宿場までの間にけりをつけるつもりだ」と男は答える。
 女は朧一家の麻霧で、男もまた一家の者にて仲間内では八名(やな)と呼ばれていた。

 朧一家の八名――。
 その名の通り、いくつもの名前を使い分け、姿をもがらりと変えることによって、他人の目を欺く。
 殺しの手口は、狼のごとく相手を執拗につけ回し、心身を追い詰めて、神経を衰弱させて気力を奪ってから仕留めるというもの。
 腕に覚えあり、手強い獲物であるほど武芸に通じており、気配や殺気への感度がいい。
 それを逆手にとっては、みずから振りまくことで相手を翻弄し、疲弊させる。
 つねに見ているぞ、狙っているぞと示すことで、心を攻める。優れた遣い手であるほど、どろ沼にはまって抜け出せなくなる。
 武闘派の仲間たちからは「ねちねちと厭らしい」「まわりくどい」「性格がひん曲がっている」なんぞと揶揄されているものの、その巧みな変装術と追跡術には敬意を払われている。
 武力こそは一流どころには及ばぬ。派手さもなく地味だ。
 けれども正面切って殺り合わないので、狐侍とは相性が最悪の敵であった。


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