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其の三百三十六 狼の視線
しおりを挟む呆れたことにあれほどの騒ぎがあったというのに、長七郎は朝までぐっすり寝入っていた。
けれども、よく休んだおかげでひと晩で熱はひいてすっかり元気になった。
面倒だったのが周囲への言い訳である。
藤士郎と長七郎はわけありの旅、あんまりぐずぐずともしていられない。
そこであの按摩の老人がじつは盗人にて、みなが寝静まった夜更けに牙をむき、やむをえず撃退したところ、どこぞに逃げた。
……という筋書きをでっちあげた。
普通であれば、流血沙汰にて地元役人のお調べがある。
こちらの主張が通ったところで、数日間の足止めを余儀なくされていたことであろう。
それがすんなり通ったばかりか、すぐに解き放ちとなったのは宿屋の店主の口添えがあったから。
もっともそれは親切心からではなくて、裏でちょいと藤士郎が小突いたからである。
「ねえ、あの盗人の按摩なんだけど。引き入れたのは、どこのどなたなのかしらん? えっ、たまたま相部屋になっただけだって……くくく、そんな戯言、本気で信じられるとでも」
相部屋になるにしたって、わざわざ藤士郎たちのところに頼む必要はない。
よくよく考えてみれば、おかしな話であったのだ。
いかに急な川止めのこととて、武士の二人連れのところに按摩の老人を放り込むということが。相部屋にするにしても、この組み合わせはない。
ということは、裏でなんぞ思惑が働いたはず。
おおかた誰ぞに金子でも掴まされのであろうが、そのことを追求したとて詮無きことである。
だからそのことには目をつむる変わりに、擁護をお願いしたという次第。
さいわいなことに川止めも二日とは続かず、翌日の昼過ぎには取り消しとなったので、藤士郎たちはさっさと宿を発った。
◇
足止めを喰らっていた旅人らが渡し場に大挙するも、さして待つことなく藤士郎たちは舟に乗れた。これもまた宿屋の店主の口添えがあったからである。よほど厄介払いがしたいらしいが、先を急ぐこちらとしてもありがたい。
ただし、横入りにてずるをする者へと向ける周囲の目が少々厳しかったことには、たいそううんざりさせられたけれども。
桟橋から舟に乗り込む。先に長七郎を行かせ、藤士郎も続こうとしたところで――。
ばっとふり返る。
向けられる視線たちの中に、いっとう棘のあるものを感じたからだ。
殺気とまではいかずとも、かなり強い害意である。
それに反応したのだが、藤士郎が背後へと目を向けたときには、すでにその気配は霧散しており、大勢の舟待ちの客らにまぎれてわからなくなってしまっていた。
「逃げた按摩か……。いや、さすがにあの怪我ではすぐには動けないはず。だとすれば、刺客の仲間かも。昨夜の襲撃、どうやら段取りをしたのは別の者みたいだし。せめて差し向けられる刺客の数がわかればいいんだけど」
立ち止まっていたら、うしろから「ちょいと、お武家さま。そんなところで止まられたら迷惑だよ」と次の客である恰幅のいいおかみさんに叱られたもので、藤士郎は謝りながらそそくさと舟へと乗り込んだ。
多少は揺れたものの、舟は無事に向こう岸についた。
とはいえ江戸の隅田川でやる舟遊びとは違って野趣溢れるもの、病み上がりということもあって長七郎は少々舟に酔った。
だから渡し場にあった茶屋にて休ませてもらっていたら、またしても感じたのがあの視線である。
静かに這い寄り、ねっとり絡みつくような、まるでこちら値踏みするかのような不快な視線……。
藤士郎は長七郎の介抱をしつつ、さりげなく新たに買い求めた編み笠の陰から、周囲を伺う。視線の主を見極めようとするも、その前を次々と舟で運ばれてきた旅人たちが通り過ぎていくばかり。
不自然に足を止める者はおらず、また同じ顔もなく――。
そうこうしているうちに、またもや気配は散ってしまい、視線の相手の特定には至らず。
「気のせい……ならいいんだけど。どうにも厭な感じがするよ」
そんな藤士郎の予感は的中する。
これより先々にて、ついて回る視線によって藤士郎は悩まされることなった。
街道を歩いていると、はっとしては立ち止まっては背後をふり返ったり、周囲をきょろきょろしたり。それが何度も続く。
不自然な藤士郎の行動を長七郎も訝しんだ。
「なにか気になることでも?」
そこで謎の視線のことを説明して長七郎にも、怪しい者が付近にいないか探ってもらったが、いっこうに敵影を捉えられず。
視線を感じて反応すれば、あと少しというところでするりと逃げられる。
「参ったね、思った以上にこれはきつい」
と藤士郎。
猫じゃらしで遊ばれている猫のような気分、いいようにあしらわれている。
神経を逆撫でされて、いら立ちばかりが募る。
かといって無視をするのはあまりにも危険過ぎる。
「わざと自分の気配を悟らせて、こちらを疲弊させているのか。まるで狼みたいな奴だよ。きっと新手の刺客なんだろうけど、難儀なのに目をつけられた」
狼は獰猛な見た目とは裏腹に、とても慎重な獣だ。
獲物にいきなり襲いかかったりはせずに、延々とつけ回しては、相手が心身ともに弱ったところを狙う。そしてとても執拗だ。一度、狙いを定めたならば、日をまたぎ、山をいくつ超えようとも、なかなか諦めない。
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