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其の三百三十五 土竜と麻霧
しおりを挟む暗闇の中から突き込まれる杖。
横合いからこめかみや耳のうしろを狙われたとおもったら、背後から首の付け根やちょうど腎臓の上辺りを、正面からは鳩尾(みぞおち)に股間……。
肩口や肘関節へと飛んできた攻撃を喰らえば、しばらく腕がろくに動かせなくなっていたであろう。
杖での攻撃は脚部にも及ぶ。膝、太腿、脛に踵など、当たれば動きが鈍くなったり、激痛に悶えるような場所ばかりを的確に突いてくる。
どうやらこの刺客は、急所を杖で突き殺す術を得意としているらしい。
人体の構造に精通した按摩ならではの暗殺手法であろう。もしも最初の申し出を真に受けて、揉んでもらっていたらそこで終わっていただろう。
ぱぁんっ!
暗闇の攻防、さなかに鳴ったのは藤士郎の着物の袖である。
攻撃を避けきれずに、杖の先端が袖の端に当ったとたんに、そこがはじけたかのような衝撃を感じた。
いかなる手練か、どうやら杖が当たる瞬間に強い力が込められ、打ち抜く圧がぐっと増している。
だからこそ、ただ杖で突くだけで人を死に至らしめることが可能であったのだ。
場は制しているのは按摩の老人にて、このままではじり貧であった。
いまのところは対処出来ているが、遠からず神経を削られ疲弊したところを、ぶすりと殺られる。
どうする? どうしたら……。
焦る狐侍であったが、その時、足先に触れる物があった。
長七郎の枕元に置かれていた香炉だ。
素早くしゃがんだ藤士郎はこれを引っ掴むなり、自分の周囲へと向けて中身をぶち撒けた。
香炉には、香の灰と砂が入っている。
それらがぱらぱらと散開し、薄煙となり、たちまち室内に充満する。
これと同時にばっと身を伏せ、狐侍は目を閉じ這いつくばった。
暗闇の中、なまじろくに見えない目に頼っていてはかえって足を引っ張られる。だから目を閉じた。そして耳をすませて懸命に拾おうとしたのは異音だ。
まき散らした砂たちは、当然ながら地の力に引かれて床へと降り落ちる。
けれども、この室内でそれを邪魔する傘のような存在がいる。
それは立っている敵――。
「見つけた、そこだよっ!」
床を寝そべるようにして飛び出した狐侍、抜き放たれた小太刀が閃く。
ごきりと鈍い音がして「ぎゃっ」と悲鳴が聞こえ、たちまち室内に血の匂いが垂れ込める。
狐侍が斬ったのは按摩の老人の左脛であった。
たまらず逃げようとする刺客、その気配と血の匂いを頼りに追って止めを刺そうとする狐侍であったが、その時のこと。
たんっと外から障子戸が開け放たれて、室内に風がびゅるりと吹き込む。
ひょうしにまき散らされた砂や灰らがふたたび舞い上がったもので、狐侍はとっさに鼻と口元を腕で庇い、目も閉じた。
時間にすれば寸の間にも満たない。
けれども、そのわずかな間に按摩の老人に扮していた刺客は、消え失せていた。
見事な逃げ足……といいたいところではあったが、床には血の跡が点々と。
血の跡は廊下をまたいで、中庭を横断し、裏木戸へと向かっていた。
◇
いまにも千切れそうな左足を引きずり、どうにか宿を脱出するも、息も絶え絶えとなっていたのは、按摩の老人に扮した刺客の土竜である。
川近くの木陰に身を潜め、とりあえず傷口を縛って応急の手当をしていたものの、その形相は憤怒に染まり、屈辱と怒りによっていまにも爆発しそうであった。
そんな土竜に近づき「あんまりかっかしなさんな。そんなんじゃあ、止まるもんも止まりやしないよ」と言った女は、朧一家の紅一点である麻霧(あさぎり)である。
今回は土竜の仕事の裏方として、いろいろ動いていた。
やられそうになった土竜を逃がす手引きをしたのも彼女であった。
「……すまねえ、助かった。恩に着る」
「なぁに、かまいやしないよ。それにかえって運ぶ手間がはぶけたから、特別に許してあげる」
「運ぶ手間?」
意味がわからず訊ねようとした土竜であったが、それはかなわない。
顔をあげたひょうしに、ばっくりと裂けたのは土竜の喉であった。
切り裂いたのは麻霧が手にしていた扇である。開いた扇の縁には剃刀が仕込まれており、それによる一閃であった。
驚愕に目を見開き「なっ、どう……し……て……」との土竜に、麻霧が冷たい目を向ける。
「どうしても何も、あんたを逃がしたのは助けるためじゃない。はなからこのつもりだったのさ。下手に捕まってうちらのことをべらべらとしゃべられたら困るからね。それに朧一家に負け犬はいらないよ」
動かなくなった土竜の襟を掴んで引きずり、いまだに水嵩が減っていない川へと叩き落とす。
「やれやれ、力仕事は嫌いだよ」
と麻霧がぼやくも、塵(ごみ)を片付けたところでにへらと淫靡な笑みにて舌舐めずり。
「……にしてもあの男、九坂藤士郎っていったっけか。いい男じゃないの。ひさしぶりにぞくぞくしちゃった」
長身痩躯にて垂れ柳っぽい見た目で、普段はちょっと頼りなさげだが、ひとたび小太刀を抜けば豹変する。
目つきも雰囲気もがらりと変わる。
さっきは土竜に酷いことを言ったものの、もしも並の者であれば左足どころか両足を撫で斬りにされていたことであろう。まるで雷光のごとき鋭い一太刀であった。
こっそり盗み見ていた狐侍の戦いっぷりを思い出し、麻霧は恍惚とした表情を浮かべていた。
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