狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
335 / 483

其の三百三十五 土竜と麻霧

しおりを挟む
 
 暗闇の中から突き込まれる杖。
 横合いからこめかみや耳のうしろを狙われたとおもったら、背後から首の付け根やちょうど腎臓の上辺りを、正面からは鳩尾(みぞおち)に股間……。
 肩口や肘関節へと飛んできた攻撃を喰らえば、しばらく腕がろくに動かせなくなっていたであろう。
 杖での攻撃は脚部にも及ぶ。膝、太腿、脛に踵など、当たれば動きが鈍くなったり、激痛に悶えるような場所ばかりを的確に突いてくる。
 どうやらこの刺客は、急所を杖で突き殺す術を得意としているらしい。
 人体の構造に精通した按摩ならではの暗殺手法であろう。もしも最初の申し出を真に受けて、揉んでもらっていたらそこで終わっていただろう。

 ぱぁんっ!

 暗闇の攻防、さなかに鳴ったのは藤士郎の着物の袖である。
 攻撃を避けきれずに、杖の先端が袖の端に当ったとたんに、そこがはじけたかのような衝撃を感じた。
 いかなる手練か、どうやら杖が当たる瞬間に強い力が込められ、打ち抜く圧がぐっと増している。
 だからこそ、ただ杖で突くだけで人を死に至らしめることが可能であったのだ。
 場は制しているのは按摩の老人にて、このままではじり貧であった。
 いまのところは対処出来ているが、遠からず神経を削られ疲弊したところを、ぶすりと殺られる。

 どうする? どうしたら……。
 焦る狐侍であったが、その時、足先に触れる物があった。
 長七郎の枕元に置かれていた香炉だ。
 素早くしゃがんだ藤士郎はこれを引っ掴むなり、自分の周囲へと向けて中身をぶち撒けた。
 香炉には、香の灰と砂が入っている。
 それらがぱらぱらと散開し、薄煙となり、たちまち室内に充満する。
 これと同時にばっと身を伏せ、狐侍は目を閉じ這いつくばった。
 暗闇の中、なまじろくに見えない目に頼っていてはかえって足を引っ張られる。だから目を閉じた。そして耳をすませて懸命に拾おうとしたのは異音だ。
 まき散らした砂たちは、当然ながら地の力に引かれて床へと降り落ちる。
 けれども、この室内でそれを邪魔する傘のような存在がいる。
 それは立っている敵――。

「見つけた、そこだよっ!」

 床を寝そべるようにして飛び出した狐侍、抜き放たれた小太刀が閃く。
 ごきりと鈍い音がして「ぎゃっ」と悲鳴が聞こえ、たちまち室内に血の匂いが垂れ込める。
 狐侍が斬ったのは按摩の老人の左脛であった。
 たまらず逃げようとする刺客、その気配と血の匂いを頼りに追って止めを刺そうとする狐侍であったが、その時のこと。

 たんっと外から障子戸が開け放たれて、室内に風がびゅるりと吹き込む。
 ひょうしにまき散らされた砂や灰らがふたたび舞い上がったもので、狐侍はとっさに鼻と口元を腕で庇い、目も閉じた。
 時間にすれば寸の間にも満たない。
 けれども、そのわずかな間に按摩の老人に扮していた刺客は、消え失せていた。
 見事な逃げ足……といいたいところではあったが、床には血の跡が点々と。
 血の跡は廊下をまたいで、中庭を横断し、裏木戸へと向かっていた。

  ◇

 いまにも千切れそうな左足を引きずり、どうにか宿を脱出するも、息も絶え絶えとなっていたのは、按摩の老人に扮した刺客の土竜である。
 川近くの木陰に身を潜め、とりあえず傷口を縛って応急の手当をしていたものの、その形相は憤怒に染まり、屈辱と怒りによっていまにも爆発しそうであった。
 そんな土竜に近づき「あんまりかっかしなさんな。そんなんじゃあ、止まるもんも止まりやしないよ」と言った女は、朧一家の紅一点である麻霧(あさぎり)である。
 今回は土竜の仕事の裏方として、いろいろ動いていた。
 やられそうになった土竜を逃がす手引きをしたのも彼女であった。

「……すまねえ、助かった。恩に着る」
「なぁに、かまいやしないよ。それにかえって運ぶ手間がはぶけたから、特別に許してあげる」
「運ぶ手間?」

 意味がわからず訊ねようとした土竜であったが、それはかなわない。
 顔をあげたひょうしに、ばっくりと裂けたのは土竜の喉であった。
 切り裂いたのは麻霧が手にしていた扇である。開いた扇の縁には剃刀が仕込まれており、それによる一閃であった。
 驚愕に目を見開き「なっ、どう……し……て……」との土竜に、麻霧が冷たい目を向ける。

「どうしても何も、あんたを逃がしたのは助けるためじゃない。はなからこのつもりだったのさ。下手に捕まってうちらのことをべらべらとしゃべられたら困るからね。それに朧一家に負け犬はいらないよ」

 動かなくなった土竜の襟を掴んで引きずり、いまだに水嵩が減っていない川へと叩き落とす。

「やれやれ、力仕事は嫌いだよ」

 と麻霧がぼやくも、塵(ごみ)を片付けたところでにへらと淫靡な笑みにて舌舐めずり。

「……にしてもあの男、九坂藤士郎っていったっけか。いい男じゃないの。ひさしぶりにぞくぞくしちゃった」

 長身痩躯にて垂れ柳っぽい見た目で、普段はちょっと頼りなさげだが、ひとたび小太刀を抜けば豹変する。
 目つきも雰囲気もがらりと変わる。
 さっきは土竜に酷いことを言ったものの、もしも並の者であれば左足どころか両足を撫で斬りにされていたことであろう。まるで雷光のごとき鋭い一太刀であった。
 こっそり盗み見ていた狐侍の戦いっぷりを思い出し、麻霧は恍惚とした表情を浮かべていた。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

高槻鈍牛

月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。 表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。 数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。 そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。 あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、 荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。 京から西国へと通じる玄関口。 高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。 あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと! 「信長の首をとってこい」 酒の上での戯言。 なのにこれを真に受けた青年。 とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。 ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。 何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。 気はやさしくて力持ち。 真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。 いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。 しかしそうは問屋が卸さなかった。 各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。 そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。 なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

散らない桜

戸影絵麻
歴史・時代
 終戦直後。三流新聞社の記者、春野うずらのもとにもちこまれたのは、特攻兵の遺した奇妙な手記だった。

処理中です...