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其の三百三十三 按摩の老人
しおりを挟む宿屋の店主がさがってふたりきりとなったところで、藤士郎は軽率な少年にちょいと苦言をしようとするも、長七郎の顔色を見てはっとする。
唇が真っ青になっていた。
肌も異様に白くなっている。そのくせ変な汗もかいており、火照りもあるようだ。
藤士郎は少年のその姿に、迂闊なのは自分の方であったと恥じ入る。
なにせ長七郎は刺客に襲われ命の危険に晒されたばかりか、やむをえない仕儀にて初めて人を殺めたばかり。その後もほとんど休むことなく、雨に濡れながら山道を急ぎここまできた。
慣れぬ旅の空の下、ずっと続く緊張……心身ともにかなり疲弊している。
平気でいられるわけがない。
やたらとむきになっては膨れてみたり、ふらふら増水した川に近寄ったり、渡し守に叱られたらたちまちしゅんとしたり、不用意に相部屋を了承したり……。
不調を訴える合図は幾度も発せられていた。
だというのに、藤士郎はちっとも気がつけなかった。斬ったはったの方ばかりに目がいってしまっていた。粗忽にもほどがある。預かっている荷が生身の人間だということをすっかり忘れていた。
つい自分や自分の周囲にいる者たちを目安にして考えてしまっていた。そもそもの話として、藤士郎の周りにいるのは良くも悪くも癖の強い者ばかり。
そんな連中と年端もいかぬ少年を同列に並べていたのが誤りであった。
藤士郎はおおいに反省する。
◇
心身ともに冷え切っていた長七郎を連れて、ひとっ風呂浴びてきた。命の洗濯だ。
ここは湯が豊富に湧いており、やや熱めながらも源泉かけ流しの風呂は、疲れた体には格別のご馳走であった。
上気しつつ部屋に戻ると、隅っこに老人がちょこんと座っていた。
相部屋の客だ。宿の店主には自分たちが風呂に行っている間に、部屋にあげてもらって構わないと伝えていた。
「このたびはお情けを頂戴し、ありがとうございます。ご覧のとおり手前はめくらの按摩にて、出来ることといったら固くなった体を揉みほぐすことぐらい。もしよろしければお礼代わりに、ひと揉みさせてくれやしませんか」
きちんと手を付き、礼を述べる老人はしわくちゃの顔をした猿のようであった。
ありがたい申し出である。
しかし藤士郎は按摩があまり得意ではない。他人さまに体をまさぐられると、どうにもくすぐったくなってしまう。
では、長七郎の方はどうかというと、こちらはまだ子どもだ。若いがゆえに、肩こりや腰痛には縁がない。ゆえに按摩の良さがわからないもので、小さく首を振った。
だから藤士郎は「ありがたいけど遠慮しておこう。その気持ちだけ受け取っておくよ。それよりもせっかくの川止めなんだし、宿の泊り客らを相手にしてひと稼ぎしたらどうだい?」と言えば、「へえへえ」と按摩の老人は首を上下させる。その姿は赤べこの張子のようであった。
「たしかに、たしかに。では宿の主人に商売をしてもいいか、お伺いを立ててみるとしましょう。あぁ、もしも気が変わったらいつでもおっしゃってくださいな」
「ありがとう。その時は頼むよ」
按摩の老人は脇に置いてあった杖を手にして立ち上がると、部屋を出て行った。
かつん、かつん、かつん……。
廊下を遠ざかっていく杖の音。
老人が出ていくなり障子戸に張りつき、藤士郎は真剣な様子で聞き耳を立てる。
あまりの警戒ぶりに長七郎はこれを訝しむ。
「あの按摩になにか不審なところでも?」
「うーん、いや、ちょっとねえ。でも、どうやら私の気のせいだったみたいだ」
ひと稼ぎしたらいい。
なんぞと、おためごかしなことを口にしたが、体(てい)よく相部屋から按摩の老人を追っ払ったのである。
これでしばらくは戻ってこないだろう。
杖をつく音の響きは軽い……仕込み杖の類では、とてもああはいかない。
立ち上がる際の仕草や、歩く姿からして身に寸鉄を帯びていないことも明らか。
「とはいえ、その気になれば針の一本でも人は殺せるからね。念のため、長七郎の蒲団は奥の壁際に敷いて、按摩との間には私が寝るとしよう」
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