狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百三十二 川止め

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 刺客を返り討ちにして窮地を脱した藤士郎たちは、森を抜け藩境を超えた。
 けれども、長七郎はずっと憮然としている。
 原因は、藤士郎が戦いの後にとった行動だ。
 藤士郎は倒した連中の懐を漁って金子を抜いた。

「だからさぁ、何度も言ってるだろう。けっして欲に目が眩んだんじゃなくて、物盗りに見せかけた犯行と誤魔化すためだって」
「にしても、あさましい。あんなのは武士のやることじゃありません!」
「そりゃあ……まぁねえ。でもいらぬ詮議を受けて、番屋に留め置きなんてことになったら、期日内に間に合わなくなって困るじゃないか。それにいざという時に金子は役立つんだよ。軍資金は多いに越したことはない」
「っ! しかし、それでも」

 若いがゆえに潔癖なところがある長七郎は「武士たれば」とか「武家たるものかくあるべし」みたいな頑固なところがある。
 眩しいほどに真っ直ぐだ。育ちがいい。その融通の利かなさからして、よほど良家の出であることは明白であろう。
 とはいえ藤士郎は、長七郎がお世継ぎの若君とは考えていない。
 囮役に選ばれたうちのひとり……おそらくは若君の小姓か、将来の側用人候補辺りなのだろう。
 此度の仕事、自分たちを含めて七組が囮として放たれている。いや、殿さまの行列の分を合わせると八組になるのか。
 うちの、どれかが本物とのことであったが、藤士郎はこの話を鵜呑みにはしていない。
 もしかしたら全部偽物かも、と多分に疑っている。
 まぁ、それはさておいて……。
 雨に濡れそぼりながらも先を急いでいた藤士郎と長七郎は、立ち尽くし途方に暮れた。

「参ったね、まさかここで川止めを喰らうとは」
「たしかに波が多少荒れているようですが、川止めをするほどとは思えないのですが……」

 訝しんでいる長七郎は言うなりふらふら。藤士郎が止める間もなく川岸へと近寄ったところで、横合いから「馬鹿野郎っ、死にてえのかっ!」と一喝された。

「水嵩が膝下分ほども増している。水の色だって濁ってごらんの通りだ。これは上流の山の方でかなり雨が降った証拠だ。それに見た目にも騙されるな。一見、たいしたことないように見えて、水の下は荒れ狂っているからな。馬や牛だってたやすく転んでもっていかれるぐらいの流れだ。つねとはちがう渦やうねりも起こっているから、木の葉みたいな舟なんぞは、横波を受けてあっという間に引っくり返って沈んじまう」

 大きな声にて勢いよくまくしたててきたのは渡し守の男であった。
 その言葉は浅慮な長七郎に向けてというよりかは、周囲にたむろしては川止めの沙汰に不満を漏らしている者たち、みんなに向けて言い含めたかのよう。
 事実、渡し守の男のこの言葉を受けて、桟橋近くにいた者らは散ってゆく。
 公衆の面前で叱責された長七郎は、しゅんとうな垂れている。
 こういう時に、「武士の面子をつぶされた!」「恥をかかされた!」とか言って怒りださないのは、たいそう好ましい。この若者の美徳であろう。ちょっと頭が固いだけで、いい子なのである。
 なんぞとにやにやしていた藤士郎だが、あることに気がついて「しまった! ぼんやりしていた」と慌てる。

「?」

 首を傾げる長七郎に藤士郎が焦り顔で告げた。

「宿だよ、宿! 川止めなんだから、みんな今夜はここで泊まることになる。くっ、どこか残っているといいんだけど。ほら、急ぐよ」

 長七郎の手を引いて、藤士郎は早歩きとなった。
 ここは大きな宿場町ではない。宿屋の数は限られている。
 そして川の水と同じく、急に増えた客たちで町は大賑わいだ。
 川止めは早ければ一日ほどで終わることもあれば、数日にも渡って続くこともある。
 すべてはお天道さまの気分次第。
 部屋は早い者順にて、当然ながらいい部屋から先に埋まっていく。
 身分のある武士ならば、多少の我が儘は通せるだろうが、藤士郎たちはわけありのふたり連れ。あまり目立つ行動はとれぬ。

 案の定であった。
 完全に出遅れた藤士郎たちは、行く先々にて「すみません、もう空きがございません」と宿屋の者に頭を下げられるばかり。
 立て続けに三軒断わられた。こっそり宿代を上乗せすると耳打ちしても駄目であった。
 四軒目は立地が気になり無視をする。
 刺客があれで仕舞いなんてことはないだろう。襲撃されることを考えれば、三方が切り立ったような崖に囲まれている宿では、いざという時に逃げられない。泊まれればどこでもいい、というわけにはいかない。
 五軒目にして、ようやく色よい返事を貰えた。
 宿の者に部屋へと案内されて、やれやれと腰を降ろしたのも束の間のこと。

「おおそれながら」

 と遠慮がちに声をかけてきたのは宿の店主である。
 何事かとおもえば相部屋の申し出だった。
 相手は旅の按摩にて、杖がなければ歩けない盲(めし)いた老人ひとりきり。
 本日の宿屋はどこもいっぱいにて、旅は相見互いだ。
 だから状況によっては相部屋や雑魚寝なんぞは当たり前である。
 なのだけれども……。
 どうしたものかと思案していると、長七郎が義侠心を起こし「わかりました」と勝手に承諾してしまったもので、藤士郎は内心で「あちゃあ」と天を仰いだ。


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