332 / 483
其の三百三十二 川止め
しおりを挟む刺客を返り討ちにして窮地を脱した藤士郎たちは、森を抜け藩境を超えた。
けれども、長七郎はずっと憮然としている。
原因は、藤士郎が戦いの後にとった行動だ。
藤士郎は倒した連中の懐を漁って金子を抜いた。
「だからさぁ、何度も言ってるだろう。けっして欲に目が眩んだんじゃなくて、物盗りに見せかけた犯行と誤魔化すためだって」
「にしても、あさましい。あんなのは武士のやることじゃありません!」
「そりゃあ……まぁねえ。でもいらぬ詮議を受けて、番屋に留め置きなんてことになったら、期日内に間に合わなくなって困るじゃないか。それにいざという時に金子は役立つんだよ。軍資金は多いに越したことはない」
「っ! しかし、それでも」
若いがゆえに潔癖なところがある長七郎は「武士たれば」とか「武家たるものかくあるべし」みたいな頑固なところがある。
眩しいほどに真っ直ぐだ。育ちがいい。その融通の利かなさからして、よほど良家の出であることは明白であろう。
とはいえ藤士郎は、長七郎がお世継ぎの若君とは考えていない。
囮役に選ばれたうちのひとり……おそらくは若君の小姓か、将来の側用人候補辺りなのだろう。
此度の仕事、自分たちを含めて七組が囮として放たれている。いや、殿さまの行列の分を合わせると八組になるのか。
うちの、どれかが本物とのことであったが、藤士郎はこの話を鵜呑みにはしていない。
もしかしたら全部偽物かも、と多分に疑っている。
まぁ、それはさておいて……。
雨に濡れそぼりながらも先を急いでいた藤士郎と長七郎は、立ち尽くし途方に暮れた。
「参ったね、まさかここで川止めを喰らうとは」
「たしかに波が多少荒れているようですが、川止めをするほどとは思えないのですが……」
訝しんでいる長七郎は言うなりふらふら。藤士郎が止める間もなく川岸へと近寄ったところで、横合いから「馬鹿野郎っ、死にてえのかっ!」と一喝された。
「水嵩が膝下分ほども増している。水の色だって濁ってごらんの通りだ。これは上流の山の方でかなり雨が降った証拠だ。それに見た目にも騙されるな。一見、たいしたことないように見えて、水の下は荒れ狂っているからな。馬や牛だってたやすく転んでもっていかれるぐらいの流れだ。つねとはちがう渦やうねりも起こっているから、木の葉みたいな舟なんぞは、横波を受けてあっという間に引っくり返って沈んじまう」
大きな声にて勢いよくまくしたててきたのは渡し守の男であった。
その言葉は浅慮な長七郎に向けてというよりかは、周囲にたむろしては川止めの沙汰に不満を漏らしている者たち、みんなに向けて言い含めたかのよう。
事実、渡し守の男のこの言葉を受けて、桟橋近くにいた者らは散ってゆく。
公衆の面前で叱責された長七郎は、しゅんとうな垂れている。
こういう時に、「武士の面子をつぶされた!」「恥をかかされた!」とか言って怒りださないのは、たいそう好ましい。この若者の美徳であろう。ちょっと頭が固いだけで、いい子なのである。
なんぞとにやにやしていた藤士郎だが、あることに気がついて「しまった! ぼんやりしていた」と慌てる。
「?」
首を傾げる長七郎に藤士郎が焦り顔で告げた。
「宿だよ、宿! 川止めなんだから、みんな今夜はここで泊まることになる。くっ、どこか残っているといいんだけど。ほら、急ぐよ」
長七郎の手を引いて、藤士郎は早歩きとなった。
ここは大きな宿場町ではない。宿屋の数は限られている。
そして川の水と同じく、急に増えた客たちで町は大賑わいだ。
川止めは早ければ一日ほどで終わることもあれば、数日にも渡って続くこともある。
すべてはお天道さまの気分次第。
部屋は早い者順にて、当然ながらいい部屋から先に埋まっていく。
身分のある武士ならば、多少の我が儘は通せるだろうが、藤士郎たちはわけありのふたり連れ。あまり目立つ行動はとれぬ。
案の定であった。
完全に出遅れた藤士郎たちは、行く先々にて「すみません、もう空きがございません」と宿屋の者に頭を下げられるばかり。
立て続けに三軒断わられた。こっそり宿代を上乗せすると耳打ちしても駄目であった。
四軒目は立地が気になり無視をする。
刺客があれで仕舞いなんてことはないだろう。襲撃されることを考えれば、三方が切り立ったような崖に囲まれている宿では、いざという時に逃げられない。泊まれればどこでもいい、というわけにはいかない。
五軒目にして、ようやく色よい返事を貰えた。
宿の者に部屋へと案内されて、やれやれと腰を降ろしたのも束の間のこと。
「おおそれながら」
と遠慮がちに声をかけてきたのは宿の店主である。
何事かとおもえば相部屋の申し出だった。
相手は旅の按摩にて、杖がなければ歩けない盲(めし)いた老人ひとりきり。
本日の宿屋はどこもいっぱいにて、旅は相見互いだ。
だから状況によっては相部屋や雑魚寝なんぞは当たり前である。
なのだけれども……。
どうしたものかと思案していると、長七郎が義侠心を起こし「わかりました」と勝手に承諾してしまったもので、藤士郎は内心で「あちゃあ」と天を仰いだ。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる