狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百三十一 朧一家

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 初めて人を殺した……。

 加減なんて考えている余裕はなかった。無我夢中での体当たり。
 しかし人体に深々と刺さった刀が、これほど抜けにくいとは知らなかった。
 骸に足をかけてぐいと引き抜けばいいものを、そんなことすら思いつけないほどに、興奮し混乱が頭の中をかけめぐっている。
 もたついているところに新手があらわれた。
 騒ぎを聞きつけられたらしい。
 この場に留まってはいけない。すぐに逃げないと次々と追手が集まってくるだろう。
 なのに長七郎は、むきになってまだ刀を抜こうとしていた。
 武士には往々にしてあることだが、腰の物に固執する癖が悪い方へと働いた。
 得物を捨てて逃げるという考えが、微塵も思いつけなかった。

 そんな武士の子へと凶刃を引っさげた牢人者が迫る。
 視界の隅に近づく敵影を認め、長七郎はますます焦るばかり。

「ぐっ、この、固い。なんでこんなに抜けないんだよ!」

 刺されたひょうしに骸の筋肉が縮んでいるせいだ。
 だから実戦では刺した刃をわずかに捻るなり、切り下げるなりして刺傷を広げる。あるいは刺してすぐに蹴り飛ばすか、相手の身を押して素早く刃を引き抜く。
 かつて戦乱の時代では当たり前にて、太平の世となった現在でもいちおうは習うこと。流派によってはそこまでが一連の動作として技に組み込まれている。
 だが道場剣術で実際に行うことはない。そもそも竹刀や木刀は刺さらない。
 ましてや倒した相手をさらに蹴飛ばす死体蹴りなんぞは、今時の武士のすることではないからだ。

 牢人者が無言のまま刀を振りかぶる。
 絶体絶命! もはやこれまでか。
 ぎらりと光る切っ先を前にして、たまらず長七郎は目を閉じた。
 けれども直後に倒れたのは襲いかかろうとしていた牢人者の方である。
 横合いから飛んできた矢がすとんとこめかみに突き立つ。両膝から崩れ落ちて、それきりとなった。
 矢を放ったのは藤士郎である。
 敵首魁が持っていた二張りの弓、うちふつうの方を鹵獲してのことであった。

 駆け寄ってきた藤士郎が「よくがんばったね。もう大丈夫」と声をかければ、安堵した長七郎はへなへなとその場にへたり込んでしまった。

  ◇

 夜更けのとある荒れ寺にて――。
 蝋燭の灯りにてゆらめく影は八つ。
 そこへ新たに一つ、音もなく影が加わった。
 一味にて主に斥候や伝令役をしている者。名を雉丸(きじまる)といい、元忍びであった。

 雉丸より報告を受けて、首領が「ほぅ、鵜月(うづき)が敗れたか」とつぶやく。
 とたんに場がざわり、堂内の空気が緊迫感を帯び殺気がいっきに膨れあがった。
 仲間を殺されて一味の者たちがいきり立つ。
 鵜月は異端の射手だ。既存の弓道を否定し、独自の工夫にて巨大な強弓を自在に操り、つねの弓矢ではありえない威力と百発百中の腕前を誇る。
 殺しを生業とする朧一家の中でも、飛び道具を遣わせたら右に出る者はいない剛の者、それが返り討ちにされた。

「よほどの腕利きを雇ったらしいな。もしや、加賀藩の武仙候か?」

 一味のうちのひとりが問えば、雉丸は首を振る。

「……ちがう。垂れ柳みたいなひょろりとした若造だ。だが強い。鵜月だけでなく、奴が雇った牢人ら六人をひとりで血祭りにあげていた」
「へえ、お荷物を抱えてるのにやるねえ。ちなみに得物は?」

 と別の仲間が訊ねれば雉丸は「小太刀」と答えた。
 これには首領以外の全員が怪訝な表情となる。
 なぜなら剣術の諸流派において、小太刀を使うことはあれどもあくまで副次的にて、どこまでいってもおまけ扱い。小太刀のみで戦うというのは、とんと聞いたことがなかったからである。

「小太刀術といえば京八流の流れをくむ中條流平法か」
「あるいは富田流あたりだろう。たしか、あれにも小太刀の教えがあったはず」
「鐘捲流もあるぞ。しかし、それほどの腕前ならば、もっと世間に知られていてもおかしくはないだろうに」
「表に出ていないとなれば、こちらとご同業ってことは?」
「嘉谷藩がこっそり飼っている狗とか」
「いや、あの藩にそんな気の利いた者はおらぬはず……」

 各々あれこれ心当たりを言い合っては「う~ん」と首をひねっている。
 すると「無類の小太刀の遣い手、よもや伯天流か――」とつぶやいたのは首領の男。ただし、それは口の中だけのことにて、すぐ側にいた雉丸以外の耳には届かなかった。
 首領の暗い双眸をちらりとして、雉丸は聞こえなかったふりをする。瞳に宿る妖しい光がつねの比ではない。つぶやいた声のなんと禍々しいことか。
 伯天流と首領の間には何やら因縁があるらしい。
 だが迂闊に触れれば、己の身が危うい。そう判断し雉丸は口をつぐんだ。


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