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其の三百十八 砂糖水売り
しおりを挟む「ひゃっこーい、ひゃっこい」
売り詞(ことば)にて神田界隈をうろついているのは、砂糖水売りの棒手振り(ぼてふり)である。
砂糖水売りは、清冷の泉を汲み白糖をまぜた物を一椀六文で売る商い。客の好みで甘さを足す場合には、八文、十二文と値をあげる。
長身痩躯にてほっかむりをしている棒手振りは、まだこの商いをはじめて日が浅いのか、荷を担ぐ姿がいまひとつ様になっておらず、足取りが怪しい。そのせいでときおり中身が暴れて波打ちぴしゃり、桶から零れた水が地面に染みを作っている。
そんな棒手振りのかたわらには、一匹の福福しい黒銀縞の猫がいた。
棒手振りがひょこひょこ歩きながら、六兵衛長屋の周辺をしばらくうろついていると、急に猫が立ち止まって周囲をきょろきょろしてから、にへら。「にゃあ」とひと鳴き。
猫と目が合った棒手振りは小さくうなづき、神田は西の方へと向けて歩き出した。
この棒手振りは藤士郎が扮したもの、猫は銅鑼であった。
砂糖水売りに化けて、白の「お犬さま」をおびき出し、とある場所へと誘い込むという算段である。なお堂傑はあちらで準備万端、待ちかまえている。
「あいかわらず気配だけで姿がちっとも見えねえ。だが、確実についてきている。おれは先に行って堂傑に報せてくるから、藤士郎はそのまま奴を連れてこい」
「わかったよ。じゃあ、またあとで」
そばを離れた銅鑼は、さっと近くの路地へと入っていった。
横目にそれを見送った藤士郎は「ひゃっこーい、ひゃっこい」と声を発し、素知らぬ風にて歩き続ける。
◇
白の「お犬さま」を捕獲するために必要な物は揃えた。
あとは誘い込む場所だけ。だがそう都合のいい場所がない。
その問題を解決してくれたのは近藤左馬之助であった。
左馬之助は定廻り同心をしている。何かの用事で神田に出向いているところを、藤士郎たちとばったり出くわす。何度か怪異絡みで大変な目に合っている左馬之助は、藤士郎と堂傑という珍しい組み合わせをひと目するなり、慌ててきびすを返して逃げようとするも、すかさずその背に「にゃーっ」と飛びついたのは銅鑼であった。これに続いて背後から左馬之助の肩にぽんと手をかけ「やあ、ちょうどいいところであったよ。ちょいと知恵を借りたいんだけど」と藤士郎もにこり。
で、かくかくしかじか。
事情を説明して「どこか手頃な場所に心当たりはないかしらん?」と相談してみたところ、左馬之助は「あぁ、それならちょうどいい所があるぞ」と言って、あっさり教えてくれたのは、とある武家屋敷であった。
その屋敷は神田の西の一角にあった。
元はさる大身の住まいにて、いまは無人となっている。
じつは屋敷内にて派手な刃傷沙汰が起きて、お家は廃絶されてしまったのだ。
それがとんだ醜聞にて、じつの父親と息子が、息子の嫁を巡ってとち狂い、郎党をも巻き込んで斬り合ったというのだから呆れる話である。
息子の嫁に夢中になって溺れる父親は論外、そんな父親に激怒した息子の気持ちはわからなくもないが、惚れた相手が……というか嫁なのだが、それがとんだ毒婦にて。
求められるままに嬉々として義理の父に躬を委ねたというから、とんだ好きもの。
ばかりか、そのことを夫から詰られると、嫁は臆面もなくこう言ったという。
「あら? あなたとお義父さま、どちらのお子を宿したとて、御家安泰で血筋も問題はないでしょう」
あまりにも酷い話。
なので、表向きにはそろって病没の上で、跡目の諸手続きに不備があり、廃絶となったということにしてある。
そんないわくのある屋敷なので誰も住みたがらず。放置されてひさしい。
外見は立派な屋敷にて、隙間だらけの九坂宅よりもよほど造りがしっかりしている。
その屋敷ならば、口利をしてやると左馬之助が言ったもので、藤士郎たちは渡りに舟とばかりにお願いした。
◇
いつもは閉じられいる武家屋敷の門が開いている。
この家について知っている近所の者たちは訝しむも、昼間のことである。おおかた家を預かる者が様子を見に来たか、風でも通しに来たのだろうと考え、すぐに気にしなくなった。
門の中へと棒手振りが入っていく。
これに白の「お犬さま」とおぼしき気配も続く。
その様子を敷地内の物陰から見ていた銅鑼が「いまだ」
合図にて門がゆっくりと閉じられた。閉じたのは中間(ちゅうげん)のふたりである。
ただし、この中間は人間ではない。堂傑の術によって動かされている式神であった。
一方で棒手振りに扮した藤士郎が向かっていたのは、屋敷の屋内ではなくて裏の方である。
棒手振りに扮して相手をおびき出すのが、策の第一段階。
神田の東から西へと連れてきて、屋敷の敷地内へと誘い込むのが、策の第二段階。
屋敷の裏庭にある蔵へと閉じ込めるのが、策の第三段階。
いよいよ大詰めにて、ついに白の「お犬さま」の御姿が明らかとなる。
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