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其の三百十一 裏の裏の裏
しおりを挟む藤士郎と若だんなが工面した金子の分よりも、花火は景気よく打ち上げられている。
これについて「心配いらない」と元締めは言った。
「いやね。せっかく差し上げた大枚を何に使うのかと見張っていたら、まさか花火をど~んと打ち上げるというじゃありませんか。
しかも、自分の身内のためでもなければ、惚れた女のためでもない。たまさか関わることになった、人形に憑いている娘っ子を成仏させるためにですよ。
くくく、こんな酔狂な話、聞いたことがない」
元締めは愉快そうに肩を震わせる。
「ですが嫌いじゃないですよ、そういうの。
我々はこんな稼業に身を置いておりますから、いろいろと誤解されやすいのですが、これでも江戸の水に馴染んだ者ですからねえ。気風のいい漢と花火と聞いちゃあ黙ってはいられません。
そこで些少ですが、心づけをさせていただきました」
どうやら話を聞きつけて、こっそり援助をしてくれていたようである。
にしても、いったいいくら払ってくれたのやら。
ありがたいけれども、聞くのがちと怖い。
なんぞと藤士郎が考えていたら、元締めがにぃと片笑む。
「もっとも、そう考えたのは我々だけではなかったようですけどね」
「えっ、それはどういう……」
「おや、まだ気づきませんか。先ほどご友人が仰っていたではありませんか」
「友人……って、ああっ!」
そういえば先ほど、左馬之助が言っていたではないか。
『さすがは田沼さま』と。
とどのつまり、すべては御上に筒抜けであったのだ。
藤士郎らが考えなしに花火屋を訪ねて仕事を頼んだことなんぞは、とっくにお見通し。
なにせ花火屋は大量の火薬を扱うがゆえに、御上との繋がりは深く、また裏稼業とも縁があるもので、見知らぬ怪しい者が出入りをすれば、すぐに報告があがる。
それこそ九坂家や銀花堂へ役人どもが押しかけて、問答無用でふん縛られてもおかしくない状況であったのだ。
なのに役人は動かず。それどころか見過ごし、逆に後押しするほど。
では、その目的は?
それは田沼意次もまた無類の花火好きなことと、ご政道への不満をそらすため。
江戸っ子はわりと単純だ。好き嫌いがはっきりしている。小馬鹿にされたら二本差し相手にも怯むことなく「べらんめえ」と噛みつく。でも逆に粋なはからいをされたら、たちまち機嫌を直し褒めそやす。
だから御上は今回の一件に便乗することにしたのだ。
ばかりか、ごっそり手柄を横取りし、自分たちの権力をより強固にするのに役立てた。
すべてはご老中の手のひらの上であったのだ。
裏稼業の元締めもおっかないが、ご老中はもっとおっかない。
どどん! どん! どん! どん!
夜空にて花火が盛大に爆ぜるのを眺めながら、藤士郎は「ははは、参ったね、こりゃあ」と頭をぼりぼり掻いた。
◇
ひゅるるるる~。
等間隔にて七つの花火が同時打ち上げられた。
どんぴしゃ横並び、そのまま上空へと行ったところで、一斉に爆ぜる。
とたんにあらわれたのは光の名滝である。
しだれ柳とも呼ばれる錦冠菊に、さらなる工夫を施した締めの大仕掛け。
見物客たちは息を飲み、歓声や拍手を送るのも忘れて、ただただ見惚れていた。
最後の大花火が終わり、夜の静寂が戻ってくる。
隅田川の風に乗ってほんのり漂ってくる火薬の名残り、それを感じながら余韻に浸りつつ、両国橋に集っていた者たちが散っていく。
近藤一家も親子三人手を繋ぎ帰路につく。
裏稼業の元締めと女中もいつの間にか消えていた。
やがて橋の上には藤士郎たち以外、誰もいなくなった。
そして――。
「ありがとう。あたいもそろそろ逝くね。あっ、そうだ! もしも今度生まれ変われたら、お礼にどちらかのお嫁さんになってあげてもいいわよ」
なんぞと照がませたことを言うなり、ふっと市松人形からひと筋の白い煙が立ち昇り、夜空に消えた。
とたんに若だんなは「あっ」抱いていた人形が少し軽くなったもので驚いた。
「逝ってしまいましたねえ」
ここのところ賑やかで大変だったけれども、毎日がお祭りみたいで楽しかった。それが終わってしまい、藤士郎はしんみり。
「ええ、逝ってしまいました」
若だんなもちょっと寂しそう。
だが物言わなくなった人形を見つめつつ「……にしても、お照ちゃんも無茶を言う。あの子がすぐに生まれ変わったとて、大きくなる頃には、こっちはとっくにお爺ちゃんですよ」なんぞとおちゃらけたもので、藤士郎も「たしかに」とぷぷぷと吹き出した。
欄干の上に乗っていた銅鑼も「にしし」と笑う。
「だがこの縁の糸――随分と丈夫そうだし、案外、まことになるかもしれんなぁ」
銅鑼は若だんなの方に意味深な流し目をくれた。
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