309 / 483
其の三百九 裏の裏
しおりを挟む「――貴女がどうして」
彼女は裏稼業にどっぷり浸かっている人間だ。
ここにきて怪しい筋の者があらわれた。
訝しむ藤士郎、いつでも腰背の小太刀を抜けるよう警戒を強める。
そんな狐侍に女はくすりと笑みを浮かべ、こう述べた。
「ご不審なのはごもっとも。ですが、いまは何よりお連れさまの身の安全こそが大事なのでは? けっして悪いようにはしませんから、どうぞついてきてください」
どうやら逃亡の手引きをしてくれるらしい。
だが助ける理由がわからない。それに相手が相手だ。この借り……とても高くつきそうな気がする。
ちらりと若だんなと照を見てから、藤士郎が足下にいる銅鑼へと目を移せば、こちらを見上げたでっぷり猫がにぃと笑う。「どうせどん詰まり、相手の意図なんざ、行けばわかるさ」ということか。
他に選べる道はなさそうである。
藤士郎は覚悟を決めた。
「……ふぅ、わかったよ。それじゃあ頼めるかい」
「はい、たしかに承りました。では、こちらへ」
言うなり女が歩き出したもので、藤士郎たちもそれに続いた。
◇
さすがは裏稼業の女、裏道にも通じており、誰にも見咎められることなく藤士郎たちは浅草寺界隈から脱出することに成功する。
吾妻橋のたもとからは小舟に揺られ、隅田川を下っていく。
ゆっくりと浅草が遠ざかっていく。その頃にはもう陽はとっぷり暮れていた。
おもわぬところで舟遊びを体験することになったもので、照がはしゃいでいる。それをなだめている若だんな、銅鑼は舳先に立ち涼んでいた。
それらを横目に藤士郎は女に声をかける。
「ねえ、そろそろ種明かしをしちゃあくれないかい」
どうして彼女があそこにいたのか? たまさかなのか、それともなんらかの意図があって接触してきたのか。
すると女はこともなげに言った。
「じつはここしばらく、九坂さまの動向を探らせてもらっておりました」
「えっ、嘘だろう。ちっとも気がつかなかったよ」
藤士郎は愕然とし、それと同時に戦慄も禁じ得ない。
なぜなら自分だけでなく、あの銅鑼にも気がつかれていなかったからである。
おそらくは、ばれないぎりぎりを見極め、己の気配を散らし、つかず離れず、こちらの視界の内にも入らないように細心の注意を払っていたのであろう。
でなければ藤士郎たちを欺けるわけがない。
とんでもない隠形の技である。伊達に裏稼業の元締めのそばにいるわけじゃないということか。
だがしかし……。
藤士郎は「はて?」と首を傾げる。
「貴女たちに探られるようなことなんて、したっけかなぁ」
妖怪骨牌の一件にて裏柳生やら殺し屋連中と揉めて以降は、なにげに怪異絡みのことが続いていた。それすなわち裏稼業の連中が気にするようなことはしていないということ。
まるで心当たりがない。藤士郎が眉根を寄せる。
そんな狐侍に女は目を細める。
「いえね、うちの元締めが気にしていたのは、少し前に九坂さまが奇妙な依頼を出したことでして」
「奇妙な依頼?」
「はい。ほら、季節外れなのに花火を作ってくれるよう、職人に手配をなさっていたでしょう」
「あーあれかぁ、あれにはいろいろ事情があって」
「みなまで言わずともわかっておりますから。にしても、ずいぶんと粋な真似をなさると、うちの元締めがたいそう褒めておられましたよ」
人形に憑いている照がやりたいことにあげたうちのひとつに、両国橋での花火見物というのがあった。
だが女が言ったように時期がちょいとずれている。
ならば自分たちで花火を上げるのはどうか。でもそこで問題となるのが、打ち上げにかかる金子である。
はっきり言って、花火はべらぼうに高い。
ゆえにおいそれと頼める代物ではないのだけれども、そこでぽんと金子を出したのが藤士郎である。
じつは九坂家には死蔵されていた蓄財があった。
近々では焚書の術絡みの仕事で得た報酬、裏稼業の連中と揉めたときに貰った口止め料、抜け荷騒動のおりに河童がくすねて持ち込んだ小判などなど。
出所が怪しかったり、手に入れた経緯が怪しかったりで、世間体やら心情として使うのがはばかられる金子たち。気づけばけっこう溜まっていた。
いい機会だから、照の供養ともども、これらもいっきに吐き出して成仏させてしまおうと藤士郎は考えた。
ぶっちゃけ、分不相応な大金が自室の押し入れに転がっているせいで、ちっともくつろげないというのが本音であったのだが……。
「にしても、私が花火を頼んだのがよくわかったねえ」
「ふふふ、物が物ですからね。こちらの稼業とも満更関係がないわけじゃありませんから」
そればかりか、なにげに藤士郎の金回りについて、折に触れて調べていたそうな。
目的は、渡した大金で身を持ち崩すことで、たやすく自陣営に引き込めるから。
人というのは、いったん味をしめると中々抜け出せなくなるものなのである。
「だというのに九坂さまときたら、あいもかわらずの慎ましい暮らしぶり。つけ入る隙がまるでありませんでしたわ」
女がさらりととんでもないことを口にしたもので、藤士郎はぎょっ!
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる