狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百九 裏の裏

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「――貴女がどうして」

 彼女は裏稼業にどっぷり浸かっている人間だ。
 ここにきて怪しい筋の者があらわれた。
 訝しむ藤士郎、いつでも腰背の小太刀を抜けるよう警戒を強める。
 そんな狐侍に女はくすりと笑みを浮かべ、こう述べた。

「ご不審なのはごもっとも。ですが、いまは何よりお連れさまの身の安全こそが大事なのでは? けっして悪いようにはしませんから、どうぞついてきてください」

 どうやら逃亡の手引きをしてくれるらしい。
 だが助ける理由がわからない。それに相手が相手だ。この借り……とても高くつきそうな気がする。
 ちらりと若だんなと照を見てから、藤士郎が足下にいる銅鑼へと目を移せば、こちらを見上げたでっぷり猫がにぃと笑う。「どうせどん詰まり、相手の意図なんざ、行けばわかるさ」ということか。
 他に選べる道はなさそうである。
 藤士郎は覚悟を決めた。

「……ふぅ、わかったよ。それじゃあ頼めるかい」
「はい、たしかに承りました。では、こちらへ」

 言うなり女が歩き出したもので、藤士郎たちもそれに続いた。

  ◇

 さすがは裏稼業の女、裏道にも通じており、誰にも見咎められることなく藤士郎たちは浅草寺界隈から脱出することに成功する。
 吾妻橋のたもとからは小舟に揺られ、隅田川を下っていく。
 ゆっくりと浅草が遠ざかっていく。その頃にはもう陽はとっぷり暮れていた。

 おもわぬところで舟遊びを体験することになったもので、照がはしゃいでいる。それをなだめている若だんな、銅鑼は舳先に立ち涼んでいた。
 それらを横目に藤士郎は女に声をかける。

「ねえ、そろそろ種明かしをしちゃあくれないかい」

 どうして彼女があそこにいたのか? たまさかなのか、それともなんらかの意図があって接触してきたのか。
 すると女はこともなげに言った。

「じつはここしばらく、九坂さまの動向を探らせてもらっておりました」
「えっ、嘘だろう。ちっとも気がつかなかったよ」

 藤士郎は愕然とし、それと同時に戦慄も禁じ得ない。
 なぜなら自分だけでなく、あの銅鑼にも気がつかれていなかったからである。
 おそらくは、ばれないぎりぎりを見極め、己の気配を散らし、つかず離れず、こちらの視界の内にも入らないように細心の注意を払っていたのであろう。
 でなければ藤士郎たちを欺けるわけがない。
 とんでもない隠形の技である。伊達に裏稼業の元締めのそばにいるわけじゃないということか。
 だがしかし……。
 藤士郎は「はて?」と首を傾げる。

「貴女たちに探られるようなことなんて、したっけかなぁ」

 妖怪骨牌の一件にて裏柳生やら殺し屋連中と揉めて以降は、なにげに怪異絡みのことが続いていた。それすなわち裏稼業の連中が気にするようなことはしていないということ。
 まるで心当たりがない。藤士郎が眉根を寄せる。
 そんな狐侍に女は目を細める。

「いえね、うちの元締めが気にしていたのは、少し前に九坂さまが奇妙な依頼を出したことでして」
「奇妙な依頼?」
「はい。ほら、季節外れなのに花火を作ってくれるよう、職人に手配をなさっていたでしょう」
「あーあれかぁ、あれにはいろいろ事情があって」
「みなまで言わずともわかっておりますから。にしても、ずいぶんと粋な真似をなさると、うちの元締めがたいそう褒めておられましたよ」

 人形に憑いている照がやりたいことにあげたうちのひとつに、両国橋での花火見物というのがあった。
 だが女が言ったように時期がちょいとずれている。
 ならば自分たちで花火を上げるのはどうか。でもそこで問題となるのが、打ち上げにかかる金子である。
 はっきり言って、花火はべらぼうに高い。
 ゆえにおいそれと頼める代物ではないのだけれども、そこでぽんと金子を出したのが藤士郎である。

 じつは九坂家には死蔵されていた蓄財があった。
 近々では焚書の術絡みの仕事で得た報酬、裏稼業の連中と揉めたときに貰った口止め料、抜け荷騒動のおりに河童がくすねて持ち込んだ小判などなど。
 出所が怪しかったり、手に入れた経緯が怪しかったりで、世間体やら心情として使うのがはばかられる金子たち。気づけばけっこう溜まっていた。
 いい機会だから、照の供養ともども、これらもいっきに吐き出して成仏させてしまおうと藤士郎は考えた。
 ぶっちゃけ、分不相応な大金が自室の押し入れに転がっているせいで、ちっともくつろげないというのが本音であったのだが……。

「にしても、私が花火を頼んだのがよくわかったねえ」
「ふふふ、物が物ですからね。こちらの稼業とも満更関係がないわけじゃありませんから」

 そればかりか、なにげに藤士郎の金回りについて、折に触れて調べていたそうな。
 目的は、渡した大金で身を持ち崩すことで、たやすく自陣営に引き込めるから。
 人というのは、いったん味をしめると中々抜け出せなくなるものなのである。

「だというのに九坂さまときたら、あいもかわらずの慎ましい暮らしぶり。つけ入る隙がまるでありませんでしたわ」

 女がさらりととんでもないことを口にしたもので、藤士郎はぎょっ!


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