狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百八 遁走中

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 芸を小馬鹿にされる。
 いらぬ茶々を入れられ、舞台をかき回される。

 ともに芸事に携わる者がいっとう嫌う行為だ。
 そして各地を転々とする旅芸人の一座の者たちなのだが、じつは鼻っ柱がたいそう強かったりもする。
 人前に立って芸をする度胸もさることながら、行く先々にて興行を仕切っている地回りと渡り合い、ときにちょっかいを出してくる三一(さんぴん)らをあしらい、あるいは道中にて山賊なんぞと遭遇することもあるから、愛想がいいだけではやっていけないのだ。また修行僧ばりにあちらこちらを旅するもので、自然と心身が鍛えられてもいる。

 腹話術師からの訴えを受けて、座長および仲間たち全員の目の色がたちまち変わった。
 その剣呑なことといったら……。
 これではとても穏便にはすませられそうにない。
 だから藤士郎は若だんなを連れて、すぐさま見世物小屋から逃げ出したのだけれども――。

「おいっ、待てや、こら!」
「てめえ、ふざけやがって!」
「簀巻きにして大川に放り込んでやる!」
「逃がすか!」
「落とし前をつけやがれ!」

 もの凄い剣幕で罵りながら追いかけてくる一座の男たち。
 追いつかれまいと逃げる藤士郎ら。だが若だんなと照を連れているので、狐侍もつねのような逃げ足は発揮できず。
 ならばと、どうにかして浅草寺界隈の人混みにまぎれようとするも、騒動を面白がる者らがやたらと囃し立てては、「ほれ、あっちに行ったぞ」「ぐずぐずするな、向こうに逃げたぞ」「おい、そこの物陰に隠れているぞ」なんぞと余計なことを言う。
 ばかりか、追いかけている男たちから事情を聞いたご同業の者らが「なぬ? せっかくの舞台を台無しにされただと! そいつは不逞野郎だっ」と我がことのように怒っては、いっしょになって追手に加わるものだから、気づけば周囲が敵だらけという状況に!

「参ったね、とんだ追いかけっこになっちまったよ」
「しかも周囲は鬼だらけってな。どうする? いっそのこと分かれて逃げるか?」
「う~ん、そうしたいのは山々なんだけど。私たちはともかく若だんなをひとりにしたら、きっとすぐに捕まっちまう」

 藤士郎と銅鑼はひそひそ相談する。
 その若だんななのだが顔は真っ青だ。「ひぃはぁ」と肩で息をしては、いまにも倒れそう。
 比べて、騒ぎの発端となった照はきゃっきゃと騒動を愉しんでいるのだから、なんとも肝っ玉が据わっている。

  ◇

 物陰からそっと様子を伺い、藤士郎は「やはり駄目か」と嘆息した。
 場所は浅草界隈の入り口である雷門の近くである。
 どうにか追手を撒きつつ、ここまでは辿り着いたものの、ひと足遅かった。地回りの破落戸どもがうろうろしては、人の出入りに目を光らせている。その中に、あの一座にいた者も混じっている。
 おそらくあの破落戸どもは一帯を差配している地回りの手の者だ。盛り場でのよろず揉め事の仲裁は地回りの領分だ。おおかた座長から「所場代を払っているんだから、その分仕事しろ!」とでも発破をかけられたのであろう。

「どうしましょう」

 すっかり弱り顔の若だんな。
 藤士郎はそれには答えず、空を見上げ「急がないとまずいね」とぼそり。
 はや陽が傾きつつある。ばかりか少し雲も出てきた。空気もほんのり湿り気を帯びている。雨が降るかもしれない。
 いかに浅草が東国きっての盛り場とて、日が暮れれば賑わいも仕舞いだ。ましてや雨が降り出せば、参拝客らは見物を切り上げて早々に帰路につくだろう。それこそ潮が引くようにして境内から人がいなくなる。
 良くも悪くも大勢の人の目があるから、追跡がこの程度ですんでいるが、無くなればきっと箍(たが)が外れる。多勢に無勢にて、相手はすっかり頭に血がのぼっている。刃傷沙汰にでもなったら、それこそ目も当てられない。

「こうなったら少々骨が折れるけど、瓢箪池の方から抜けるしかないか」

 じつは浅草寺界隈は湿地にて池が多い。瓢箪池もそのひとつだ。名前の由来はそのまんま、見た目が瓢箪の形をしているからである。
 ぬかるんだ場所を抜けるのは大変だが、背に腹はかえられぬ。泥にまみれるぐらいはしょうがない。
 とはいえ、あんな場所で囲まれたら、それこそ万事休す。
 藤士郎は口をへの字に結んでは「う~ん」と考え込む。

 その時のことであった。
 周囲の警戒にあたっていた銅鑼の目つきがきっと鋭くなって、最寄りの松の木へと向いたもので、藤士郎もすぐにそちらを見た。
 すると両手をあげて争う意思がないことを示しながら、女がひとり、木陰より姿をあらわした。

「ご無沙汰しております。九坂さま」

 挨拶されるも藤士郎は「げっ」と軽くのけ反った。
 なぜなら彼女は、裏稼業の元締めと思しき老爺に付き従っていた、女中だったからである。


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