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其の三百七 人形喧嘩
しおりを挟む人形と猫を連れた藤士郎と若だんなたちが立ち寄った見世物小屋は、一座の者たちが人形を使った浄瑠璃や、手妻(てづま)と呼ばれる奇術の類、からくり芸などを披露するものであった。
とはいえ木戸銭が三十二文なので、舞台の出来についてはそれなりに……。
当たりはずれは、この手の見物にはつきもの。いちいち目くじらを立てるのは野暮にて、面白ければ拍手喝采、つまらなくとも野次を飛ばしてげらげら腹を抱えて馬鹿笑い。それがこの手の見世物の楽しみ方というものだ。
人形浄瑠璃はまぁまぁ、手妻の種が脇から丸見えだったのはご愛敬、からくり人形が放った矢が五尺ほども離れた的に当たれば、やんやと客を大盛り上がり。
芸のまずさは数で押し切るとばかりに、次々と続く演目たち。でも、これはこれでちょっと得をしたような心持ちになるから不思議である。
問題が起きたのは人形を抱いては、これと話し、客弄りなんぞを交えつつ、どっと笑いを掻っ攫う腹話術なる見世物が行われていたときのことである。
演者が使っていたのは頑固そうな老侍を模した人形――おそらく天下のご意見番として名を馳せた大久保彦左衛門のつもりなのだろうが、これがなかなか気の利いた毒舌ぶりにて、世相をばっさばっさと斬っては、おおいに場を沸かせていたのだけれども、ちょいと盛り上がり過ぎたのか客のひとりが悪のりしてこう言った。
「にしても、まずい面(つら)のお侍だねえ。比べてこちらのべっぴんさんなことといったら。よくもまぁ、そんな面で人前に出れたもんだ。不忍池の水で顔を洗って出直しな!」
居合わせた客たちの首が一斉にぐりんと回って、視線が舞台からこちらを向く。
べっぴんさんと言われたのは若だんなが抱いている照であった。
で、人形に憑いている身とはいえそこはそれ、うら若き娘っ子である。褒められればうれしいらしく、つい「いやん」と答えて身をよじった。
するとこれを見た客たちが、どっと笑っておおいに持て囃す。
傍目には若だんながとっさに機転を利かせて、芸をしたように見えたのである。
これには若だんなと藤士郎は内心でひやひやもの。周囲にばれたら大事(おおごと)だ。
なのに照ときたら囃し立てられて、ちょっと舞い上がってしまったらしい。勝手に客たちの歓声に手を振って応えたりするもので、藤士郎が慌てて止めようとする。でも、そんな彼らの掛け合いすらもが、受けてさらなる笑いを産むから困る。
ただし、笑っていない者がひとりだけいた。
それは舞台の上にいる腹話術の人形使いである。
ぴきりとこめかみに青筋を立てて、けっして客前ではみせてはいけない形相となる。
なにせ完全にお株を奪われたようなもの。舞台を邪魔されたので、すっかりお冠。
「やいやいやい、黙って見てたら調子に乗りやがって。人形連れの妙な客がまぎれ込んでいるとはおもったが、さてはご同業だな? 人の舞台を台無しにしやがって、いったいどこの回しもんだ!」
と、老侍の人形が腰の刀に手をかけて怒鳴った。
どうやら同業者の嫌がらせだと誤解をされてしまったらしい。
非はこちらにある。だから若だんながすぐに誤ろうとするも、それよりも先に口を開いたのが照である。
「へん! こちとらただの素人よ。そんな素人にやられちまう、へっぽこ侍の方がどうかしているわ」
照が冥婚にて結ばれた相手は侍であったのだが、どうにも反りが合わなかったもので離縁している。つねの婚姻とはちがうので、年齢やら身分のことなどの細かいことはさておき。
そのせいで侍にあまりいい印象を持っていない。とくに人の話をろくに聞かない、いばりんぼうの頑固一徹みたいなのは大嫌い。
あとちょっとませているとはいえ、照はまだ九つの娘である。
ともすれば理よりも先に感情が出る。
つい思いのままに威勢のいい啖呵を切ったもので、これを抱いている若だんなは「ぎょっ!」
おきゃんな市松人形に客たちは大喜びだが、客たちが騒げば騒ぐほどに、舞台上の空気がずんと冷えて、不穏なものになっていく。
そろそろ演者の堪忍袋の尾が切れそう。
「おいおい、こいつはちょいとまずいんじゃないのか」
と銅鑼。
「……だよねえ]
とは藤士郎、冷や汗たらり。
だから藤士郎は若だんなの袖を引き「いらぬ騒ぎに巻き込まれるまえにお暇しよう」と声をかけた。
けれども、ちょいとばかり遅かったらしい。
騒ぎを聞きつけて一座の者らが「なんだ?」「どうした?」とぞろぞろ顔を出してきたもので、腹話術師が座長とおぼしき男や仲間たちにさっそく不満をぶちまけたから、さぁ、大変!
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