303 / 483
其の三百三 冥婚
しおりを挟む書物問屋の銀花堂は、書物関連のことはひと通り手広く商っている。
買い付けもそのひとつである。
その日、若だんなは馴染み客の親族より頼まれて、根岸へと赴いていた。
上野の山の北東にある根岸の辺りは、文人墨客の集う風雅な土地にて、大身の武家や大店の主人など、懐具合に余裕のある者が構えた別宅などが多く集まっていた。
銀花堂の馴染み客はさる大店のご隠居で、店を息子夫婦にまかせたあとは根岸の寮に引っ込んで読書三昧の日々を過ごす。ご隠居は堅苦しい内容は好まず、無類の黄表紙好きであった。
そんなご隠居が亡くなった。立ち上がった際に「あっ」とつぶやいたとおもったら、こてんと倒れてそれっきり。卒中であった。享年七十八、まあまあの大往生であろう。
かくしてご隠居が住んでいた寮も引き払われることになったのだが、始末に困ったのが大量の黄表紙である。
暇と金にあかせて片っ端から買い求めた書物は膨大にて、寮の部屋ばかりか、廊下にまで積んであるほど。
いっそのことこのまま店をやればいいと、ご隠居が元気な時分に若だんなが冷やかせば、ご隠居も「そいつはいいや」と満更でもない笑顔をみせていたのだけれども……。
生前、ご隠居が銀花堂と懇意にしていたこともあり、若だんなに残された書物たちの始末が任されることなった。
整頓がてら目録をつくり、自分のところで引き取る品と余所に流す品を選り分け、希少な品は遺族に相談し……量が相当あるので、何度も先方に足を運ぶことになるだろう。
だがそんな作業が苦にならないのが書物狂いである。
むしろ好きな物に囲まれて、存分に戯れられるのだから、通うのが楽しみなほど。
よってご隠居の寮へと向かう若だんなの足取りはとても軽かった。
◇
ご隠居が残した黄表紙の多いこと、多いこと。
いっそ蔵でも建てて、まるごと放り込めばいい。
というほどもある。
よくもまぁ、個人でこれだけ買い求めたものだと若だんなも呆れるやら、感心するやら。
それでも楽しく片付けをしていたのだけれども、書物の山を崩していくうちに、底の方から出てきたのが古ぼけた行李である。
四方が一尺半ほどの大きさ、中には一冊の書と木箱が入っていた。
書の題目は「冥婚人形」とある。
冥婚とは――。
生者と死者とで婚姻を結ぶこと。
未婚の死者を弔うための儀式にて、独り身では寂しかろうと、婚礼を見立て、夫婦にした後にあの世へ送り出す。
結婚してこそ一人前、半人前のまま送り出すのは不憫だろうという親心から生まれた風習とも云われている。
形は違えども、古くから各地で似たようなことが行われており、北は弘前藩の方には、未婚の死者の婚礼を描いて寺に奉納する「ムカサリ絵馬」なる風習がある。なおムサカリとは「迎えられ」からくる方言である。
ざっと書に目を通し、若だんなはふむふむと独りごちる。
冥婚人形とは、ようはその絵馬の代わりに人形を使う儀式のようであった。
「……なるほど。と、いうことはこっちの箱にその人形が入っているんだね」
ぱかっと蓋をはずせば、中にはおきゃんそうな面立ちの市松人形が入っていた。
「おや、なんと愛らしいこと。これが冥婚人形だね。由来の品と書との組み合わせというのは面白い趣向だけど、はてさて、どうしたものやら」
人形を手にとりしげしげ眺めながら、若だんなは思案する。
書物問屋としてはたいそうそそられる品だが、あいにくと人形の目利きは門外漢である。
見たところ素人目にも人形の出来はよい。さぞや名のある職人がこさえた物であろう。だとすればきちんと価値のわかる者に視てもらうのがいい。
だから人形と書を元通りに行李に納めて、若だんなはいったん持ち帰ることにしたのだけれども、その夜のことであった。
いつものごとく、書を読みながら寝落ちした若だんなであったのだが、その耳に聞こえてきたのが、がさがさがさ……。
枕元にてなにやら物音がする。
「すわ、鼠か!」
紙を食う虫の紙魚(しみ)と鼠は書物問屋の大敵である。
大事な書をかじられてはたまらないと、若だんなは跳ね起きた。
けれども、そこに居たのは鼠なんぞではなくて、見覚えのある人形であった。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。

高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる