狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百二 市松人形

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「……にしても、えらい目に遭ったよ。とんだ災難だ」
「だから前にも言ったろう? あいつにかかわるとろくなことがねえって。ったく、またぞろ面倒なのが戻ってきやがったぜ」

 藤士郎が猫背を丸めてぼやけば、その肩に乗ってだらりとしているでっぷり猫の銅鑼が「けっ」と鼻を鳴らす。
 場所は昼の往来にて、ただいま菓子折りを持っては、書物問屋の銀花堂へと向かっている途中である。

 いつもは銀花堂から仕事をまわしてもらっているのに、恩のある口入れ屋の主人から頼まれて引き受けたのが運の尽き。その写本仕事は焚書の術とかいう、怪しげなものが絡んだものであった。しかも藤士郎のところにこの話が向かうようにと、裏で手引きをしていたのは妖の茶袋こと荼枳尼である。
 どうにか仕事はやり遂げたものの、結局、最後までどこの誰があの仕事を依頼したのかは不明であった。多くが有耶無耶のまま、手元に残ったのは報酬だけである。
 でも朗報がひとつだけ。
 それはここのところ多かった指名依頼と、焚書の術関連とはまったくの別口だということ。
 てっきり実力をはかるための試しかと、藤士郎は予想したのだが違っていた。荼枳尼がきっぱりと否定したのである。

「いえ、それは私の預かり知らぬことです」

 すなわち、藤士郎は贔屓筋を失わずに済んだということ。
 これは地味にうれしかった。
 いわくのある仕事を片付けたところで、藤士郎は不義理を働いたことを詫びるために銀花堂へと向かっていた。
 口入れ屋の主人からすでに詫びを入れてあるとはいえ、ここは自分の方からも直接謝っておくのがいいだろうと藤士郎は思い立つ。
 そして銅鑼がついてきているのは藤士郎と若だんなの仲を案じて――ではなくて、持っている菓子折りが目当てだ。大名家御用達の津雲屋の栗入り羊羹を奮発したのだが、くっついてきたのは、おもたせを期待してのこと。まったくもって食い意地の張った猫である。

  ◇

「ごめんください」

 いつものように暖簾をくぐった藤士郎であったが、店に入ったとたんにざわざわしていたもので、小首を傾げる。
 でも、すぐに原因に気がついて顔をひくつかせた。

「やあ、いらっしゃい、藤士郎さん」

 つねと変わらぬ笑顔で出迎えてくれた銀花堂の若だんな、林蔵さん。
 あまり表には出てこない無精な店主である父新右衛門にかわって、まだ若いながらも店の方をまかされている如才のない人物。親子して書物狂いなのは世間に広くしられており、類は友を呼ぶではないが、お店には本好きの馴染み客が良書との出会いを求めて足繁く通うもので、店はいつも賑わっている。
 若だんなを、居合わせた客たちのみならず店の者らも、ちらちら気にしている。
 いや、より正しくはみなの視線が向かっていたのは若だんなではなくて、彼が小脇に抱いている市松人形、である。

 愛らしい人形だ。
 耳の辺りで切りそろえられた髪で、ちょっとおきゃんそうな面立ちだけれども、赤と白の格子柄の艶やかな着物がよく似合っている。
 まぁ、それはさておき。
 商い中にもかかわらず、人前にていい歳をした男が人形遊び?
 みなが目のやり場に困り、さりとて気になるからつい見てしまい、ざわつくのも無理からぬことであろう。
 書物ならばともかく、若だんなが人形に夢中になっている。それも片時も手放さないほどに……。
 はっきり言って、変である。
 奇妙な姿を前にして、藤士郎もまた内心が顔に出た。
 すると若だんなは「やはりこれが気になりますか」と照れ笑い。

「じつは少々込み入った事情がありまして。藤士郎さん、ちょいと相談に乗ってもらえませんか」


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