狐侍こんこんちき

月芝

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其の三百一 七の炎 老人之火 後編

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 いつもならば見かける鳥がいない。
 虫の声もせず、風もない。
 空は青々と晴れている。
 だというのに、陽気は感じられず、むしろどこか寒々しい。
 城内の緊張が伝わるのか、城下町にも妙な雰囲気が漂っていた。

 珠姫が十五歳となる約束の日は、朝からずっとこんな調子にて、時刻が過ぎるほどに緊張感がきりきりと張り詰めていく。
 山の老神との約定を知る者は密かに恐れ慄き、知らぬ者もまた異様な空気を肌で感じて内心で首を傾げていた。

 昼を過ぎ、日が傾き、夕暮れとなり、ついに夜となった。

 何も起きない。
 やれ、このまま終わるかとおもわれた翌未明のこと。
 草木も眠る由三つ刻に、突如として城下にあらわれたのはひとりの貧相な老爺である。
 老爺は「はぁ」と嘆息にて小首を振るなり「ふぅ、ふぅ」と息を吐き出した。
 とたんに老爺の口から吹き出したのは紅蓮の炎であった。
 炎は天突く柱のようになったかとおもったら、そこから次々と飛びだったのは火の燕(つばめ)たちである。

「じーい、じーい、じじ、ちゅぴちゅぴ」

 火の燕たちはさえずりながら飛び回る。
 するとそこかしこにて火事が起こったばかりか、急に風が吹き出して、さらに火勢を煽ったもので、城下はたちまち大混乱に陥った。
 同刻、異変は城の方でも起きていた。
 大切に保管されていた三種の宝物である、旗、軍配、錦袋らが突如として炎に包まれた。それが発端となって城も瞬く間に炎に包まれた。
 人々に出来たことは、ただ逃げ惑うばかり。
 炎による蹂躙は一昼夜にもおよび、かくして神の恩恵によって得た栄華は灰塵に帰す。
 そして大々名の凋落は新たな争乱の火種となる。

 一方で国元を出奔した珠姫はどうなったのかというと、かつて山の老神が予言した通りとなった。
 都へとのぼる途中、行く先々でその美貌が人々の目に留まり、惑う者が続出する。
 内裏にあがったらあがったで、帝の寵愛ひとかたならず。ばかりか上皇までもが惹かれて、あろうことか父と息子が珠姫を巡って骨肉の争いを始める始末。
 それを発端にして都は荒れ、周囲も大揺れとなり、混乱に乗じて珠姫を手に入れよう、都の実権を手に入れようと動き出す者もあらわれ――世は乱れに乱れた。

  ◇

 七冊目の「老人之火」を読み終えた藤士郎は「そういうことか……」とつぶやいた。
 得心がいった。これこそが焚書の術の大元なのだ。
 おそらくだが時系列としては、七冊目の「老人之火」が最初にて、続いて六冊目の「火残魔」へと繋がっているのだろう。
 銅鑼が言っていたように、鶏を模した怪異には意味があったのだ。あれは神が遣わした怪異だ。
 そして他の物語もまた、きっと無関係ではないはず。
 おそらくは災禍に見舞われた者らは一族の縁者……。

「おい、藤士郎」

 銅鑼から呼びかけられて、藤士郎の思考は中断する。
 振り返るとでっぷり猫は庭先をじっと見つめていた。
 だから藤士郎も釣られてそちらに顔を向けるなり、大きく目を見開く。

 頭に白い御高祖頭巾(おこそずきん)をかぶった紫の法衣姿。
 楚々とした立ち居振る舞い。柔和な笑みにて、その面差しは菩薩のごとし。
 美しい尼御前の荼枳尼(だきに)が、そこにいた。
 彼女の正体は「茶袋」という人の奥底に秘められた欲望を解き放つ恐るべき妖である。
 荼枳尼より「ご無沙汰しております」と挨拶されたところで、藤士郎は悟った。
 此度の一件、誰が絵図面を引いたのか、どうして自分に白羽の矢が立ったのかということを。
 すべては彼女の差し金であったのだ。

「はいはい、たしかにその通りです。九坂さまでしたら、きっとやり遂げて下さると信じていましたよ」

 なんぞと荼枳尼はしゃあしゃあと口にした挙句に、こうも言った。

「ですが誤解なきよう。私はあくまで彼らの相談に乗り、策を授けただけのこと。それに焚書の術はあくまで一時しのぎですので、きちんとした解決法も提示したのです。けれども、彼ら自身がそれを拒み、禁書の術の継続を選んだのです」

 神の呪いを解く方法はある。
 それは授かったものの一切を捨てること。
 身ひとつとなりやり直せば、山の老神とて無碍にはしない。
 けれども一族の者たちには出来なかった。
 いまあるすべてを捨てるということは、路頭に迷うことを意味していたからである。
 その気持ちは藤士郎にもわからぬでもない。それほどまでに捨てるということは難しいのだ。

「……それで、この術の効力はどれぐらいあるんだい?」

 藤士郎が気になっていたことを尋ねると荼枳尼は「せいぜい、よくもって二十年といったところでしょうか」と答えた。
 禁書の術のために、これまでどれだけの若者が犠牲になったのか。
 そうして得た一時の平穏にて得た蓄財や地位が、一族の者たちをよりがんじがらめにする。
 なんという呪の連鎖であろう。
 かつて戦に敗れて山中へと逃れた一族は、いまなお山中を彷徨っている。
 先送りされる問題、先祖の業を背負わされる後の世の者たちのことを考えると、藤士郎は憂いを覚えずにはいられなかった。


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