301 / 483
其の三百一 七の炎 老人之火 後編
しおりを挟むいつもならば見かける鳥がいない。
虫の声もせず、風もない。
空は青々と晴れている。
だというのに、陽気は感じられず、むしろどこか寒々しい。
城内の緊張が伝わるのか、城下町にも妙な雰囲気が漂っていた。
珠姫が十五歳となる約束の日は、朝からずっとこんな調子にて、時刻が過ぎるほどに緊張感がきりきりと張り詰めていく。
山の老神との約定を知る者は密かに恐れ慄き、知らぬ者もまた異様な空気を肌で感じて内心で首を傾げていた。
昼を過ぎ、日が傾き、夕暮れとなり、ついに夜となった。
何も起きない。
やれ、このまま終わるかとおもわれた翌未明のこと。
草木も眠る由三つ刻に、突如として城下にあらわれたのはひとりの貧相な老爺である。
老爺は「はぁ」と嘆息にて小首を振るなり「ふぅ、ふぅ」と息を吐き出した。
とたんに老爺の口から吹き出したのは紅蓮の炎であった。
炎は天突く柱のようになったかとおもったら、そこから次々と飛びだったのは火の燕(つばめ)たちである。
「じーい、じーい、じじ、ちゅぴちゅぴ」
火の燕たちはさえずりながら飛び回る。
するとそこかしこにて火事が起こったばかりか、急に風が吹き出して、さらに火勢を煽ったもので、城下はたちまち大混乱に陥った。
同刻、異変は城の方でも起きていた。
大切に保管されていた三種の宝物である、旗、軍配、錦袋らが突如として炎に包まれた。それが発端となって城も瞬く間に炎に包まれた。
人々に出来たことは、ただ逃げ惑うばかり。
炎による蹂躙は一昼夜にもおよび、かくして神の恩恵によって得た栄華は灰塵に帰す。
そして大々名の凋落は新たな争乱の火種となる。
一方で国元を出奔した珠姫はどうなったのかというと、かつて山の老神が予言した通りとなった。
都へとのぼる途中、行く先々でその美貌が人々の目に留まり、惑う者が続出する。
内裏にあがったらあがったで、帝の寵愛ひとかたならず。ばかりか上皇までもが惹かれて、あろうことか父と息子が珠姫を巡って骨肉の争いを始める始末。
それを発端にして都は荒れ、周囲も大揺れとなり、混乱に乗じて珠姫を手に入れよう、都の実権を手に入れようと動き出す者もあらわれ――世は乱れに乱れた。
◇
七冊目の「老人之火」を読み終えた藤士郎は「そういうことか……」とつぶやいた。
得心がいった。これこそが焚書の術の大元なのだ。
おそらくだが時系列としては、七冊目の「老人之火」が最初にて、続いて六冊目の「火残魔」へと繋がっているのだろう。
銅鑼が言っていたように、鶏を模した怪異には意味があったのだ。あれは神が遣わした怪異だ。
そして他の物語もまた、きっと無関係ではないはず。
おそらくは災禍に見舞われた者らは一族の縁者……。
「おい、藤士郎」
銅鑼から呼びかけられて、藤士郎の思考は中断する。
振り返るとでっぷり猫は庭先をじっと見つめていた。
だから藤士郎も釣られてそちらに顔を向けるなり、大きく目を見開く。
頭に白い御高祖頭巾(おこそずきん)をかぶった紫の法衣姿。
楚々とした立ち居振る舞い。柔和な笑みにて、その面差しは菩薩のごとし。
美しい尼御前の荼枳尼(だきに)が、そこにいた。
彼女の正体は「茶袋」という人の奥底に秘められた欲望を解き放つ恐るべき妖である。
荼枳尼より「ご無沙汰しております」と挨拶されたところで、藤士郎は悟った。
此度の一件、誰が絵図面を引いたのか、どうして自分に白羽の矢が立ったのかということを。
すべては彼女の差し金であったのだ。
「はいはい、たしかにその通りです。九坂さまでしたら、きっとやり遂げて下さると信じていましたよ」
なんぞと荼枳尼はしゃあしゃあと口にした挙句に、こうも言った。
「ですが誤解なきよう。私はあくまで彼らの相談に乗り、策を授けただけのこと。それに焚書の術はあくまで一時しのぎですので、きちんとした解決法も提示したのです。けれども、彼ら自身がそれを拒み、禁書の術の継続を選んだのです」
神の呪いを解く方法はある。
それは授かったものの一切を捨てること。
身ひとつとなりやり直せば、山の老神とて無碍にはしない。
けれども一族の者たちには出来なかった。
いまあるすべてを捨てるということは、路頭に迷うことを意味していたからである。
その気持ちは藤士郎にもわからぬでもない。それほどまでに捨てるということは難しいのだ。
「……それで、この術の効力はどれぐらいあるんだい?」
藤士郎が気になっていたことを尋ねると荼枳尼は「せいぜい、よくもって二十年といったところでしょうか」と答えた。
禁書の術のために、これまでどれだけの若者が犠牲になったのか。
そうして得た一時の平穏にて得た蓄財や地位が、一族の者たちをよりがんじがらめにする。
なんという呪の連鎖であろう。
かつて戦に敗れて山中へと逃れた一族は、いまなお山中を彷徨っている。
先送りされる問題、先祖の業を背負わされる後の世の者たちのことを考えると、藤士郎は憂いを覚えずにはいられなかった。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる