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其の二百八十六 二の炎 金の神の火 前編
しおりを挟む鐘ヶ淵の一軒家に滞在すること三日目。
通いの老婆に朝飯を食わせてもらってから、藤士郎はちょいと厠へ行こうとした。
けれども立ち上がったところで、軽くよろめいたもので「おっと」
近くの柱に手をついたので大事はない。
だが内心で藤士郎は首をひねる。
「おや、昨日は半日近くも座りっぱなしだったから、足が少し萎えてしまったか」
一日一冊ずつ、七日かけて七冊を写すというのが今回の仕事だ。
各々の冊子の厚みはさほどでもないが、それでもしっかり読み込んで写すとなると、どう急いでも半日仕事になる。その間、ずっと正座をしているもので体のあちこちが凝り固まってしまう。
「いけないいけない、どうやら物語に没入し過ぎたようだね。長丁場なのに気をつけないと最後まで体がもたないよ」
滞在中はどうにか時間をやりくりして体も動かした方が良さそうである。
厠を済ませ、身ぎれいにして、準備万端整えたところで、藤士郎は本日の仕事にとりかかることにした。
二冊目の表紙に記された題目は『金の神の火』とあった。
金の字が入っているということは、おおかた人の欲にまつわる物語なのであろう。
藤士郎はひとつ深呼吸をしてから書物をひもといた。
◇
伊予の国のとある寺でのこと。
この地には大晦日の夜更けになると奇妙がものがあらわれる。
お寺の釣り鐘ほどもある火の玉がどこからともなく飛んできては、決まって本堂の周りをぐるり、ゆっくりと右回りに飛ぶ。
寺に代々伝わるところでは、火の玉が左回りに飛ぶときは、災いが起こると言われており、前に津波の被害が出た時にはたしかに左回りに飛んでいたという。
吉凶を報せてくれる火の玉なのだが、じつはもうひとつ伝わることがある。
それは「この火の玉と押しくらべをして勝てば、大金持ちになれる」というもの。押し返す距離が長ければ長いほど、富と幸運に恵まれるという。
ゆえに『金の神の火』とも呼ばれていた。
だがふよふよ浮かんでは頼りなさげでありながら、これがびくともしない。数多の腕っぷし自慢の男たちが意気揚々と寺に乗り込んでは、うな垂れてすごすごと引き下がるをくり返す。
そんな中にあって「我こそは!」と名乗りをあげたのが、巨勢輔清(このせすけきよ)であった。
剛力無双で広く知られた人物で、角力では負けなし。その強さゆえに都の高貴な方から招聘されては、御前で牛二頭と綱引きをして勝ってみせたこともあるほど。
けれどもそんな巨勢輔清をしても容易ではなかった。顔を真っ赤にして火の玉とがっつり組むこと、二刻半にもおよぶ。だがその甲斐あって、ついにほんのわずかではあったが、ずるりと相手を押し返すことに成功した。距離にすれば三寸ほどである。
「やったぞ!」
汗だくにて肩で息をしながら巨勢輔清は、ぐっと拳を握りしめた。
すると不思議なことが起きた。
目の前にいた『金の神の火』がふっと急に消えてしまう。
そして閉じていた拳を開いてみれば、そこには小さな火の玉が浮かんでいた。
大玉と同じ輝きを持った小さな玉、火の子――
勝負に勝った証拠の品である。
巨勢輔清は消えないように大切に扱い、これを持ち帰った。
灯籠に入れられた火の子は、そこが気に入ったのか、ゆらめく。
巨勢輔清が『金の神の火』を負かした。
という評判はたちまち広がって、巨勢輔清のもとには「話しを聞きたい」「ぜひとも、その火を見てみたい」という者たちが大勢押し寄せた。身分のある者はわざわざ遣いの者をやって、自分の屋敷に招いたりもする。
評判が評判を呼んでは大盛況となり、巨勢輔清の名声はあがる一方。
またこれに合わせて富み栄えるようにもなった。
しかし巨勢輔清という男は、ただの力自慢ではなかった。
得た富を自分だけのものとはせずに、一族郎党のみならず地元の者らにも分け与え、施し、恩恵を授ける。
けっして驕らず。その善良さから、巨勢輔清は満ち足りた人生を送り、齢九十七で大往生を遂げた。
その死の間際、巨勢輔清は一族の者たちにこう言い残した。
「わしが死んだら、あの火の子を『金の神の火』さまにお返しするように」
一族は十分に栄えているし、蔵には財宝が溢れんばかりにて、天下の誉れも得た。
これ以上何を望むというのか。それに火の子を授けられたのは自分なので、自分が死ねばお返しするのが筋であると、巨勢輔清は考えた次第。
「しかと、しかと頼んだぞ」
と念を押してから巨勢輔清は逝った。
もしもこの遺言が守られていれば、あの悲劇は起こらなかったのかもしれない。
げに恐ろしきは人の欲である。
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