狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百八十 泥棒はじめ

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 血祭り炎女事件もおさまって、江戸の町中にちらほら若い人たちの姿が戻ってきた。
 ある日のこと、藤士郎は朝から所用にて、銅鑼は縄張りの見回りに出かけており、昼下がりの九坂邸はひっそりしていた。
 そんな邸の様子をうかがっている者たちがいる。
 向かいの雑木林に潜んでいたのは三人組の男たちだ。風体はどこにでもいる町人であるが、草臥れ擦り切れた着物に、冴えない人相、男たちは揃ってそこはかとなく残念な雰囲気を醸し出している。

「しめしめ、誰もいねえみてえだな。よし、やるぞ」

 三人組を率いている男は舌なめずりで、手拭いでほっかむりをする。

「ねえ、兄貴ぃ、本当にやるんですかい?」
「相手は腐ってもお武家ですよ。見つかったらばっさり殺られちまう」

 けれども連れのふたりはやや腰がひけており、いまいち乗り気ではなかった。

  ◇

 この三人組は同じ貧乏長屋の出身で、子どもの頃からの腐れ縁にて幼馴染みの間柄である。
 揃いも揃って根はまじめなのだが要領がいまいちよろしくない。そのせいで割を食うことも多く、やることなすこと裏目に出てばかり。ついには三人ともに女房から「この甲斐性なしっ!」と三行半を突きつけられてしまった。
 で、つくづく思った。

「てやんでぇ、べらぼうめ! やってられるか! いくら真っ当に生きようとしても、世間様がそれを許さねえってんならばしょうがない。こうなりゃあ自棄だ! 泥棒にでもなって泡銭を稼いで、せいぜい面白可笑しく生きてやるっ」

 だが、いざ盗人になろうと思い立ってはみたものの、危ない橋を渡るからには相応の見返り、つまり儲けがなければ意味がない。
 こうなると狙う先が肝要だ。
 いくら忍び込むのが簡単だとはいえ、ぼろ長屋なんぞを漁ったところで、出てくるのは埃か虱(しらみ)ぐらいだろう。
 では蔵に小判がうなっている商家はどうかといえば、守りが厳重である。おっかない用心棒やら獰猛な犬まで飼っては、夜通し見張らせている。
 ならば、そこそこ稼いでいるけれども、大店ほどではない小商いのところはどうかといえば、こちらはこちらで常に用心を怠っていない。
 生き馬の目を抜く商人たちは、万事がしっかりしており、計算高く、そつがない。
 泥棒初心者にはちと荷が重い。

 どうやら商人相手の盗みは難しそうだ。
 だったら小銭を貯め込んでそうな町人を狙おうと考えるも、誰が貯め込んでいるのかがまるでわからない。そういう筋の情報を集めるのにも伝手がいる、元手もかかる。
 これまで真っ当に生きてきた素寒貧の男三人には、そのどちらもなかった。

 いっそ賭場の売上を狙うのはどうだろうか?
 駄目駄目、たちまち地回りどもに捕っ掴まって袋叩きにされる。簀巻きにされて大川に放り込まれてしまう。
 盗みが難しいのならば、通りすがりに裕福そうなご内儀を脅すとか?
 いや、無理だろう。古女房にもこてんぱんにやられちまうのに。逆にどやされて身ぐるみを剥がれちまう。もっとも剥ぐほどの上等なもんは、何一つ身につけちゃいないけれども。
 賽銭泥棒はどうか?
 神仏の祟りが怖いし、なにより験が悪い。

 ああでもない、こうでもないと男たちは紛糾する。
 ぐだぐだと時間ばかりが無為に過ぎていく。
 そんな時のこと、たまさか知念寺の門前通りにある茶屋で、男たちはあることを耳にした。
 なけなしの銭を出し合い、一人前の団子と茶を頼んで三人で分けていたら、茶屋の看板娘とどこぞの若党がにこやかに話している声が聞こえてきた。

「毎度ご贔屓に。藤士郎さまは近頃調子が良さそうですね」
「おや、わかるかい? おかげさまで、写本仕事の方が順調でね。ここのところ実入りがいいから助かってるよ」

 景気のいい話である。
 ちらりと盗み見てみれば、若党はひょろっちい柳みたいな男であった。
 このやり取りを目にしているうちに、三人組の兄貴分は「あっ」と思い出す。

「そうだった。この江戸には武士もいたんだっけか」

 武士といっても食い詰め牢人から、大身の旗本までじつに様々だ。
 さすがに大身のところにちょっかいを出すのは自殺行為だが、それ以外ならばどうであろうか?
 連中、何かと腰のやっとうをひけらかしては威張りちらしているけれども、案外抜けている。町人が裏でぺろりと舌を出しては、小馬鹿にしていることに気づいちゃいない。
 どうせ盗みに入るのならば同じ町人相手じゃなくて、連中にひと泡吹かせてやるのも面白いかもしれない。
 となれば、これもなにかの御縁であろう。
 三人組はさっそくこの若党をつけることにした。

 若党をつけてみれば、なかなか立派な住まいであった。
 でもよくよく見てみれば、あちこち傷んでいる。
 外壁には大きな割れ目があり、正門はちょっと傾いでいる。看板を掲げているが難しい漢字で読めなかった。
 家の周囲は廃屋や雑木林ばかりで閑散としており、日中でも薄暗く陰気で、人が通りがかる気配もなく……。
 どうやら落ちぶれたお武家のようだ。
 しかし忍び込むのには都合が良さげである。
 ゆえに三人組の兄貴分は「よし、ここをおれたちの泥棒はじめとしよう」と決めた。


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