狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
280 / 483

其の二百八十 泥棒はじめ

しおりを挟む
 
 血祭り炎女事件もおさまって、江戸の町中にちらほら若い人たちの姿が戻ってきた。
 ある日のこと、藤士郎は朝から所用にて、銅鑼は縄張りの見回りに出かけており、昼下がりの九坂邸はひっそりしていた。
 そんな邸の様子をうかがっている者たちがいる。
 向かいの雑木林に潜んでいたのは三人組の男たちだ。風体はどこにでもいる町人であるが、草臥れ擦り切れた着物に、冴えない人相、男たちは揃ってそこはかとなく残念な雰囲気を醸し出している。

「しめしめ、誰もいねえみてえだな。よし、やるぞ」

 三人組を率いている男は舌なめずりで、手拭いでほっかむりをする。

「ねえ、兄貴ぃ、本当にやるんですかい?」
「相手は腐ってもお武家ですよ。見つかったらばっさり殺られちまう」

 けれども連れのふたりはやや腰がひけており、いまいち乗り気ではなかった。

  ◇

 この三人組は同じ貧乏長屋の出身で、子どもの頃からの腐れ縁にて幼馴染みの間柄である。
 揃いも揃って根はまじめなのだが要領がいまいちよろしくない。そのせいで割を食うことも多く、やることなすこと裏目に出てばかり。ついには三人ともに女房から「この甲斐性なしっ!」と三行半を突きつけられてしまった。
 で、つくづく思った。

「てやんでぇ、べらぼうめ! やってられるか! いくら真っ当に生きようとしても、世間様がそれを許さねえってんならばしょうがない。こうなりゃあ自棄だ! 泥棒にでもなって泡銭を稼いで、せいぜい面白可笑しく生きてやるっ」

 だが、いざ盗人になろうと思い立ってはみたものの、危ない橋を渡るからには相応の見返り、つまり儲けがなければ意味がない。
 こうなると狙う先が肝要だ。
 いくら忍び込むのが簡単だとはいえ、ぼろ長屋なんぞを漁ったところで、出てくるのは埃か虱(しらみ)ぐらいだろう。
 では蔵に小判がうなっている商家はどうかといえば、守りが厳重である。おっかない用心棒やら獰猛な犬まで飼っては、夜通し見張らせている。
 ならば、そこそこ稼いでいるけれども、大店ほどではない小商いのところはどうかといえば、こちらはこちらで常に用心を怠っていない。
 生き馬の目を抜く商人たちは、万事がしっかりしており、計算高く、そつがない。
 泥棒初心者にはちと荷が重い。

 どうやら商人相手の盗みは難しそうだ。
 だったら小銭を貯め込んでそうな町人を狙おうと考えるも、誰が貯め込んでいるのかがまるでわからない。そういう筋の情報を集めるのにも伝手がいる、元手もかかる。
 これまで真っ当に生きてきた素寒貧の男三人には、そのどちらもなかった。

 いっそ賭場の売上を狙うのはどうだろうか?
 駄目駄目、たちまち地回りどもに捕っ掴まって袋叩きにされる。簀巻きにされて大川に放り込まれてしまう。
 盗みが難しいのならば、通りすがりに裕福そうなご内儀を脅すとか?
 いや、無理だろう。古女房にもこてんぱんにやられちまうのに。逆にどやされて身ぐるみを剥がれちまう。もっとも剥ぐほどの上等なもんは、何一つ身につけちゃいないけれども。
 賽銭泥棒はどうか?
 神仏の祟りが怖いし、なにより験が悪い。

 ああでもない、こうでもないと男たちは紛糾する。
 ぐだぐだと時間ばかりが無為に過ぎていく。
 そんな時のこと、たまさか知念寺の門前通りにある茶屋で、男たちはあることを耳にした。
 なけなしの銭を出し合い、一人前の団子と茶を頼んで三人で分けていたら、茶屋の看板娘とどこぞの若党がにこやかに話している声が聞こえてきた。

「毎度ご贔屓に。藤士郎さまは近頃調子が良さそうですね」
「おや、わかるかい? おかげさまで、写本仕事の方が順調でね。ここのところ実入りがいいから助かってるよ」

 景気のいい話である。
 ちらりと盗み見てみれば、若党はひょろっちい柳みたいな男であった。
 このやり取りを目にしているうちに、三人組の兄貴分は「あっ」と思い出す。

「そうだった。この江戸には武士もいたんだっけか」

 武士といっても食い詰め牢人から、大身の旗本までじつに様々だ。
 さすがに大身のところにちょっかいを出すのは自殺行為だが、それ以外ならばどうであろうか?
 連中、何かと腰のやっとうをひけらかしては威張りちらしているけれども、案外抜けている。町人が裏でぺろりと舌を出しては、小馬鹿にしていることに気づいちゃいない。
 どうせ盗みに入るのならば同じ町人相手じゃなくて、連中にひと泡吹かせてやるのも面白いかもしれない。
 となれば、これもなにかの御縁であろう。
 三人組はさっそくこの若党をつけることにした。

 若党をつけてみれば、なかなか立派な住まいであった。
 でもよくよく見てみれば、あちこち傷んでいる。
 外壁には大きな割れ目があり、正門はちょっと傾いでいる。看板を掲げているが難しい漢字で読めなかった。
 家の周囲は廃屋や雑木林ばかりで閑散としており、日中でも薄暗く陰気で、人が通りがかる気配もなく……。
 どうやら落ちぶれたお武家のようだ。
 しかし忍び込むのには都合が良さげである。
 ゆえに三人組の兄貴分は「よし、ここをおれたちの泥棒はじめとしよう」と決めた。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...