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其の二百七十五 待ち伏せ
しおりを挟む巌然が自由の身となり、祈祷が再開された。
響き渡る読経、護摩壇の炎が轟っとうなり天を衝く。
清浄なる調べにより、たちまち鬱屈した空気が払われる。
これにより守勢が力を得て、敵勢を押し返す。
とはいえ危ういところであった。
「ふぅ」
銅鑼にまたがり空の上にいる藤士郎は、その様子に安堵し額の汗を拭うも、今度は東側にて騒ぎが起こる。
ぽつぽつと火の手があがっているではないか!
どうやら怪火の仕業らしいのだが、そのせいで東側を守る者らは、敵の相手と火消しにと、てんてこ舞い。
見かねて銅鑼が言った。
「こっちはおれが引き受けるから、藤士郎はあっちを手伝ってやれ」
背中の相棒がうなづくなり、銅鑼が近寄ったのは境内にある御神木のところ。
藤士郎は丈夫そうな枝の一本にひょいと飛び移るなり、猿のごとくするすると太い幹を伝って地表へ降りていく。
寺の東側へと駆けつけた藤士郎はさっそく一体の異形を斬り伏せた。
ぼっぼっぼっと火の玉を吐き出しては、そこかしこに火の手を放っていた者である。
その正体は灯籠(とうろう)にて「古籠火(ころうか)」という付喪神であった。
続けて別の相手に向かおうとする藤士郎であったが、この場の指揮を任されていた寺の者からは別の要望を告げられる。
「ここは自分たちでどうにかしますから、九坂さまは境内に入り込んだ方をお願いします」
先ほど巌然が襲撃を受けたおりに結界が弱まった。そのどさくさにまぎれて突破した者がいるという。
数は二体。
それを聞くなり藤士郎はきびすを返した。向かうは本堂である。
今宵の戦い、とよを殺されたら負けだ。
彼女はいま本堂の奥にある一室にて、荒事があまり得意ではない堂傑と足の達者な小坊主が面倒をみているはず。
◇
本堂横へと近寄れば、閉じられていた雨戸のうちの一枚が開いていた。
蹴破られたらしい。
相手はすでに建物内に侵入している。
藤士郎も、そこから中へと飛び込んだ。
堂内には明かりが灯されてあるから不自由はない。
それに知念寺には小さい頃から何度も通っており、勝手知ったるなんとやら。
広い本堂内を横切り、先の廊下へと出て、目指すは庫裡(くり)である。そこは寺の者らが寝起きしている区画にて、さらに奥まったところに目指す場所があった。
迷うことなく進んでいた藤士郎、でもその足がぴたりと止まる。
真っ直ぐにのびた廊下を挟んで、向かって左側が宿坊となっており、右側が客間や書庫に納戸などが並んでいる。
廊下に満ち充ちていたのは殺気である。
しかも藤士郎が総毛立つほどの凄まじさ。
ふつうは押さえて隠すもの。それを逆に溢れさせて垂れ流すままにしている。
藤士郎は眉根を寄せ、警戒を強める。
これでは機微を察することができない。
あまりにも露骨すぎて殺気がまるで読めない。攻撃の気配がわからない。
狐侍はそっと小太刀・鳥丸(からすまる)を抜く。
「どこからくる? 左の宿坊からか、それとも右か」
全身の神経を研ぎ澄まし、狐侍は襲撃に備える。
が、敵は予想の上をたやすく超えてきた。
ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……。
奥から順番にかき消えていくのは、廊下に等間隔に灯されてあった燭台の明かり。
濃い闇がこちらに近づいてくる。
そしてついに狐侍から一番近くにあった明かりまでもが消えた。
視界が暗転した次の瞬間――。
どんっ!
肩に強い衝撃を受けて、狐侍の身がのけ反る。
奇妙な衝撃であった。
まるで小豆をぎっしり詰めた小袋を投げつけられたかのような重みがある。
突然のこと、体勢が崩れそうになる。
とっさに踏ん張ろうとするも、ふたたび、どんっ!
今度は左の太腿当たりに攻撃を受けたもので、ついに狐侍は片膝をつく。
闇の中、困惑している狐侍であったが、ぶわっと迫る圧を感じて、あわてて横に転がった。
直後に、その脇を何かが猛然と通り過ぎていった。
「なんだ? いったいなにがどうなっている?」
狐侍は自身が攻撃を受けたところに触れてみる。
鈍痛はある。だが切れてはおらず、血も流れていない。
ちょっとした拳打を喰らったような感覚、でもぶつかったものは実際の拳ほど固くはない。
暗闇の廊下にて、狐侍は謎の敵と対峙することになった。
おそらくは境内に込んだ二体のうちの一体だろう。
それが先に進むことなく、ここに留まったのは仲間が目的を達するまでの時間稼ぎ……待ち伏せである。
もたもたしていたら手遅れになる。
狐侍は気ばかりが急く。
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