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其の二百七十三 弓の付喪神
しおりを挟む山門脇の塀を乗り越え、侵入しようと異形どもが押し寄せる。
させじと刺股や突棒などを手にした捕り方連中が、向こう側へと突き返し、叩き落とす。
はじめのうちこそは困惑し及び腰であった男たちも、いざ戦いとなればそんな悠長なことは言っていられない。ただ必死になって得物を振るい続けるばかり。
怒号と喧騒、序盤から苛烈さを増すばかりの攻防のさなか、ひらり。
塀どころか守勢の頭上をもやすやすと飛び越える敵影があらわれた。
「かーっ、かっかつかっ」
奇妙な嘲笑が降ってきたとおもったら、境内に舞い降りる。
だが地面にその足をつくやいなや、斬っ!
駆け寄りざまに切り捨てたのは左馬之助である。
得意の田宮流居合術の技が冴え渡る。
がさりとした奇妙な手応え。転がったのは両断された破れた蛇の目傘、どうやら傘の付喪神であったようだ。
「見た目に惑わされるな。こいつら、たいして強くないぞ!」
左馬之助が味方を鼓舞する。
これによりおおいに盛り返す守勢であったのだが、それも長くは続かない。
びぃん!
びぃん!
びぃん!
連続で鳴ったのは引き絞った弦が放たれる時の音であった。
ふたたび飛来する矢、ただし、先ほどのような山なりの甘い軌道ではなく、真っ直ぐに迫る。
音が聞こえたのと同時に、左馬之助は横っ飛び。
ついいましがたまで彼が立っていた地面に矢がぶすりと突き立つ。
だが飛んできた矢は三本、残りはいったいどこへ?
左馬之助の疑問の答えはすぐに判明する。
残りが向かっていたのは近くにいた味方のところ。腕と腿に矢を喰らって、ふたりがうずくまっていた。
きっと左馬之助が矢が飛んできた方をにらむと、射手とおぼしき者が山門の上にいた。
弓を手にしていたのは長い濡れ羽色の髪をだらりと垂れるにまかしている、目の覚めるような若者であった。絵になる立ち姿におもわず見惚れる。その那須与一のごとき腕前にて、左馬之助は内心で舌を巻くばかり。
とはいえ、いつまでも呆けてもいられない。
なにせ相手が新たに矢を弓につがえたのだから。
「くっ、やっかいなところに陣取られた」
向こうからはこちらの動きは丸見え。しかも高いところから低いところへと射る矢は威力と速度、飛距離がぐんと増す。
加えて、どういったからくりかはわからぬが、相手の背負う矢筒の矢がちっとも減らないときている。
それすなわち狙い放題ということ。
「このままだとまずい。どうする、どうしたら」
焦る左馬之助、そんな動揺を見透かしたかのようにして、狙い澄ました一射が襲いかかってくる。
一瞬、気づくのが遅れた左馬之助は「あっ!」
でもそんな彼を救った者がいた。
横合いから「おらっ」と気合いもろとも飛び出してきたのは、知念寺の坊主である。太い腕にて宿坊にあった古畳を担いであらわれた。畳を盾とし、必中の矢を防ぎ、左馬之助を守った。
「すまん、助かった」
左馬之助は礼を述べる。
「なんのなんの。間に合ってよかった。とはいえあれは少々やっかいですな」
「あぁ、どうにかして屋根の上から引きずり降ろしたいところだが、うかつに近づけばたちまち矢の餌食にされてしまう」
かといって放置していたら自陣が崩壊しかねない。
はてさて、どうしたものかと悩んでいると――。
ばさり、翼がはためく音がして、「ぎゃっ」とうめいたのは美麗な射手である。その体がぐらりと傾ぐ。
闇夜の空を疾駆していたのは有翼の黒銀虎である。その背には狐侍の姿もあった。
墨汁で塗りつぶしたかのような漆黒を背景に、大妖窮奇の姿はうまく溶け込み、地上からはよく見えない。
これさいわいと本性をさらして、銅鑼が暴れる。
死角から猛然と飛び寄ってからの、前足の爪でのひと薙ぎ。
迫る殺気に気がついて、美麗な射手はとっさに身をよじりかわすも、かわしきれず。背中を引っ掻かれて、たまらず山門の屋根から転げ落ちていく。
その場面を目撃した左馬之助と畳を持つ坊主はすぐに動いた。
ふたりは前後して駆け出す。
先を走るは「うぉぉぉぉ」と雄叫びをあげる坊主だ。
勢いのままに塀近くに寄ったところで、片膝をつき畳を頭上に水平に持つ。
そこへ続いたのは左馬之助である。
とくに示し合わせたわけではない。だが阿吽の呼吸にて、すぐに相手の意図を察する。
かけ足から大地を思い切り蹴っての跳躍。左馬之助の身が宙を舞う。そして足をついたのは畳の上だ。
刹那、坊主が力任せに立ち上がった。
これを足場として、左馬之助はいま一度跳躍し、宙に身を躍らせた。
助力を得て、ひと息に寺の塀へと登った左馬之助は、その上の一本道をひた走る。
向かうは、山門の屋根から落ちてくる美麗な射手のところ。
だが敵もさるもの、無様に背中から落ちたりはしない。ばかりか空中で体勢を整えて見事に着地を決めたばかりか、すかさず迎撃せんと矢をつがえた。
だが左馬之助は止まらない。
その眼前に放たれた矢が迫る。
けれども矢は当たらず。さらに大きく踏み込んだ左馬之助の右頬をかすめ、後方へと流れて行った。
接敵し、刀の間合いとなった。
鯉口が切られ刃が抜き放たれる。
が、寸前のこと。
「左馬之助、弓の方を狙って」
という藤士郎の声がどこからともなく聞こえてきた。
一閃!
真っ二つに断ち切られたのは弓と弦であった。
とたんに美麗な若者が苦悶の表情を浮かべ、その姿が滲んで闇夜に溶けて消えた。
刀を鞘に納めた左馬之助は足下に転がる残骸を見つめながら、頬の血を手の甲で拭う。
「なるほど、愛宕屋の看板だったのか。どおりで手強いはずだ」
湯屋の看板は弓矢を吊り下げていることが多い。
これは言葉遊びにて「弓射る」を「湯に入る」に掛けたもの。
得心がいったところで左馬之助は、身を翻し、押されている手勢のところへと向かった。
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