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其の二百七十一 火切り鎌
しおりを挟むおきつが急に亡くなって、薬種問屋の跡取り息子は呆然自失、おきつの母親は心労にて倒れ、父親はすっかり無気力となり、愛宕屋からは文字通り火が消えた。
以降、湯屋の看板はおろされ表戸は閉まったままとなっている。
たったひとりの醜い悋気(りんき)が多くの者を巻き込み、不幸にし、破滅させる。
酷い話である。
だが怒りをぶつけようにも、腹立たしいことに当人はとっくに三途の川を渡っている。
なんともやるせない。
巌然は数珠を取り出し手を合わせ南無南無、憐れな娘の冥福を祈った。
語り通しで喉が渇いた左馬之助は、湯飲みに手をのばす。
部屋に面する縁側にいた銅鑼はむすっと仏頂面、ぼりぼりと後ろ足で首筋をかいている。
けれども藤士郎は腕組みにて首を傾げては「むむむ」と考え中。さきほどの左馬之助の話の中に、琴線に触れる何かがあったのだ。
それが何なのか、よくよく考えてみると……あっ!
「ねえ、左馬之助。おきつという娘の家は、たしか湯屋なんだよね?」
「ああ、そうだ。しかしそれがどうした」
「いやね、ほら。小間物問屋菊村屋の娘、お菊が被害にあったときから、私はずっと気になっていたんだよ」
たまさかその場に居合わせて、下手人に疑われ番所に留め置かれたのはさておき。
藤士郎が気にしていたのは、娘が燃えあがる際にあらわれた火種である。
寸前に火の粉たちがちらりちらりと宙を舞っていた。
ひと口に火の粉といっても、いろいろある。
鉄を打つときに起こるもの、木を燃やしたときにあがるもの、花火や鉄砲、火薬がはじけるときのもの、硬い物同士がぶつかるときに生じるものなどなど。みな微妙にちがう。
「はて? あの火の粉、どこかでみたような……」
藤士郎は答えがわからず、まるで魚の小骨が喉に刺さったかのようで、どうにもすっきりしない。
とよが襲われた際にあらわれた怪火、その前兆を目の当たりにして、想いはますます強くなっていた。
そして左馬之助から聞いたおきつの話により、藤士郎はようやく自分が気にしていたものの正体を知ることができた。
「そうか、あれは火打石の火の粉だったんだ。どおりで見覚えがあるはずだよ」
台所で日常的に使う物、あまりにも見慣れ過ぎており、だからこそなかなか思いつけなかった。
わかったことや自分が感じたこと、諸々を踏まえた上で藤士郎は襲撃者の得物の正体を見極めた。
「あの風切り音の正体は、火切り鎌だったんだ」
火切り鎌は、火打石と鉈を合わせたような道具である。
蛇がかま首をもたげるような、独特の歪んだ形状をした刃をしている。
主に湯屋で焚き場を任された者が使う道具にて、薪を割ったり削ったり、先端に木材などを引っかけては運んだり、窯の中に突っ込んで熱い炭を寄せたり、石と組み合わせて火もつけられる。
斧よりは小さく、鉈よりもしゅっとしており、包丁よりかは丈夫で、さりとて刃はさほど厚くない。
これがもの凄い勢いで水平に回転しながら飛んで来たからこその風切り音にて、強い衝撃、そして火花であったのだ。
一連の怪異に加えて、おきつは働き者で道具をとても大切にする娘であったということからして……。
「仇討ちか。一連の怪異は愛宕屋に居ついておる付喪神どもの仕業じゃな」
巌然はそう結論づけた。
ゆえに人知を超えた陰惨な殺害方法であり、かつ襲撃のときに藤士郎が複数の殺気を感じたのである。
付喪神による仇討ち騒動には、藤士郎も関わったことがある。
ただし、あの時は兄弟刀の付喪神による、妖刀相手のものであった。
いわば、付喪神同士の諍いである。
でも今度の一件はちがう。
付喪神と人との揉め事である。
長い年月を経て神の末席に連なる者たち。七日ごとにしか動かないのは、まだ力があまり強くなく動けないせいなのかもしれない。
しかし強い復讐心を抱いているから、けっして侮れぬ。
「まずいな。相手が付喪神だとすると寺の結界の効果が半減するぞ。なにせ相手は腐っても神だからな」
瀧本屋に篭っているよりかは安全とはいえ、万全ではない。
すぐに守りを固めるべく巌然が席を立つ。
左馬之助もこれに続いた。
残された藤士郎が「怒る気持ちはわからなくもないけれども、さすがにちょっとやりすぎだよ」と嘆息すれば、銅鑼は「それは人間の尺度での考えだな。神ってのはそもそも加減を知らねえもんだ。……気合いを入れろよ藤士郎。連中、それこそ死に物狂いで仕掛けてくるぞ」と脅したもので、藤士郎はぶるると武者震い。
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