狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百七十 焦げ餅

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 とよを本堂の奥の間にて寝かしつけたところで、いったん知念寺を離れていた近藤左馬之助が戻ってきた。彼は今宵、寺の周囲を見張る者たちを手配しに、奉行所に戻っていたのである。

「どうだった? 人を出してくれるって」

 出迎えた藤士郎より尋ねられた左馬之助がうなづく。

「あぁ、実際に狙われたのが功を奏した。とよには気の毒だが、上はとよを囮にして、いっきに事件の幕引きをはかるつもりのようだ」

 とはいえ、知念寺の周囲を埋め尽くすほども捕り方が出張れば、相手の腰が引けてしまう。だから精鋭を選んで今宵の大一番に臨むとのことであった。

 とよの世話は寺の者らにまかせて、巌然と藤士郎、左馬之助、銅鑼は和尚の部屋に集まった。話し合いにて互いの知っていることを共有しておくことにする。

「見ればわかるじゃろうが、とよはずっとあの調子でな。ろくに話もできん。して、奉行所の調べの方はどうなっておる?」と巌然。
「下手人についてはさっぱり、ただちょっと気になることがありまして……」

 顔をしかめつつ左馬之助が口にしたのは、事件に関わる娘たちの身辺についてわかったことであった。

  ◇

 医師の小畠源庵の娘、お文。
 小間物問屋菊村屋の娘、お菊。
 舟宿伊根屋の娘、お真砂。
 廻船問屋瀧本屋の娘、とよ。

 彼女たちは木歌女(こかめ)という唄と踊りの師匠に師事していたことが縁となって、仲良くなったらしい。みな裕福な家の娘であり、箸が転んでもおかしい年頃だ。それは華やかに楽しくやっていたそうな。
 だがそんな集団に属していたものが、もうひとりいる。
 いや、いたというのが正しいだろう。
 なにせその娘はとっくに亡くなっているのだから。

 湯屋愛宕屋の娘、おきつ。
 おきつもまた木歌女のところに通っていた。
 控え目で物を大切にする娘であったというけれども、そんな性格が災いしたのか、四人娘に強引に誘われては、振り回されることもしばしばであったとか。
 四人娘からすれば、お情けで仲間に入れてやっている、可愛そうだから構ってやっているという感覚であったのだろうけど、おきつからすればいい迷惑である。
 だが、うかつに厭とはいえない。
 なにせ相手はみな大店や医師の娘だ。
 機嫌を損ねたら、どんな障りがあるかわかったものじゃない。
 だからおきつはじっと耐えていた。

 そんな五人の関係がおかしくなったのは、おきつに良縁話が持ち上がった頃。
 相手はさる薬種問屋の跡取り息子であった。
 たまさか湯屋に立ち寄ったときに、襷姿(たすきすがた)で手伝うおきつを見かけて、ひと目惚れしたのがきっかけであった。薬種問屋の息子の方が是非にと望んだのである。
 愛宕屋にとっては願ってもない話にて、両親は喜んだものである。
 でも、これをとても悔しがった者がいた。
 お真砂である。

「自分たちがまだだというのに、おきつのくせに生意気な!」

 もともと我が強く、親が手を焼くほどの癇癪持ち。
 それがずっと格下と侮っていた者に先を越された。しかもこの縁が結ばれたら、立場が逆転しかねないことに、たいそう憤る。
 お文、お菊、とよら三人も「そうよ、生意気だわ!」と同調した。
 彼女たちとて悔しかったのだ。薬種問屋の跡取り息子の男ぶりは知られており、そんな男から請われる女冥利を羨み、妬んだ。
 だがしかし、三人はいささかお真砂のことを見誤っていた。
 小気味よく気風がいい反面、機嫌を損ねたらやっかいなのは承知していたのだけれども、よもやあれほどのことを仕出かすとは……。

「調子に乗っているから、ちょいとあの子を懲らしめてやる」

 そんなことを言い出し、お真砂は三人から一両ずつ金をせしめた。
 いったい何をするつもりなのか?
 三人が訝しんでいると、お真砂は自分の店の若い衆にさらに五両を加えた金子を渡して、おきつにけしかけたのである。
 けしかけられた若い衆が船頭の勘助であった。
 暗がりに連れ込まれ、無惨に手折られた花。
 幸せの絶頂から不幸のどん底へと叩き落とされたおきつは、堀に身を投げてしまった。

 魂消たのが、お文、お菊、とよら三人である。
 破落戸でも雇ってちょっと脅して、怖がらせる程度だとおもっていたのに、蓋を開けてみれば、とんでもないこと!
 血相を変えて「なんてことをしてくれたんだ」と詰め寄る三人に、お真砂はにちゃりと厭らしい笑みを浮かべた。

「あんたたちも銭を出したんだから同罪だよ。知らぬ存ぜぬだなんて許さないんだから」

 身を焦がすばかりの度を越した焼き餅。
 お真砂に宿る狂気を目の当たりにして、三人が心底震えあがったのは言うまでもない。

  ◇

 事件後、勘助が舟宿を出奔したのはほとぼり冷ますため。お真砂に命じられたから。おりをみて呼び戻すことになっていたらしいが、本当にそうするつもりであったのかは、いまとなってはわからない。
 この話は岡場所にしけこんだ勘助がしたたかに酔っ払ったあげくに、女郎相手にべらべら喋っていたのを、下っ引きの者が聞き込んできた。
 左馬之助の話を聞き終わって、巌然と藤士郎も苦虫を噛み潰したような表情となり、銅鑼は誰にも聞こえない小声にてぼそり。

「とんだ焼き餅だ。すっかり焦げちまって食えやしねえ」


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