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其の二百六十九 襲撃 後編
しおりを挟む姿が見えない謎の襲撃者。
迫る風切り音だけが、次第に大きくなっていく。
その時、一行の最後尾にて少し離れたところからついてきていた銅鑼が警告を発する。
「右だ、藤士郎!」
すでに踏み出していた藤士郎が背に庇ったのは、駕籠から投げ出されたとよである。ちょうどよろよろと立ち上がるところであった。
駆け寄り右方向へとふり向きざまに、狐侍が愛用の小太刀を抜いたところで――。
ぎぃいぃぃぃぃん!
強い衝撃を受けて刃が震えた。
重たい一撃、勢いがある。まるで硬い漬物石でもぶつけられたかのよう。ぐんと押し込まれそうになる。
とっさに小太刀の棟に手を添え、踏ん張ったことで狐侍はどうにか堪える。
刹那の邂逅、ぎりぎり受けることができたのは、襲撃者の狙う箇所が娘の首筋だとわかっていたから。小太刀を縦にかざすことで防ぐ。
攻防の我慢比べ、これを制し小太刀が襲撃者の攻撃をはじいた。
なおも衰えぬ殺気がすぐ脇を抜けては、猛然と風切り音が遠ざかっていく。
その正体を見極めようと狐侍は目を凝らすも、あまりにも一瞬の出来事にてよくわからなかった。
でも、わかったこともある。それは……。
「まだだ、藤士郎!」
ふたたび発せられた銅鑼の警告により、意識が現実へと引き戻される。
それと同時に狐侍の鼻先をかすめたのは、ちりりという火の気にて。
首を斬られて、炎にまかれるのが血祭り炎女事件の特徴だ。まだ終わりじゃない。
はっとした狐侍は強引にとよの身を抱き寄せるなり、思い切り横っ飛び、もろとも地面に転がった。
これに遅れることまばたきほど、ちらちらと火の粉が宙を舞ったとおもったら、やにわに、ぼんっ!
唐突に膨らんだのは熱気を含んだ赤、怪火である。
ついさっきまで藤士郎ととよがいた場所が炎に包まれた。
燃える物が何もなかったので、火はすぐにかき消えてしまったが、もしもあのままぼんやり突っ立っていたらどうなっていたことか。
藤士郎はぞっとする。
「あれが例の? しかしいまのはいったい……」
「やはりちょっかいを出して来たな。ふたりとも怪我はないか」
左馬之助と巌然が駆け寄ってきたところで、とよがわんわん泣き出した。
彼女を懐に抱く藤士郎はどうしていいのかわからず固まってしまう。
なにせ狐侍、色恋とはとんと縁がなく、泣く女人の慰め方なんぞはついぞ心得ていないもので。
同心と和尚が慌てふためき、若い娘が泣き喚き、狐侍は呆然となり、頭に怪我を負った駕籠かきは倒れたままで、もうひとりの駕籠かきは腰が抜けて動けない。
往来のど真ん中でのこの醜態、どうしたって衆人の耳目を集めることとなり、現場は騒然となった。
◇
あれから騒ぎを聞きつけ出張ってきた町方たちを、定廻り同心の左馬之助が説き伏せ、駕籠かきは新しいのに替えて、怪我人や動けない者の後事を託し、藤士郎たちは早急にその場を離れた。
一路、知念寺を目指す。
こうなってはもう他人の目をはばかる必要はない。
急ぎ駕籠にて、町中をひた走る。
おかげで陽が明るいうちに知念寺の山門をくぐり、境内に入ることができた。
はあはあ、肩で息をしながら、汗だくとなっている一同。
藤士郎は手水舎(ちょうずや)で濡らした手拭いで体を拭きながら、巌然により堂内へと運ばれていくとよを見送る。
襲撃はあれきりにて、音沙汰なし。
だからとて、終わったとはとても思えない。
実際に刃を交えてわかったのは、暗い殺意と寒気がするほどの強い恨みの念である。
なにより手口の残虐さが、並々ならぬ執念深さを物語っている。
「やれやれ、今宵は長くなりそうだな」
左馬之助の言葉に藤士郎もうなづいた。
「で、手口はわかったのか、藤士郎? あいにくとおれのところからでは、まるでわからなかったが」
「それは……」
藤士郎は返答に窮す。
ぶっちゃけると何かがもの凄い勢いで飛んできて、これをはじき返すのに必死で、のんびり観察している余裕がなかった。
ただし刀ではないことだけはたしか。それよりもずっと重い。斧ほど大きくなく、さりとて鉈ほどのっぺりともしていない。包丁ほど華奢でもなければ、鋸のようにぎざぎざでなく、風車型の手裏剣ともちがう。
敵の得物の正体はわからない。
だがわかったこともある。
「飛び道具なのは間違いないよ。でも変なんだ。殺気がひとつじゃなかった。少なくともふたつ、あるいは他にもいるのかもしれない」
襲撃者は複数、藤士郎はそう断じた。
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