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其の二百六十六 数えちがい
しおりを挟む第一の犠牲者、医師の小畠源庵の娘、お文。
第二の犠牲者、小間物問屋菊村屋の娘、お菊。
第三の犠牲者、舟宿伊根屋の娘、お真砂。
七日ごとの凶事。
白昼の往来にて突然首から血を吹き、炎にまみれ、もがき苦しみながら果てる。
立て続けに三人が不可解な死を遂げた。
瓦版屋はこぞって取り上げ「血祭り炎女事件」と囃し立てた。
これに江戸の若い娘たちは怯え、娘を持つ親たちは恐々となる。
そのせいで同じ年頃の娘たちは家の奥に引き篭り、じっと息を殺して、身を潜めるようになった。
どうしても出かけなければならない用事があるときには、派手な柄の振袖は避け、地味な着物をまとい、頭巾をかぶり顔を隠す。もちろんひとり歩きなんぞはもってのほか。つねに誰かと連れ立ち、終始びくびくしながらうつむき、そそくさと足早やに立ち去る。
ぎすぎすした厭な緊張感が絶えず漂い、とたんに町から華やかさが消えた。
一方で、男たちはむすっと不機嫌顔にて「けっ、おもしろくねえ。とうがたった姥桜ばっかり眺めてたんじゃあ、こっちまでくさくさしてしようがねえ」なんぞと酷いことを言う。
怪死するのは若い娘……。
だから自分たちには関係ない。しかもよくよく話を聞いてみれば、みな裕福な家の娘ときたもんだ。
だから、しょせんは遠い他人事であったのだ。
けれども、それがとんだ勘違いだとわかったのは、ほどなくしてからのこと――。
◇
「うっ、こいつは酷ぇ」
男の骸を前にして、連絡を受けて検分に出向いてきた同心は、おもわず口元を袖で隠し、顔をそむけた。
ところは隅田川をずっと遡った先、千住の中州である。
たまさか小舟で通りかかった船頭が、泥に半ば埋まっていたところを見つけた。
さっそく引きあげてみれば、骸の状態がすこぶる悪い。
あまりの傷み具体に掘り出して戸板に移すのにも難儀するほど。
たっぷり水を含んでぶよぶよに膨れているだけでなく、肉が腐りかけており、右腕の肘から先と左足の膝から下が見当たらない。あと左脇腹が抉れて中身がかなり減ってしまっている。傷口からしておおかた野犬どもにでもかじられたのであろう。
どこか別の場所で死んで、何かのひょうしにここに流れ着いたか。
だが、そんなことよりも異様だったのが、全身に負った火傷である。
ほとんどの皮がめくれて、赤黒い地をさらしている。
そして首の傷だ。すぱっと鋭利な何かで斬られたであろう傷が骨にまで達しており、全身が酷い状態にもかかわらず、そこだけがやたらときれいに残っているものだから、否応なしに目が行ってしようがない。
「首を斬られて、燃えた死体……。こいつは、まさか!」
検分役の同心が、いま巷を騒がしている血祭り炎女との関連を疑ったのは、至極当然の流れであった。
そしてこれが事件の究明に奔走している奉行所に強い衝撃を与えるのと同時に、解決への糸口ともなる。
どうやら自分たちは勘違いをしていたらしい。
事件が起こった順番がちがっていたのだ。
最初に犠牲になったのは、お文ではなくてこの男である。
お文は二番目だ。
中州で発見された男の身元は、わりとすぐに判明した。燃え残っていた衣服、その懐に「伊根屋」の屋号が刷られた手ぬぐいがあったからだ。
伊根屋といえば、お真砂の実家である。
だからすぐに問い合わせてみたところ、その手ぬぐいはお得意先に配っている物とはちがい、店の身内用にと作られた物とわかった。
そして伊根屋では若い船頭がひとり、行き方知れずとなっているとのこと。
若い船頭の名を勘助といい、舟仕事のかたわらで小間使いのような扱いを受け、お真砂にいいように使われていたらしい。
お真砂はいささか癇の強い娘にて、いったん頭に血がのぼると両親もなだめるのに苦労するほど。そのせいで世話役の女中を置いても長続きしない。
しかし勘助は辛抱強く仕えてくれていた。
だから家の者らも重宝し、密かに感謝もしていたのだけれども、それがふつりと居なくなった。先月半ばのことである。
店の者らはてっきり「あー、ついに勘助も逃げ出したか」ぐらいに考えていたのだけれども。
伊根屋の女中頭と船頭仲間に仏さんをたしかめてもらったところ、顔半分が焼け焦げふにゃけていたものの、ふたりはそろって「勘助にまちがいない」とうなづいた。
さて、こうなると俄然怪しいのがお真砂と勘助である。
なにせ同じ家から怪死が二件も出たのだから。
いきなり出奔したという勘助もおかしい。じつは彼の懐に残っていたのは手ぬぐいだけではなかった。銭入れの巾着袋もあって、中には小判が八枚も入っていた。
若い船頭風情が持ち歩くには、いささか大金である。
どうやら勘助の出奔にも何やら裏がありそうだとにらんだ奉行所は、このふたりを中心にして、いま一度、犠牲となった者らの身辺や繋がりを総ざらいすることにした。
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