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其の二百六十四 地獄の蓑踊り
しおりを挟むその日、九坂藤士郎はお園さんのところに出向いていた。
あいかわらず伯天流の道場では閑古鳥が鳴いている。
生活するためには働かねばならぬ。
ここのところ写本仕事が好調にて九坂家の懐事情はまずまず。
だからとて胡坐をかいてはいけない。それにこれまでの付き合いもある。苦しいときに手を差し伸べてくれた方々に不義理を働くなんぞはもってのほか。
お園さんは元お店者の未亡人である。旦那が亡くなってからは店は人に任せて、自分は月々に決まった分だけお手当を貰っての悠々自適な暮らしをするかたわら、金貸しをしている。
とかく嫌われ、揉め事が多いこの稼業。
だがお園さんの場合は暇つぶしの趣味みたいなもの。はなから儲けるつもりがない。だから扱う額も小さいし、取り立てもあまり熱心じゃない。
よく言えば良心的、悪く言えば笊(ざる)だ。
商いというよりも、ほとんど施しに近い。ならばいっそのこと恵んでやればいいと思わなくもないが、「それをしちゃうと相手が駄目になっちゃうから」とお園さん。
そんなお園さん、いったい藤士郎のどこが気に入ったのやら。
たまに声をかけては笊の穴埋め仕事を与えてくれる。
ありがたいことに手間賃をはずんでくれるもので、藤士郎の方も呼ばれるままに、ほいほい駆けつけているという次第。
長身痩躯の猫背をいっそう丸めては文机に向かい、ぱちりぱちりと算盤をはじく。せっせと帳簿整理をやっつけての帰り道。
まだ夕暮れまでには少し間がある。
だからおみつの茶屋に寄って、銅鑼への土産に団子を買って帰ろうとした藤士郎であったが――。
行き交う人たち、その流れに身をゆだねて堀沿いを歩いていると、突如としてぷぅんと鼻についたのは、馴染みのある臭い。
鉄がさびたような……これは、血の匂い!
はっとしてふり返った藤士郎の目に飛び込んできたのは、天へと向けて噴きあがる朱の間欠泉であった。
ぱらぱらと血の小雨が降る中、首筋を斬られたであろう若い娘が、呆然と立ち尽くしている。
すぐそばで腰を抜かしている丁稚(でっち)は、娘の供の者であろうか。
白昼の往来での辻斬り?
状況からして、どうやら通りすがりにやられたらしい。
だが藤士郎をさらに驚愕させたのは、直後に娘の身に起きた出来事である。
ちりりと赤い粉が舞ったとおもったら、たちまち娘の着物の袖や裾にぼっと火がついて、あっという間に全身へと燃え広がってしまった。
火から逃れようと、娘が両腕を振って暴れる。
その姿は踊りを舞っているかのようで、どこか夢現(ゆめうつつ)な光景であった。
だがそれはまごうことなき現実、生きながらに焼かれる地獄の蓑踊り(みのおどり)である。
降ってわいた凶事、突然のことに当人および周囲にいる者たちは何もできず。
それは狐侍も同じであった。あまりにも日常にそぐわない怪現象であるがゆえに、理解が追いつかず、とっさに体が動かなかった。
けれども、数多の奇妙奇天烈な経験をしてきたのは伊達じゃない。
藤士郎はその場に居合わせた誰よりも先に我へと返った。
すぐさま燃える娘に駆け寄り、どうにかして火を消そうとした矢先のこと。
ふらりとよろめいた娘が足を踏み外し、堀へと落ちてしまった。
だというのにである。
娘の身を焼く炎は消えるどころか、ますます燃え盛っていた。
いまわの際、助けを求めてのばした娘の腕が沈んでいく。
それを藤士郎は見ていることしかできなかった。
◇
白昼の往来で惨劇が起こった。
たまさかその場に居合わせた藤士郎であったが、いろいろあって現在は最寄りの番所にて留め置かれている。
駆けつけた岡っ引きに「すみませんが、ちょいと話を聞かせてもらえませんか」と頭を下げられたもので、「わかった」とついていった。
そこで自分が目にしたことを、正直に、できるかぎりこと細かく話したものの、いっこうに解放されない。
「じゃあ、そういうことで」
話が終わって藤士郎が腰をあげようとすれば、なんのかんのと言われて引き留められる。
縛られこそはしていないものの、出入り口には見張りであろう下っ引きが立っている。それもふたりがかりで通せんぼ。ばかりか、どこか険の篭った視線を向けてくる。
そんな彼らの態度から、藤士郎も薄々勘づいた。
どうやら自分が疑われているらしい。
よくよくあの場面を思い返してみると、それも無理からぬことかと納得もする。
なぜなら娘が首を切られ炎上したとき、近くで刃物を持っていたのは腰に小太刀を差していた藤士郎、ただひとりであったのだから。
「やっかいなことに巻き込まれた」
藤士郎は嘆息しつつ、見張りの者に声をかける。
「ねえ、すまないけど、南町奉行所までひとっ走りしてくれないかな。定廻り同心の近藤左馬之助に遣いを頼みたいんだけど」
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