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其の二百六十一 三十一番目の……
しおりを挟む「匡房さま、ずっとお慕いしておりました」
ちまちました牽制やかけ引きはもうしまいだとばかりに、川姫・紅波がずばっと切り込んだ。
「なっ!」
「えっ?」
これに驚いたのは迫られた当人ではなくて、はたで見ていた橋姫の阿古乎と辻姫の花世である。よもや、ここまで大胆な行動に打って出るとはおもいもよらなかった。まんまと出し抜かれた形となってしまう。
そしてさらに阿古乎と花世を仰天させたのが、この一世一代の告白に対する夜行匡房の返事である。
「ふむ。わかった。では、そなたを我が妻にしよう」
美貌の貴公子は一切の躊躇もなく求愛を受け入れた。
紅波が舞い上がらんほどに喜んだのは言うまでもない。
たいそう焦ったのが阿古乎と花世だ。
このままでは負けが確定する。神といえども男と女のことだ。相手に想いが通じず振られるのはしようがない。けれども、幼馴染みの鳶(とんび)に油揚げをさらわれるのだけは、どうにも我慢ならぬ。
すかさずふたりも追随し、「わらわも」「わたくしも」と手をあげ想いを告げた。
そうしたら夜行匡房は鷹揚にうなづき、これらをもあっさり受け入れたもので、今度は紅波の方が「はぁ?」と仰天して大きく目を見開くことになってしまう。
勝ったとおもったら、その矢先に相手の心無い手のひら返し。
わけがわからない状況の中、女たちを翻弄する貴公子がこともなげに言った。
「そなたたちの想いはしかと受け取った。さて、では順番をどうしようか。まずは三十一番目を決めないと。あとは順々に……」
雅な文化が華開きし平安の御代のことである。
やんごとない身分の殿方が、夜な夜な妻の下へと通うのが当たり前であった。
これを通い婚という。
そして疫病神の夜行匡房は、お役目柄、ひとところに長く留まることは許されない。もしもそんなことをすれば、その土地で疫病が蔓延し、生きとし生ける物がすべて絶えてしまうからである。
ゆえにお供を連れて牛車に揺られては、各地を転々としている。
だが、ご存知のとおり夜行匡房は、同性すらもが頬を赤らめるほどの美貌の貴公子である。そんな色男を異性が放っておくわけがない。
また各地を渡り歩くがゆえに、行く先々に滞在場所がないのは、何かと不便である。
かくしていつの頃からか、夜行匡房は現地妻を持つようになり、通い婚をする生活となっていた。
その妻の数が、ただいま三十。
夜行匡房の言葉に、三姫たちはそろってぴきりと固まった。
勝とうが負けようが関係ない。何がどうしようとて一番にはなれぬ。それどころか、数多いる妻のうちの末席に添えられるだけのこと。
これを甘んじて享受するには、三姫たちはあまりにも若く未成熟にて、かつ夜行匡房とは価値観がちがいすぎた。
この深い溝、高い垣根を超えるには相当の覚悟が必要となる。
かくして姫たちの恋は儚く散ったのであった。
◇
思っていたのと、ぜんぜんちがう……。
三姫たちは恋の熱も冷め、夢からも醒めた。
呆然とする三姫たちを残し、夜行匡房は先に席を立つ。
こうして会合は幕をおろしたわけであるが、そこへ飛び込んできたのが、いんちき商売の仲間のふたりであった。
なんとも間の悪いことで、いらいらのはけ口にされてしまったという次第である。
本日の出来事の一部始終を語り終えた銅鑼が「にしし」と意地悪な笑みを浮かべる。
「まぁ、あのお転婆娘どもにはいい薬になっただろうさ」
「これに懲りて、不用意に変なものを招かないようになってくれればいいんだけど。それにしても通い婚で妻が三十人とか、すごいねえ」
「たしかにすごい。だが、おれはごめんだね。ひとりでも怒らせたらやばいのに、それが三十とか、ぞっとする」
言うなり、でっぷり猫は毛並みを揺らし身震いをする。
「あー、うん、たしかにそうだね。ちょっとうらやましいとか思ったけど、よくよく考えたらおっかないや」
藤士郎がうなづいたところで……。
「っと、こうしちゃいられない。そういえば左馬之助を待たせているんだった。はやくあのふたりを連れて行かなくちゃ」
だから、そーっと能楽堂の中をのぞいてみたけれど、三姫たちはあいかわらずご立腹の様子にて、えらい形相をしており、とてもではないが声をかけられそうにない。
どおりで近くに側仕えの者らが誰もいないはずである。
みな勘気をこうむるのを恐れて逃げていたのだ。
藤士郎は「う~ん、どうしよう」と途方に暮れた。
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