259 / 483
其の二百五十九 夜叉姫
しおりを挟む八王子の狐騒動のおりに、近藤左馬之助は黒狐の怪異の凶爪にかかって生死の境を彷徨った。
あわやというところであったが、銅鑼の助言により呼ばれた巌然の法力により救われる。
妖や怪異なんぞは認められない。武士たるもの、そのような存在に惑わされ怯えるとは何事か!
というのが世間一般の武士の建て前である。
ましてや、お役人という立場もある。
事件のたびに「すわ、もしや妖の仕業か」と騒いでいては仕事にならない。
だから左馬之助も表向きはその考えに倣っている。
とはいえ実際に我が身で経験した。その手の厄介事にしょっちゅう巻き込まれているへんてこな友人もいる。
ゆえに「世の中には人知を超えたものが、たしかにある」と一定の理解を示している今日この頃……。
疫病神が、ただいま高輪の屋敷に滞在中。
ついでに橋と川と道を司る女神たちも集っており、さらにはその席を設けたのが、異才の女貧乏神である。
もしも疫病神の機嫌を損ねて江戸入りをされたら、えらいことになりかねない。
藤士郎から話を聞いた左馬之助は愕然とするも、すぐにはっと我に返った。
なにげに江戸の危機である。いまは呆けている場合ではない。
「いかん、なんとしても事が大きくなる前におさめるぞ」
と、左馬之助が頼もしい。
浜でのびている連中は捕り方の本隊にまかせて、左馬之助は丁字路の右へと入っていった分隊を追う。藤士郎もいっしょに駆け出した。
けれども願い虚しく、懸念していたことがついに起きてしまった。
ようやく追いついたとおもったら、道の突き当りにある屋敷の門前で右往左往している分隊の姿があった。
「おい、どうした? 逃げたふたりはどこへ行った?」
近くの者に詰め寄る左馬之助、あまりの剣幕だったもので相手はおどおどしながら答えた。
「そ、それが……。どうやらこの屋敷の内に潜り込んじまったようでして、へい」
見るからに只者ではない立派な門構え、広い敷地、数多の武家屋敷が集う高輪の地でも屈指の大きさを誇る。
ここがさる大大名の持ち物ということは、地元の人間ならば誰でも知っている。
もっともそれは過去のことである。いまの持ち主はちがう。
よもや吉原の女貧乏神にたぶらかされて、阿呆な殿様が貢いでしまったとは、さすがに外聞が悪すぎて言えやしないよ。
というわけで、地元の者らはいまでもここが大大名の地所だと思い込んでいる。
だからこそ、捕り方の分隊は踏み込めずにおろおろしていたのであった。
藤士郎は左馬之助に目配せをしてから、門前をこそっと離れた。
向かうのは裏手にある勝手口だ。
すぐに足音が追ってきた。左馬之助だ。分隊の者らには「自分が屋敷の者に話を通してくるから、しばし待て」と告げ、単身ついてきた。
勝手知ったるなんとやら。お遣いで何度も出入りをしているから、屋敷の中のことはすっかりわかっている。
藤士郎は左馬之助を案内しつつ、庭側から敷地内にある能楽堂へと足早やに向かった。
まずはやんごとない方々の無事こそが肝要、それさえ問題なければ、あとはいかようにも誤魔化せるはず。
と、藤士郎は考えたのだけれども――。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「ひぃいぃぃぃぃぃいぃぃっ」
もう少しで能楽堂につく。
というところで、聞こえてきたのは絹を切り裂くような……ではなくて、ごわごわ使い古された麻布(あさぬの)を乱暴に破いたかのような男たちの悲鳴である。
響く野太い絶叫にびくりと肩を震わせ、藤士郎と左馬之助はおもわず足を止めた。
「あちゃあ、遅かったか」
万事休す、藤士郎は天を仰いだ。
でもあいにくの曇り空、希望の星のひとつも見えやしない。
ここに逃げ込んだふたり、よりにもよって一番踏み込んではいけないところに、踏み込んでしまったようだ。この広い敷地内、身を隠す場所なんていくらでもあっただろうに。
おおかた蛾みたいに華やかな灯りに惹かれたのだろうけど、相手が悪かった。
ちらりと横を見れば、左馬之助は思案顔にてぶつぶつ。
「紗枝と知恵をすぐに江戸から遠ざけねば、信州の親戚を頼るか、それとも上方の……」
むずかしい顔をしてなにやら考え込んでいる。
そんな左馬之助を残し、藤士郎はひとり能楽堂へと。
わずかにそっと戸を開け、おそるおそる中をのぞいてみれば、煌々と室内を照らす燭台に照らされ、長く伸びた影がゆらめく。
三人の夜叉姫がいた。
彼女たちの足下には、大きなぼろ雑巾が転がっている。
それは侵入した男たちの成れの果てであった。
おっかない鬼女の類を描いた絵は数多あれども、そのどれをも凌駕する姿を目の当たりにして、さしもの藤士郎もすっかり肝を潰し「ひゃっ」と頭を引っ込めた。
ぶるぶる、でも怯える一方で冷静な自分も残っており、あることに気がついてほっと安堵する。
……夜行匡房がいない。
「う~ん、ひょっとして最悪の事態だけは避けられたのかしらん?」
1
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる