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其の二百五十八 運命の分かれ道
しおりを挟むいんちき商売の一味の七人のうち、藤士郎は五人まで打ち据えた。
だが、その間にふたり逃げた。
薄く漂う夜霧の中を、ふたりはすたこら、脱兎のごとく遠ざかっていく。
藤士郎もあわててこれを追いかける。
先を行くふたりは、はや砂浜から街道へと差しかかろうとしていた。そこからは地面が固く足場がしっかりしているので、とたんに歩みが速くなった。
「待てーっ!」
見失うまいと藤士郎も懸命にひた走る。
しかし古今東西、待てと言われて素直に待つ悪党がいたためしはない。
長身痩躯にて手足がひょろ長い藤士郎は一歩が大きい。着物の裾をまくり上げ、褌(ふんどし)ちらり、大股開きともなればさらに駆けるのが速くなる。
だというのに、なかなか距離が縮まらない。
なにせ逃げている側も必死だ。夜陰と視界の悪さも味方している。それにどうやらあれらは一味で行商を担っていた者たちのようだ。
伊達にたくさんの荷を背負っては、江戸市中を歩き回っていたわけではないらしい。
無駄に足腰がしっかりしており、逃げ足がとにかく尋常じゃない。
もしも小太刀のみで大刀を腰に差していない身軽な藤士郎でなければ、引き離されて早々にまかれていたことであろう。
夜の街道を駆ける三人の男たち。
そうこうしているうちに、舞台は街道から高輪(たかなわ)の町中へと移っていく。
ふたりはよほど慌てふためいているらしく、二手にわかれて逃げる余裕もないらしいのは、ありがたいけれども。
この状況に藤士郎は眉間にしわを寄せる。どうにも胸騒ぎを覚えずにはいられない。
「よりにもよって、どうしてこっちの方角に……。なんだかとっても嫌な予感がするよ」
藤士郎は冷や汗たらり。
じょじょに疫病神の夜行匡房が滞在している屋敷がある方へと近づいている。
いま屋敷では三姫たちとの会合が行われている。
あれからどうなったのかはわからぬが、もしも乱入して邪魔なんぞしようものならば、おおらかで温厚な夜行匡房はともかくとして、彼のお供の赤疫鬼と青疫鬼らが黙っちゃいないだろう。それにきっと三姫たちも癇癪を起こすのにちがいあるまい。
橋と川と道を司る三柱が一斉に目くじらを立てる。
ぶるる、想像するだに恐ろしい。
「その前になんとしても連中を取り押さえないと」
しかし、嫌な予感ほどよく当たるもの。そして物事というのは、とかく悪い方へと転がりがちなのが世のお約束。
先を行くふたりが、とある丁字路へとさしかかった。
藤士郎はおもわず目をむき「げっ」
ここが運命の分かれ道。
右に曲がればなんの問題もない。
だが、もしも左へと進めば例の屋敷に突きあたる。
「わわっ、頼むからそっちには行かないでおくれよ」
祈る気持ちで、藤士郎はふたりの選択を見守る。
するとそんな藤士郎の願いが通じたのか、男たちは三叉路を右へと入っていった。
これに藤士郎は心の内で「よし!」と喝采をあげ拳を握る。
けれども、ほっと胸を撫で下ろし喜んでいられたのも束の間のことであった。
男たちがどたどた引き返してきたもので、藤士郎は「なんで?」と素っ頓狂な声をあげる。
ふたりが戻ってきた理由、それは右の道の向こうから駆け寄ってくる御用提灯の群れのせい。
よりにもよってこの頃合いで、左馬之助が手配した捕り方連中と行き当たってしまったのである。
逃げていたふたりはたいそう驚いたのであろう。まろびころびつ、戻ってきたとおもったら、左の道へと。
というかそちらにしか活路を見い出せなかった。来た道を戻ろうにもそこには藤士郎がいたからである。
そして自分たちを見るなり、きびすを返した不審な男たちを見逃す捕り方ではない。
「うぬ。怪しい奴め。それ、ひっ捕えろ」と捕り方の一部をそちらに向かわせた。
いんちき商売の一味と捕り方の分隊が、どたどたどた……。
前後して三叉路の左の道へと駆けていくのを前にして、藤士郎は「なんてこったい!」
するとそんな藤士郎に声をかけたのが、捕り方の一団の後方にいた左馬之助である。
「おい、藤士郎、見張りはどうした? こんなところで何をしている?」
そこでかいつまんで事情を説明した藤士郎であったが、これを受けて左馬之助も「なんてこった!」と顔を青くした。
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