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其の二百五十七 待ちぼうけ
しおりを挟む左馬之助の読み通りにて、いんちき商売の一味は七人組であった。
壁の穴から中をのぞいて、例のお札の存在もしっかり確認したので間違いない。
あとは「御用だ!」と踏み込んで、ふん縛るだけなのだが、そうはいかない事情がある。
贋薬は町方の領分だが、贋札は寺社方の領分に抵触する。町奉行と寺社奉行は、昔から事あるごとに張り合っている間柄だ。出し抜いて相手の鼻をあかすようなことをすれば、のちにいらぬ禍根を残すことになる。
「というわけだから、おれはちょいと近くの番屋に行って、話のわかる寺社方の者に遣いを走らせるから、藤士郎は連中が逃げ出さないように、ここを見張っていてくれ」
言うなり左馬之助はさっさと行ってしまった。
ぽつんとひとり残された藤士郎は、海風で飛んでくる砂粒に顔をしかめながら、一味が篭っているあばら家を見張ることになったのだけれども……。
◇
海風に首筋を撫でられ、藤士郎はぶるると身を震わせた。
吹きっさらしが少々身にこたえる。ここにきていっとう寒くなってきた。
見上げれば曇天に、はや緋色が混じり始めていた。
ひゃうひゃう、あれほどにぎやかであった海鳥たちの姿は失せ、替わりに波しぶきの音が耳にやかましい。
迫る夕闇の中、松の木陰にて。
藤士郎は街道の方をちらちら気にしながら「遅い」とぼやいた。
左馬之助が番屋に向かってから、かれこれ一刻は経とうとしている。
捕り物の手配をするのに手間取っているのか、それとも縄張り意識の強い面倒なのに絡まれているのか。
「もうっ、左馬之助ってば何をぐずぐずしているんだろう。このままじゃあまずいよ」
そろそろ日が暮れようとしている。
一味が篭っているあばら家、荒れ具合からして、とてもあそこで寝起きをしているとは思われない。おそらくあそこは一味が悪だくみするときに集まる場所なのだろう。
だとすれば、じきに解散して各々が自分のねぐらへと引きあげる。
夜は悪党どもの時間だ。
闇にまぎれて散開されては、とてもではないが追いきれない。
それに連中とて目があり耳がある。とっくに気がついているはずだ。己らが方々から疎まれているということを。ゆえにこのいんちき商いもそろそろ潮時と見極めて、今宵かぎりでおさらば、なんぞということも十分にありうる。
そうなれば次はない。
なのに左馬之助はいっこうに戻ってこない。
藤士郎の焦りをよそに、周囲はじょじょに暗くなっていく。
◇
ついに陽が完全に落ちてしまった。
ぴたりと海風も止んだ。
困ったことに、薄っすらと霧が出始める。
そしてついに恐れていた事態が起きた。
宵のうちからあばら家に灯されていた明かりが、ふっとかき消えたのだ。
いよいよ、一味が各々のねぐらへと帰ろうとしている。
藤士郎はつま先立ちとなり、うんと背伸びをしては街道の方に目を凝らす。
だが静かなものにて、左馬之助が多数の御用提灯を引き連れて戻ってくる気配は微塵もない。
そうしているうちに、ついにあばら家の表戸ががたがたと開き始めたもので、藤士郎は「ええぃ、しょうがない!」と覚悟を決めて、あばら家の方へと駆け出した。
これに驚いたのが、いんちき商売の一味である。
なにせ暗がりの彼方から、いきなり柳のようなひょろ長い狐侍が息せき切って駆けてきたのだから。
「な、なんだ、てめえはっ!」
という声には答えず。
狐侍は駆け寄り、出会いがしらに思い切り地面を蹴り上げた。
長い足が振り抜かれる。ぱっと浜辺の白砂が盛大に舞い散る。
これをまともに顔に喰らって「ぎゃっ」と怯む一味の者ども。
その隙にいっきに間合いを詰めた狐侍は、すかさず腰の小太刀を抜く。
閃く刃、ひとりの太腿を斬り、返す刀でもうひとりを峰打ちにて仕留める。
さらに三人目のこめかみを柄尻で殴打し、ほぼ同時に四人目の顎先を逆手に持った鞘で打ち据えた。狐侍の愛用の小太刀・鳥丸(からすまる)、その鞘の奥には鉛が詰められており、少し重たくなっているので、ちょっとした隠し武器となっているのだ。
飛び込んできた若い男が、中心で暴れている。
七人組がたちまち三人にまで減らされた。
この段になって、遅まきながら敵襲に気がつき刀を抜いたのは、一味の仲間である牢人者であった。
「きぃえぇぇぇい!」
両手に持った小太刀と鞘にてふたりを打ち据えた直後、無防備にさらされている狐侍の頭部へと刃を振り下ろす。
けれども刃は届かず。
すかさず引き戻された両腕、小太刀と鞘による十字受けにて、牢人者の一撃は止められてしまった。
しかし牢人者は諦めない。なおも踏み込み、刀に体重をのせては、ぐいと押し込めての力攻めをする。
対する狐侍は、がくりと片膝をついた。
が、それは押されてのことではなくて、みずから膝をついたのである。
狐侍は長身痩躯であるがゆえに、立っている時としゃがんでいる時とでは、かなりの落差が生じる。
これにより急に支えを外されたかのような格好となった牢人者は、たまらず前のめりになってつんのめった。
かとおもえば、その身が浮いてぐりんと宙を一回転する。
懐に潜り込んだ狐侍による肩車投げによるもの。
いかに下が砂浜とて、もんどりうって背中から投げ飛ばされたのではたまらない。
「がはっ」
肺の底から息を吐き牢人者は悶絶し、それきりとなった。
これで残りはあとふたり……。
と、狐侍が立ち上がれば、そのふたりの姿がすでに遠くになっていた。
泡を喰って逃げ出したのである。
「こら待てっ」と狐侍も駆け出した。
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