狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
250 / 483

其の二百五十 能楽堂

しおりを挟む
 
 魅惑の女貧乏神に命じられて雅な貴公子の疫病神を、高輪の邸宅へと案内したところで、藤士郎と銅鑼はお役御免……とはならなかった。
 疫病神の夜行匡房(やぎょうまさふさ)はやんごとない御方ゆえに、身のまわりのお世話などは貴祢太夫が手配した者らが行うが、三姫たちとの面談の手配を任されてしまう。
 しかしこれが、まぁ、たいへん!
 ちっともすんなりと事が運ばない。

 まず揉めたのが会う順番である。
 橋姫の阿古乎、川姫の紅波、辻姫の花世、そろって自分が先にと譲らない。
 ならば公平にくじで決めようと藤士郎が提案すれば、なんのかんのとごねて応じない。
 運を天にまかせるのは、あまり好きではないらしい。
 あとこれは姫たちの側仕えから聞いた話なのだが……。
 誰とはいわぬが、ずっと以前にくじをやって、いんちきをした者がいたらしい。けどこれがすぐに発覚し、みつどもえの取っ組み合いの喧嘩になってしまったんだとか。

「いやはや、あれはひどかった」

 話をしてくれた側仕えが、ため息まじりにこそっと教えてくれた。
 そのつぶやき声の、まぁ、重いこと重いこと。みな三姫らの諍いにはすっかり辟易しているようだ。
 でも、お気の毒ながら藤士郎にとっては助けともなる。
 これでもしも主人に盲従して、下の者らまでいっしょになって争っていたら、それこそ目もあてられやしないもの。
 三姫および貴祢太夫と夜行匡房との間を、書簡を持って藤士郎が奔走する。銅鑼には夜行匡房の見張り役を頼んでおいた。彼が気まぐれを起こして「江戸見物でも」とか言い出したら、面倒なことになるので。
 そうして結局、三姫がそろって夜行匡房と会うことに決まって、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。
 今度は座る場所で三姫がぐずりだしたもので、藤士郎は頭を抱えた。

 どこの誰かは知らぬが、阿古乎にいらぬことを吹き込んだらしい。

『古来より日ノ本では、書が右読みになっている。ゆえに右端に座る方が、自然と最初に目に入るので、俄然、有利となる』

 恋も戦も先手必勝とのこと。
 なるほど一理ある。
 だが、それを黙っていればいいものを阿古乎が得意げに吹聴したもので、耳聡い他の姫らに知られて、ここでも張り合いが生じてしまった。
 三姫がみな「自分が右端に座る」と頑として譲らない。
 藤士郎がほとほと困り果てていると、貴祢太夫が見かねて一計を案じてくれたので、どうにかこの問題にも目途がつき、いよいよ会合の日を迎えたのは、疫病神が江戸入りをしてから、じつに十三日目のことであった。

  ◇

「――ようやくここまでこぎつけたな」
「――ようやくここまでこぎつけたね」

 本当にたいへんだった。
 銅鑼と藤士郎は舞台袖にて、感慨もひとしお。鼻をすすり、ちょっと涙ぐむのもしようがない。
 ここは夜行匡房が滞在している邸宅内にある能楽堂だ。
 舞台は通常の角ばったものとは、いささか趣きが異なっている。
 円形の桟敷席があって、その中央に舞台が設けられている。
 なんでもこれが本来の能舞台の姿にて、いまの馴染みの姿は江戸の世になってから定着したそうな。
 この能楽堂を会合の席にする。
 それこそが貴祢太夫の案であった。

「端があるから揉めるのならば、その端を失くせばいい」

 どこまでも張り合う三姫たち、なにをどうしようが角が立つ。
 でも円ならば、そもそも立てる角がないので、揉めようがない。
 誰に最初に目を向けるのか、声をかけるのかは、夜行匡房の気分次第というわけだ。
 姫君たちはすでに席についている。
 あとは主役の登場を待つばかり。
 それにしてもである。
 広大かつ雅な庭に、立派な建物、茶室や離れのみならず、こんな能楽堂まで構えているとか。
 ここの元の持ち主の金満ぶりが凄まじすぎる。
 そしてそんな相手を平然とたぶらかして、ここを丸ごと貢がせる貴祢太夫っていったい……。
 あらためて女貧乏神の恐ろしさを藤士郎が痛感していると、先触れがあって、いよいよ本日の主役の入場となった。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

処理中です...