狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百五十 能楽堂

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 魅惑の女貧乏神に命じられて雅な貴公子の疫病神を、高輪の邸宅へと案内したところで、藤士郎と銅鑼はお役御免……とはならなかった。
 疫病神の夜行匡房(やぎょうまさふさ)はやんごとない御方ゆえに、身のまわりのお世話などは貴祢太夫が手配した者らが行うが、三姫たちとの面談の手配を任されてしまう。
 しかしこれが、まぁ、たいへん!
 ちっともすんなりと事が運ばない。

 まず揉めたのが会う順番である。
 橋姫の阿古乎、川姫の紅波、辻姫の花世、そろって自分が先にと譲らない。
 ならば公平にくじで決めようと藤士郎が提案すれば、なんのかんのとごねて応じない。
 運を天にまかせるのは、あまり好きではないらしい。
 あとこれは姫たちの側仕えから聞いた話なのだが……。
 誰とはいわぬが、ずっと以前にくじをやって、いんちきをした者がいたらしい。けどこれがすぐに発覚し、みつどもえの取っ組み合いの喧嘩になってしまったんだとか。

「いやはや、あれはひどかった」

 話をしてくれた側仕えが、ため息まじりにこそっと教えてくれた。
 そのつぶやき声の、まぁ、重いこと重いこと。みな三姫らの諍いにはすっかり辟易しているようだ。
 でも、お気の毒ながら藤士郎にとっては助けともなる。
 これでもしも主人に盲従して、下の者らまでいっしょになって争っていたら、それこそ目もあてられやしないもの。
 三姫および貴祢太夫と夜行匡房との間を、書簡を持って藤士郎が奔走する。銅鑼には夜行匡房の見張り役を頼んでおいた。彼が気まぐれを起こして「江戸見物でも」とか言い出したら、面倒なことになるので。
 そうして結局、三姫がそろって夜行匡房と会うことに決まって、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。
 今度は座る場所で三姫がぐずりだしたもので、藤士郎は頭を抱えた。

 どこの誰かは知らぬが、阿古乎にいらぬことを吹き込んだらしい。

『古来より日ノ本では、書が右読みになっている。ゆえに右端に座る方が、自然と最初に目に入るので、俄然、有利となる』

 恋も戦も先手必勝とのこと。
 なるほど一理ある。
 だが、それを黙っていればいいものを阿古乎が得意げに吹聴したもので、耳聡い他の姫らに知られて、ここでも張り合いが生じてしまった。
 三姫がみな「自分が右端に座る」と頑として譲らない。
 藤士郎がほとほと困り果てていると、貴祢太夫が見かねて一計を案じてくれたので、どうにかこの問題にも目途がつき、いよいよ会合の日を迎えたのは、疫病神が江戸入りをしてから、じつに十三日目のことであった。

  ◇

「――ようやくここまでこぎつけたな」
「――ようやくここまでこぎつけたね」

 本当にたいへんだった。
 銅鑼と藤士郎は舞台袖にて、感慨もひとしお。鼻をすすり、ちょっと涙ぐむのもしようがない。
 ここは夜行匡房が滞在している邸宅内にある能楽堂だ。
 舞台は通常の角ばったものとは、いささか趣きが異なっている。
 円形の桟敷席があって、その中央に舞台が設けられている。
 なんでもこれが本来の能舞台の姿にて、いまの馴染みの姿は江戸の世になってから定着したそうな。
 この能楽堂を会合の席にする。
 それこそが貴祢太夫の案であった。

「端があるから揉めるのならば、その端を失くせばいい」

 どこまでも張り合う三姫たち、なにをどうしようが角が立つ。
 でも円ならば、そもそも立てる角がないので、揉めようがない。
 誰に最初に目を向けるのか、声をかけるのかは、夜行匡房の気分次第というわけだ。
 姫君たちはすでに席についている。
 あとは主役の登場を待つばかり。
 それにしてもである。
 広大かつ雅な庭に、立派な建物、茶室や離れのみならず、こんな能楽堂まで構えているとか。
 ここの元の持ち主の金満ぶりが凄まじすぎる。
 そしてそんな相手を平然とたぶらかして、ここを丸ごと貢がせる貴祢太夫っていったい……。
 あらためて女貧乏神の恐ろしさを藤士郎が痛感していると、先触れがあって、いよいよ本日の主役の入場となった。


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