狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百四十八 三姫

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 呼び出されておっとり刀で吉原の大黒屋に来てみれば――。
 待っていたのは険しい目つきの貴祢太夫と、見知らぬ三人の姫君たち。
 座敷内の空気がぴりりと張り詰めており、なにやら肌寒い。ここは四階建ての妓楼の最上階だというのに、妙な底冷えがする。
 おそらくは貴祢太夫の全身から漏れ出る怒気と神気のせいであろう。
 貴祢太夫がくわえている煙管、「はぁ」と嘆息まじりに吐き出される煙までもが、心なしか冷気をおびて重たくなっているかのよう。

 恐縮してうつむいている藤士郎は、ちらりと上座の様子を盗み見る。
 うぅ、気まずい……女貧乏神はたいそうご立腹らしい。
 藤士郎は息苦しさを覚え、さっきから嫌な汗をかいている。すでに脇の下がびっしょり。人の身にはいささか堪える雰囲気と圧力である。
 だというのに、だ。
 そんな貴祢太夫の近くにいる三姫たちは、どこ吹く風である。
 あれほど露骨にぎろりとにらまれ、ふつふつと怒りの感情を向けられているというのに、まるで意に介さず。
 たいした肝の太さである。
 いや、この場合は鈍さというべきか。
 にしてもこの姫君たちはいったい何者であろうか?

 いってはなんだが、ここは吉原だ。見た目こそは華やかで煌びやか、かつ賑やかな不夜城だが、本質は男と女と金と欲がうごめく苦界である。世間から隔絶された生き地獄……高貴な姫君たちが物見遊山で足を踏み入れる場所ではない。
 困窮した公卿や武家の娘が売られることはままあれど、姫君たちには悲壮さが微塵もなく、むしろあっけらかんとしているばかりか、はや飽きたとでもいわんばかりの不遜な態度すら見受けられる。
 なんぞと藤士郎が考えていたら、脇にて毛づくろいをしていた銅鑼がぼそっと。

「おい、藤士郎。あいつら人間じゃねえぞ」

 これに藤士郎は「えっ」と驚きつつも、それと同時に「だからか」と得心もいった。
 そして一服し終えた貴祢太夫から、ようやく姫君たちを紹介されたのだけれども……。

  ◇

 三人の姫君たち。
 こちらを一瞥することもなく、自分の指先の爪をしきりに気にしているのは橋姫の阿古乎(あこや)、橋を司る神の一柱とのこと。
 すっとした鼻筋にて整った顔立ち、優れた容姿をしている。だが、つんけんした態度にて、藤士郎にまるで興味を示さず。やや吊り上がった目が、いかにも勝ち気で我がままそうである。

 垂れ流された長い黒髪を愛おしそうに撫でつけながら、いちおう軽い会釈をしたのは川姫の紅波(くれは)、川を司る神の一柱とのこと。
 源氏物語などの昔の絵巻物から飛び出してきたかのような容姿である。蝶よ花よと育てられた深窓の姫といった感じだが、涼やかな目元をいっそう細めてときおり見せる笑みが、なにやらぞっとする。
 どこかで見た表情にて、よくよく思い出してみると、それは幼子が蟻の行列を踏み潰したり、虫の羽根をむしったりするときのものに似ていた。

 しきりにきょろきょろ、そわそわしており、とにかく落ちつきがない。くりくりよく動く瞳にて周囲を眺めては、すぐに別の何かに移り気する。
 見た目は愛らしく、柔らかな子犬を連想させるのは辻姫・花世(はなよ)。道を司る神の一柱とのこと。道の安全と運行を守る道祖神といえばわかりやすいか。
 良く言えば無邪気で奔放、悪く言えば「この娘、大丈夫か」とちょっと心配になる。

 貴祢太夫をいれて四柱もが一堂に会する。
 いかに神格に差があるとはいえ、人の身からすれば神は神である。
 そんな場面に居合わせることになった狐侍、いかに頼りになる相棒がそばにいるとて、これはきつい。
 気が気ではない。寒気を感じて当然であろう。
 だが、いかに寂れているとはいえ、伯天流の道場主が情けない姿をさらすわけにはいかない。
 ゆえに意地にて、どうにか堪えていた藤士郎であったが、次に貴祢太夫が発した言葉により卒倒しそうになった。

「ほんに困ったことを。例の疫病神……、あれの江戸入りはこの娘たちのせいでありんす」

 頭が痛いとばかりに貴祢太夫が、やれやれと小首を振る。
 わざわざ悪神を呼び寄せたと聞かされて、藤士郎は目をしばたたかせた。


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