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其の二百四十六 輿争い
しおりを挟む多数が争う声、壊れた欄干、残された足跡、落水……。
夜の大橋で起きた奇妙な出来事。
近藤左馬之助の話では、これに前後して「市中をもの凄い勢いで走る輿(こし)たちを見た」なんぞという証言もあったんだとか。
そのことから、「ひょっとしたら橋から落ちたのは、そのお輿なのでは?」と考え、いちおう付近や下流域を探してみたものの、それらしい残骸は見当たらず。
ゆえに調べにきていた役人らも「はて?」と首を傾げるばかり。
帰宅した藤士郎から、このことを聞くなり銅鑼は「へぶしっ」とくしゃみをした。
「うー、なんだか妙に鼻がむずむずしやがる。……にしても、いまどき輿ねえ」
輿は身分の高い者が使う乗り物である。
轅(ながえ)という二本の棒の上に乗る台があって、複数のかき手らが轅を肩に担いだり、腰の辺りにさげたりして運ぶ。祭のときのお神輿を想像するとわかりやすいだろう。
もとは天皇が内裏での移動のときなどに使用されていたのが、のちに公卿や僧侶らも牛車に代わって使うようになったという。
ようは、やんごとなき雅な方々の乗り物ということだ。
しかしそれも今は昔のことである。
今ではより使い勝手のいい駕籠(かご)が主流となっている。
「輿といえば婚礼のときに、花嫁さんを実家から相手の家に運ぶのに使う風習があるんだよねえ。まえに写した書物の中に書いてあったのを読んだことがあるよ」
白無垢姿の花嫁を運ぶ輿の行列を想像し、藤士郎が頬を緩ませていると、銅鑼がふたたび「へぶし」とくしゃみ。へちゃむくれの顔をいっそうくしゃくしゃにして言った。
「輿といえば、棺(ひつぎ)や桶(おけ)も似たようなもんか」
厭なたとえである。
「銅鑼ってば、またそんなへそ曲がりなことを……。でもたしかに、あれも輿といえば輿になるのか」
お祭りのときや、目出度いときだけでなく、死んだときまでお世話になる。
そう考えると、輿っていったい何なんだろう。
藤士郎も腕組みにて「うーん」と眉間にしわを寄せつつ。
「そんな輿が競争をしている? 兼通と兼家の牛車争いじゃあるまいし」
◇
平安の頃、権勢を誇った藤原家であったが、だからとて一枚岩にはほど遠かった。
骨肉を分けた兄弟だからとて、仲がいいとは限らない。
その代表みたいなのが、兄兼通と弟兼家である。
相手の何が気に喰わないのか、ことあるごとに反目し、競い合ってはいがみ合う兄弟であったという。
しかし寄る年波には勝てず。
ついに兄が病床につく。するとそんな兄宅へと弟の牛車が向かっているとの報せを受けて、兄はしんみり。
「ずっと険悪な仲であったが、それでも見舞いに来てくれるとは、我らはやはり兄弟であったのか」
いがみ合う仲だったからこそ、いまわのきわに差し伸べられた情けが身に染みる。
兄兼通はおおいに感慨にふけり「関白職は弟に譲ることにしよう」とまで言った。
だがしかし……。
弟の牛車は兄宅の前をさっさと通り過ぎて、内裏へと向かったと知った兄は大激怒!
そう、すべては早とちりであったのだ。弟兼家は兄兼通のことなんぞ微塵も気に留めていなかったのである。
薄情な弟にぶち切れた兄は、病床から跳ね起きて、すぐさま牛車に飛び乗り、先を行く弟を追いかけ、追いかけ。
じきに追いつき、がんがんぶつかりながら「邪魔だどけ」「おまえこそ邪魔だどけ」と激しく争いながらも先を競い、ついには追い越してしまった。
そうして先に内裏へとついた兄は、勢いのままに円融天皇にこう上奏した。
「関白職はいとこの藤原頼忠に譲りたい。弟の兼家については、右大将を免職にしてほしい」
死に際の懸命な訴え、そのあまりの執念と剣幕に圧倒された円融天皇は恐れおののき、唯々諾々とこれをお認めになったという。
これにより弟兼家は栄達を逃し、兄兼通の一門はますます繁栄することになった。
◇
「おおかたどこぞの金持ちの酔狂な道楽だろうよ。しかし役人まで出張って、騒ぎが大きくなっているから、さすがにこれきりになるんじゃねえの」
銅鑼の意見に藤士郎も「だよねえ」とうなづく。
たしかに奇妙な出来事にて、きっと瓦版などが面白可笑しく書き立てては、江戸の民草の間で話題になるだろうが、それもせいぜい数日のことであろう。
なにより自分には関係のない話である。
そんなことよりも藤士郎は忙しいのだ。
銀花堂の若だんなより、追加の写本仕事を頼まれている。それを期日内に片付けないといけない。
だが、さっそく自室にて床机の前に座って筆を取ろうとしたところで、母志乃がゆらゆら姿をあらわし告げた。
「藤士郎さん、なにやら表から声がします。どうやらお客さまみたいですよ」
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