狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百四十二 手入れ

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 ふつうの丁半博打は賽子をふたつ振って、出た目の和にて賭けを行う。
 偶数ならば丁、奇数ならば半だ。
 けれども今宵の大一番で使われる賽子はひとつきり。ゆえに……。
 二、四、六の偶数が丁。
 一、三、五の奇数が半。
 賽子がひとつだろうが、ふたつだろうが、当たる確率は変わらない。二分の一だ。
 だがそれは理屈の上でのこと。
 不思議なもので、藤士郎にはふたつがひとつに減ったことで、ずんと重くなったような気がしてしようがない。
 丁半の二択が、とてつもない重圧にてのしかかる。
 しかしすでに竜胆により賽は投げられた。
 あとは不動がどちらに賭けるか、だ。

 壺振りのとき、不動はすーっと目を細めて遠くを見つめるような眼差しをしていた。
 それは武芸者が目の前の相手のみならず、全身の気配、周辺の状況など、全体を見渡すときの目つきと同じであった。
 賽子という一点にのみ意識が囚われることなく、それを扱う竜胆を、その女賭博師の一挙手一投足どころか、ほんのわずかな表情の動き、どれほど些細なことをも見逃さぬかのように。

 ……あるいは、彼らには自分たちには視えていない、何かが視えているのかもしれない。
 運気の流れ、勝ち筋とでも言おうか。
 立会人として誰よりも近くで勝負を見守る藤士郎は、ふとそんなことを考えていた。いつの間にか口の中が、からからに乾いている。

 一同が緊張した面持ちにて見守る中、不動が選んだのは……。

「――半」

 決断は下された。
 あとは壺を開けて、賽の目を確認するのみ。
 竜胆が壺へと手をのばす。
 いよいよ勝敗が決する。
 同時にごくりと唾を呑み込んだのは町田、埋地の両親分ら。手下の者らも食い入るように、凝視している。
 ついに竜胆の指先が壺へとかかった。
 おもわず前のめりになる観客たち。緊張が最高潮へと達しつつある瞬間、どくんと境内全体が鼓動したかのような気がした。

 そんなさなかのこと。
 視界の隅にて奇妙な動きがあり、無意識のうちに藤士郎はこれを察知し、目で追っていた。
 一同の注目が壺へと集まっているときに、不自然な動きをしたのは誰あろう、桑名以蔵であった。義足ゆえに仕込み杖を手放せないざんばら髪の男が、勝負の行方を見届けることなく、急にきびすを返して立ち去ろうとしているではないか。
 大一番を見物にきて、さぁ、これから!
 という段になっておかしな話である。なにか急用でも思い出したのか、あるいは具合でも悪くなったのかと藤士郎が訝しんでいると、ちらりとこちらをふり返った以蔵と目が合った。その顔つきがまたおかしい。
 まるで小僧が悪戯を見つかったときのような表情で、その目がこれまた不自然な動きをする。
 分社の外をやたらと気にしているような、おもわせぶりな素振(そぶ)りをする。
 これにつられるようにして、そちらに目を向けた藤士郎は「あっ!」とおもわず腰を浮かせていた。
 やおら中腰となった立会人、その不自然な動きに、真っ先に気がついたのは竜胆と不動である。
 ゆえに藤士郎の視線の先を追い、そして代打ちの賭博師たちはそろって「「ちっ」」と舌打ち。

「話がちがうじゃないか。ちゃんと根回しはすんでいるって言ってたのに」
「謀られたか、もしくは切り捨てられたんだろうよ。どうやら親分方は身の丈に合わぬ欲をかいたようだな」

 文句を言いながら、竜胆と不動は素早く着物に袖を通すなり、立ち上がった。
 これに前後して、観客のうちの誰かが声をあげた。

「げっ、町方の手入れだ! 逃げろっ」

 それが呼び水となり、役人たちが多数どっと押し入ってきたもので、境内はたちまち騒然となった。

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