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其の二百三十七 賭博師
しおりを挟む藤士郎は追われる身である。
だから、できるだけ目立たぬように動かねばならない。
そのせいで、やや出遅れた。
人混みをかき分け、どうにか本殿脇へと辿りついたときには、巫女はとっくに失せていた。
目の前には引き戸がある。
ここで出てくるのを待つか、それとも……。
わずかな逡巡ののち、藤士郎は屋内に立ち入ることを選んだ。
「もし、すみません」
遠慮がちに声をかけながら、戸を開けて中へと。
しかし返事はない。そこで藤士郎はさらに奥へと足を進めたのだが――。
そこで待っていたのは巫女装束ではなかった。
壁へとのびた影がときおり揺らめく。
煌々と燭台が灯されてある本殿内の広間にて並んで鎮座していたのは、ふたりの男女である。
熊のような大男であった。
白蛇のような女であった。
ともにご神体の大鈴を祀ってある祭壇に向かって控えており、じっとして目を閉じている。
けれどもその様が、まとっている気配が尋常ではない。
これから真剣での立ち合いに挑もうとする武芸者のごとき、あるいは仇討ちに臨まんとするかのよう……、悲壮さと剣呑さ、殺伐とした空気が漂っている。
熱い、そこにいるだけだというのに、ひしひしと伝わってくるのは肌をひりつかせるほどの熱量である。それこそすべてを焼き尽くさんとする劫火、だというのに冷たい。真冬の滝壺の凍える水底のような、ぞっとする冷たさがある。
この場に充ちているのは、怖いぐらいの静謐だ。
修行を積んで解脱(げだつ)した禅師のようでもあり。
数多の修羅場を経験した剣客のようでもあり。
俗世から隔絶された高見にある者のようでもあり。
――只者じゃない。
狐侍がこれまで出会ったことがない人種である。
はっと彼らの正体に思い至り、藤士郎はごくりと唾を呑む。
おそらくはこの男女こそが、今宵の大一番に呼ばれた代打ち。
大男が不動、女が竜胆なのであろう。
博打うち、遊び人、博徒、渡世人、勝負師を気取ったやくざ者……。
そんな連中、江戸の町には掃いて捨てるほどいる。
でも、このふたりはそれらとは完全に別物であった。
それもそのはずだ。代打ち勝負といえば聞こえはいいが、勝てば天国、負ければ地獄である。いいや、勝っても天国とは限らない。
負ければすべての責任を押しつけられて、責められるのは当然として、たとえ勝ったとしても負けた側から激しく恨まれるのは必定。仇と認定されて、つけ狙われることになりかねない。
勝っても負けても因縁が生じる。大なり小なり遺恨が残るのは、武も賭け事も同じこと。
そんな世界にどっぷり浸かっている。
板子一枚下は地獄どころではない。
狂気の沙汰だ。まともじゃない。
でも、そんな異常な環境に身を置くからこそ辿りつける境地がある。
「これが……真の賭博師」
おもわず藤士郎がつぶやいたところで、懐にある勝守の鈴がりぃんと鳴った。
ひょうしに祭壇に祀られいる大鈴も軽く身震いしたもので、不動と竜胆が閉じていた瞼を開けた。
「いまの音色、もしや欣也の鈴の音では?」
「あぁ、間違いねえ。ようやく主役の登場か。随分と気を揉ませやがる」
ふたりの言葉に藤士郎は訝しげな面持ちをする。
竜胆の発した欣也なる名前も気になるが、不動の言った主役との意味もわからない。
すると竜胆がくすりと目を細める。
「どうやら、お兄さんも巻き込まれた口らしいね」と妖艶な笑みを浮かべた。
誘われるままに、藤士郎はふたりのそばへと腰をおろす。
そしてふたりの口から語られたのは、三本線の勝守の鈴とその持ち主であった男のことであった。
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