235 / 483
其の二百三十五 博打の虫
しおりを挟む知念寺の蚤の市で鍋を買い求めた帰り道でのこと。
わけもわからず破落戸どもに追いかけ回され、たまさか逃げ込んだ先で出会った老婆よりもたらされた、鈴にかんする新たなこと……。
三本線の鈴、どうやらこいつはただの勝守の鈴ではないらしい。
そして自分がつけ狙われている理由も、この鈴にあるっぽい。
「博打にご利益のある特別な御守りだから、連中ってば、これを欲しがっているのかしらん」
藤士郎は腕組みにて「うーん」と思案顔となる。
「かもしれんな。……にしても気になるのは、さっき、連中の誰かが言っていた『時間がねえ』ということだ。ひょっとしたら裏で大一番が開かれるのかもしれん」
かりんとうを食べ終わった銅鑼が前足で顔をけしけし洗いながら、藤士郎にだけ聞こえるような小声で、ぼそり。
裏の大一番とは、もちろん賭け事のことである。
ただし、ふつうの丁半ではない。
例えば大店同士が莫大な利権や自慢の宝物を賭けて、もしくは地回り同士が縄張りを巡って、などなど。それらを荒事ではなくて賽子(さいころ)を振ったり、囲碁や将棋、双六などで白黒つける。
ちょっとした催し、娯楽の延長である。
闇試合みたいに人の生き死にを見物して面白がる悪趣味な催しよりかは、ずっと健全であろう。
だが、賭ける対象によっては双方ともに必死になるし、またこれの勝敗をめぐって別の賭けが派生するから、周囲も黙っちゃいないので、いろいろとややこしい。
「どうする、藤士郎? いっそのことそいつを連中にくれてやるか」
銅鑼がそんなことを口にするなり、鈴が震えてりぃんと鳴る。
横着は許さない、ちゃんと送り届けろ。
ということらしい。
これを受けて藤士郎は嘆息しつつ「仕方がないね。そろそろお暇しようか」と腰を上げた。
不躾な訪問にもかかわらず丁重にもてなしてくれた親切な老婆に礼を述べ、藤士郎と銅鑼はひらり、来た時と同じようにして庭の板塀を超えた。
◇
玄関から表へのこのこ出て行ったら、たぶん先回りして待ちかまえている破落戸どもに捕まる。そこであえて来た道を戻ることで追手をまこうという狙い。
目論み通り、壁を越えた先の裏路地に見張りの姿はなし。
まんまと脱出に成功した藤士郎たちは吾妻橋近くにある、分社へと急ぐ。
けれども、その道行きはたいそう難儀した。
なぜならば、目的地は博徒どもの聖地みたいな場所ゆえに、近づくほどに視界を占める博徒の数がみるみる増えていくからである。
分社の鳥居が見える位置ともなれば、割合が半々どころか、六対四、いいや、七対三ぐらいにまでなっていた。
「まいったね。これじゃあ、どれが敵だか見分けがつかないよ」
警戒しつつ物陰から様子を伺い、背負っていた鍋を下ろした藤士郎は「はぁ」と嘆息する。
ここまではどうにかやって来れたが、分社の前は見晴らしのいい一本道にて、身を隠せる場所がない。
「おうおうぞろぞろと、さすがは博徒どもの崇める地といったところか……。とはいえ、ちょいと妙だな」
いっしょに覗いていた銅鑼が髭(ひげ)をひくひく揺らす。
「?」
藤士郎が訝しんで片眉をぴくりとさせれば、銅鑼は続けてこう言った。
「いやな、いくらなんでも数が多すぎると思ってな。勝守の鈴が売りに出される午六つならばともかく、いまはもう七つの申刻過ぎだ。はやお陽さまも傾きだしているというのに」
あと半刻もすれば、賭場が開かれる頃合いとなる。
博打の虫がむずむずと騒ぎ出す時刻だ。
だというのに大勢の博徒どもが、分社界隈をうろついている。ばかりか、目に見えてさらに増えているではないか!
銅鑼の言う通り、たしかに奇妙なことである。
藤士郎たちが小首を傾げていると、たまさか彼らが隠れている近くを通りがかったふたり連れの会話が漏れ伝わってきた。
「今日の一番、おまえはどっちに張ったんだ?」
「おれかい、おれはもちろん町田一家さ。なんといっても、助っ人にあの竜胆(りんどう)の姐さんをわざわざ呼び寄せたってんだからな。そういうおまえさんはどうしたんだい」
「こっちは埋地一家に賭けたぜ。東の女狼も捨てがたかったが、西の不動が出張るって聞いちゃあよぉ」
じっと聞き耳を立てて会話を拾ったところによれば、どうやら新たに埋め立てられる土地を巡ってふたつの地回り一家が争っているらしく、その決着を博打で決めようということらしい。双方が名の通った代打ちの助っ人を呼んでおり、江戸の賭博界では、目下その話題でもちきりとなっている。
で、その大一番がよりにもよって、これから藤士郎たちが向かおうとしている分社の境内を借りて行われるという。
よもやの、銅鑼の予想が的中してしまい、藤士郎は「えぇー」と困惑せずにはいられない。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる