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其の二百三十四 三本線
しおりを挟むお花と別れて、本所へと向かいがてらのことである。
柳鼓長屋でのあれこれ、そのさなか、ずっと銅鑼はだんまりを決め込んでいた。
藤士郎はてっきり人前ゆえに、猫をかぶっているものかとおもっていたのだが、なにやら様子がおかしい。
胸元に抱いているからこそわかるのだが、やや体が強張っている。
あれ、銅鑼ってば……ひょっとして緊張しているのかしらん。
「さっきから変だよ。どうしたってのさ、銅鑼?」
藤士郎がたずねるも、でっぷり猫は「う~ん」と何かを考え込んでおり、生返事である。
しかし本所界隈も中ほどまで進んだところで、「あっ! 思い出した」
急に声をあげたもので、これには藤士郎がびくりとする。
「なんなのさ、驚くじゃないか」
「悪い悪い、柳鼓長屋のお花って娘のことでちょっと、な」
「?」
「どこかでみた面(つら)だとおもったら、あの娘の孫か……。どおりで似ているはずだ。いやはや人の世の移ろうのははやいねえ。あのお転婆がいまじゃあ、孫持ちになってるんだから」
ぷつぷつ呟いては、銅鑼は独りごちている。
いったい何のことかと、藤士郎が詳しいところを尋ねようとするも、その矢先であった。
「あっ、いやがった! 鍋野郎だ!」
前方から破落戸とおぼしき若い男に指を差された。
てっきりまだ深川の方を探し回っているとおもっていたのに……本所方面にまで捜索の手が回っていようとはおもわなかった。
「いけない、油断した」
慌ててきびすを返す藤士郎、「待て、こら!」と追いかけてくる連中を引き離しつつ、進路上の路地裏へと飛び込む。
が、土地勘があまりなかったもので、よもやそこが袋小路とはわからなかった。
気づいたときには、すでに後方を塞がれており、逃げられない。
しかし、それは常人なればである。
狐侍は道端にあった、防火用の天水桶(てんすいおけ)を足場として、ぴょんと跳ねた。
長身痩躯にて四肢の長い藤士郎が、そうすれば手がかなり高いところにまで届く。
行く手を遮る高い板塀の天辺に手をかけて、ひょいっと。やすやすとこれを超えたもので、追手の連中は「あっ!」
◇
飛び降りた先は、どこぞの家の庭先であった。
壁越しに「くそ、向こうに回れ」「逃がすな」「急げ、時間がねえ」なんぞという声に聞き耳を立てつつ、藤士郎はほっと胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。
かすかな気配を感じて、藤士郎がはっと顔をあげれば、縁側にて日向ぼっこをしている老婆と目が合った。
一部始終を見られてしまったらしい。
いかに事情があろうとも、勝手に他所さまの庭に入り込んだのは、こちらの落ち度である。それに下手に騒がれてはたまらない。
そこで藤士郎は言い訳……もとい、事情の説明をしようとしたところ、ちょいちょいと老婆より手招きをされた。
「すみません。いきなり変なところからお邪魔をしてしまって」
恐縮しつつ、勧められるままに老婆のとなりに腰をおろす藤士郎であったが、当の老婆はにこにこしたままにて。
「なぁに、いいんですよ。困っているときはお互いさまです。それに私も若い頃は亭主の放蕩ぶりに泣かされた口ですからねえ。うちの人も、賭場で負けが込んでは、揉め事を起こして、しょっちゅう追いかけ回されていたもんですよ。ふふふ、あれ、懐かしい」
どうやら老婆は勘違いをしているらしい。
しかしいちいち訂正するのも面倒なので、藤士郎は「はぁ」と適当に相槌しておくことした。老婆の厚意に甘えて、出された茶をずずずと啜る。ふぅ、散々に走り回ってばかりなので、茶が美味い。
銅鑼は老婆からもらった茶請けのかりんとうを、一心不乱に貪っている。
するとその時のことであった。
湯飲みを置こうとしたひょうしに、袖の中に放り込んであった鈴がそとにころんと転がりでてしまった。
「おっと、いけない」
転がる鈴へと手をのばす藤士郎だが、それより先にこれを拾ったのが老婆であった。
そしてしげしげと眺めつつ「これは勝守の鈴……じゃないわね。よく似てるけどちょっとちがうわ」と言った。
老婆によれば、彼女の亭主も若い頃には賭場通いに明け暮れていたそうで、そのために勝守の鈴をそれはもう後生大事にしていたものである。
だからこそ目にする機会も多かった。
勝守の鈴は縁に沿って二本線が入っている。
なのに、この鈴には三本目の線が入っているではないか。
「あらあら、ひょっとしたら特別な鈴なのかもしれないわねえ」
なんぞと言われて、藤士郎と銅鑼はおもわず顔を見合わせた。
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