狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
234 / 483

其の二百三十四 三本線

しおりを挟む
 
 お花と別れて、本所へと向かいがてらのことである。
 柳鼓長屋でのあれこれ、そのさなか、ずっと銅鑼はだんまりを決め込んでいた。
 藤士郎はてっきり人前ゆえに、猫をかぶっているものかとおもっていたのだが、なにやら様子がおかしい。
 胸元に抱いているからこそわかるのだが、やや体が強張っている。
 あれ、銅鑼ってば……ひょっとして緊張しているのかしらん。

「さっきから変だよ。どうしたってのさ、銅鑼?」

 藤士郎がたずねるも、でっぷり猫は「う~ん」と何かを考え込んでおり、生返事である。
 しかし本所界隈も中ほどまで進んだところで、「あっ! 思い出した」
 急に声をあげたもので、これには藤士郎がびくりとする。

「なんなのさ、驚くじゃないか」
「悪い悪い、柳鼓長屋のお花って娘のことでちょっと、な」
「?」
「どこかでみた面(つら)だとおもったら、あの娘の孫か……。どおりで似ているはずだ。いやはや人の世の移ろうのははやいねえ。あのお転婆がいまじゃあ、孫持ちになってるんだから」

 ぷつぷつ呟いては、銅鑼は独りごちている。
 いったい何のことかと、藤士郎が詳しいところを尋ねようとするも、その矢先であった。

「あっ、いやがった! 鍋野郎だ!」

 前方から破落戸とおぼしき若い男に指を差された。
 てっきりまだ深川の方を探し回っているとおもっていたのに……本所方面にまで捜索の手が回っていようとはおもわなかった。

「いけない、油断した」

 慌ててきびすを返す藤士郎、「待て、こら!」と追いかけてくる連中を引き離しつつ、進路上の路地裏へと飛び込む。
 が、土地勘があまりなかったもので、よもやそこが袋小路とはわからなかった。
 気づいたときには、すでに後方を塞がれており、逃げられない。
 しかし、それは常人なればである。
 狐侍は道端にあった、防火用の天水桶(てんすいおけ)を足場として、ぴょんと跳ねた。
 長身痩躯にて四肢の長い藤士郎が、そうすれば手がかなり高いところにまで届く。
 行く手を遮る高い板塀の天辺に手をかけて、ひょいっと。やすやすとこれを超えたもので、追手の連中は「あっ!」

  ◇

 飛び降りた先は、どこぞの家の庭先であった。
 壁越しに「くそ、向こうに回れ」「逃がすな」「急げ、時間がねえ」なんぞという声に聞き耳を立てつつ、藤士郎はほっと胸を撫で下ろしたのも束の間のこと。
 かすかな気配を感じて、藤士郎がはっと顔をあげれば、縁側にて日向ぼっこをしている老婆と目が合った。
 一部始終を見られてしまったらしい。
 いかに事情があろうとも、勝手に他所さまの庭に入り込んだのは、こちらの落ち度である。それに下手に騒がれてはたまらない。
 そこで藤士郎は言い訳……もとい、事情の説明をしようとしたところ、ちょいちょいと老婆より手招きをされた。

「すみません。いきなり変なところからお邪魔をしてしまって」

 恐縮しつつ、勧められるままに老婆のとなりに腰をおろす藤士郎であったが、当の老婆はにこにこしたままにて。

「なぁに、いいんですよ。困っているときはお互いさまです。それに私も若い頃は亭主の放蕩ぶりに泣かされた口ですからねえ。うちの人も、賭場で負けが込んでは、揉め事を起こして、しょっちゅう追いかけ回されていたもんですよ。ふふふ、あれ、懐かしい」

 どうやら老婆は勘違いをしているらしい。
 しかしいちいち訂正するのも面倒なので、藤士郎は「はぁ」と適当に相槌しておくことした。老婆の厚意に甘えて、出された茶をずずずと啜る。ふぅ、散々に走り回ってばかりなので、茶が美味い。
 銅鑼は老婆からもらった茶請けのかりんとうを、一心不乱に貪っている。
 するとその時のことであった。
 湯飲みを置こうとしたひょうしに、袖の中に放り込んであった鈴がそとにころんと転がりでてしまった。

「おっと、いけない」

 転がる鈴へと手をのばす藤士郎だが、それより先にこれを拾ったのが老婆であった。
 そしてしげしげと眺めつつ「これは勝守の鈴……じゃないわね。よく似てるけどちょっとちがうわ」と言った。
 老婆によれば、彼女の亭主も若い頃には賭場通いに明け暮れていたそうで、そのために勝守の鈴をそれはもう後生大事にしていたものである。
 だからこそ目にする機会も多かった。
 勝守の鈴は縁に沿って二本線が入っている。
 なのに、この鈴には三本目の線が入っているではないか。

「あらあら、ひょっとしたら特別な鈴なのかもしれないわねえ」

 なんぞと言われて、藤士郎と銅鑼はおもわず顔を見合わせた。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

剣客居酒屋 草間の陰

松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

散らない桜

戸影絵麻
歴史・時代
 終戦直後。三流新聞社の記者、春野うずらのもとにもちこまれたのは、特攻兵の遺した奇妙な手記だった。

処理中です...