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其の二百三十二 柳鼓長屋(やなぎつづみながや)
しおりを挟むずしり、急に懐のたぬきの彫り物が重たくなった。
藤士郎はたたらを踏む。
これを訝しんだ銅鑼が「どうした? もうへばったのか」とちゃちゃを入れてきたもので、藤士郎は「ちがうよ、じつは……」とわけを話した。
「ほぅ、……ということは、こいつはただの木彫りじゃないというわけか。しかし、このおれさまの鼻にひっかからないとは、はてさて?」
銅鑼の正体は大妖の窮奇(きゅうき)である。
ふだんは猫のふりをして九坂家で昼行燈を決め込んでいるが、ひとたび本性をあらわせば、有翼の巨大な黒銀虎となり、天空を自在に舞い、爪と牙でもって敵を蹂躙し、ときには風雲雷鬼なる眷属を呼び出し天変地異をも引き起こす。
でっぷり猫はへちゃむくれの鼻先をすんすんさせては、着物の胸元からちらりとのぞいているたぬきの彫り物を、興味深げに見ている。
しかしその目はにゅうと細められており、なにやら愉快そうな様子であった。
どうやら銅鑼はこの事態を面白がっているようだ。
そんな銅鑼に藤士郎は内心で嘆息していたのだけれども、体勢を整えようと足を動かしたとたんに、「へっ、あれ?」と驚いた。
足の向きをちょいと変えただけで、ふっと身が軽くなったからだ。
懐のたぬきの彫り物が軽くなっている。
「ったく、もう、なんだったんだよ、いったい……」
ぶつぶつ文句を言いながら、ふたたび両国橋方面へと向かおうとした藤士郎であったが、するとまたしても、ずしり。
たぬきが重くなった。
ばかりかその首から下げている鈴までもが、りんりんとやかましい。
「えーと、これって……そっちに行くなってことなのかしらん」
「おそらくはな。どうせ乗りかかった船だ。こうなりゃあ、最後まで付き合ってやるんだな」
銅鑼に言われて、「鍋を買いに行っただけなのに、なにやら妙なことになったなぁ」と唇を尖らせるも、藤士郎はしぶしぶうなづいた。
◇
自分たちを探し回っている破落戸どもの目を盗んで、藤士郎たちはこそこそ移動を続ける。そうしているうちにわかってきたのは、どうやらこのたぬきの彫り物と鈴は、行くべき道を示しているということ。
ちがう道に入ろうとすれば、たちまちずしりときて、りぃんと鳴る。
でもって、正しい道に向きを変えれば、すぐに軽くなって、静かになるといった具合に。
本所深川界隈を練り歩くうちに、藤士郎たちはいつしか深川でも北東の隅に位置する辺りにまで足を運んでいた。
そうしてとある長屋の木戸の前へと来たところで……。
「ちょっと、そこのあなた!」
と声をかけられた。
でも自分のこととはおもわなかった藤士郎は、そのまま行きすぎようとする。
すると「なっ、ちょ、ちょっと待ちなさいってば!」と言われて、背後から着物の袖をぐいと引かれた。
振り返る藤士郎、だがすぐに首を傾げることになる。
なぜなら誰もいないからだ。声はするというのに……真っ昼間から不思議なこともあるものだ。そういえばここ本所にも七不思議があったっけか。
なんぞと考えていたら、三度のお声がかり。
「さっきからどこ見てんのよ、こっちよ、こっち」
声は足下からした。
だから藤士郎が下を向いたら、そこに小さな女の子がいた。
自分の腰ほどの背丈、歳の頃は五つか六つ、くりくり動く瞳が印象的で、大人相手にも物怖じする素振りがまるでない。いかにも勝ち気な態度は江戸の町娘の卵といった感じである。
ひょろ長い藤士郎とは身長差があるせいで、視界に入らなかったようだ。
そんな女の子が言った。
「ねえ、あなた、うちのたぬきを連れてきてくれたんでしょう。こっちよ、ついてきて」
言うだけ言うと、こちらの返事も待たずにさっさときびすを返して歩き出したもので、藤士郎は慌てて追って長屋の木戸を潜った。
ちょこちょこ先を歩く女の子に追いつき、藤士郎は尋ねた。
「ここはなんて処なんだい? それにきみは……」
そうしたら女の子は答えた。
「柳鼓長屋だよ。でもってあたいはお花、ここの長屋の差配の末孫」と。
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