狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百三十一 鈴の音

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 少し大振りの鉄鍋を背負い、でっぷり猫を抱き、懐にはたぬきの彫り物をしのばせ、腰には愛刀の小太刀・烏丸を差し、狐侍が行く。
 ただでさえ柳のようにひょろりと背が高いせいで、周囲より頭ひとつ飛び出ているというのに、こんな珍妙な格好をしていれば、当然ながら目立つ。
 好奇の目にさらされ、居たたまれない藤士郎は足早やに知念寺の山門を潜って、境内の外へと。
 門前通りのところで銅鑼は「団子が食べたい。おみつのところに寄ろう」とごねたが、「いまは堪忍して」と藤士郎はとりあわず。さっさと茶屋の前を通り過ぎた。
 そうして自宅へと急ぎ向かう。
 とはいえ大通りは他人の目が多い。じろじろ見られるのは恥ずかしい。だから脇道を抜けようとしたのだけれども、その足が不意に止まった。

「うん? あんなところに破落戸がたむろしている。喧嘩でもあったのかしらん」

 前方にて、迷惑なことに半ば道をふさぐように複数人が向かい合っては、ぎゃんぎゃん揉めているではないか。「ちょいとごめんよ」と通り抜けてもいいのだが、なにせ気が立っている連中だ。下手に近づくと、いらぬ巻き添えを喰らいかねない。それに古来より急がば回れともいう。
 ゆえに藤士郎は素直に回れ右をしようとした。
 だが、その時のことであった。

 りぃん――

 澄んだ鈴の音がした。
 音の出処は藤士郎の懐である。どうやら身をひるがえしたひょうしに、懐に持つたぬきの彫り物の首に吊り下げられている鈴が鳴ったらしい。
 おもいのほかにいい音がする、でも……。
 いささか奇妙な話である。知念寺の境内からここまで、逃げるように早歩きをしてきたというのに、鈴は一度も鳴らなかった。それが急にどうして?
 藤士郎が内心で首を傾げていると、破落戸たちのうちのひとりが「あっ!」と声をあげて、いきなりこちらを指差した。
 だからてっきり自分のうしろに誰かいるのかと、藤士郎も釣られてふり返ってはみたものの、そこには誰もいない。
 で、顔を戻したところで視界に入ったのは、自分の方へとずんずん向かってくる破落戸どもの姿であった。
 破落戸どもはみな怒り肩にて、剣呑な雰囲気である。
 いったい自分の何が彼らの琴線に触れたのやら、とんとわからない。
 まったく身に覚えのない藤士郎ではあったが、さりとて大人しく捕まるほどお人好しではない。きっと何かの勘違いであろうが、それで袋叩きなんぞにされてはたまらないので、この場は脱兎のごとく逃げ出すことにした。

  ◇

 破落戸たちはしつこかった。
 いくら逃げても追いかけてくる。隠れていてもじきに見つかってしまう。
 おかげで自宅があるくらやみ坂に近づくどころか、どんどんと遠ざかっていく一方だ。

「なんで?」

 汗だくとなり藤士郎が駆けていれば、抱かれて楽をしている銅鑼が言った。

「なんでって、そりゃあ、おまえ……。鍋を背負ってるのっぽの狐侍なんぞが、天下の往来をひぃひぃ走り回ってれば、目立つからな」

 まったくもってその通りにて、藤士郎も納得せざるをえない。
 とはいえ、まさか買ったばかりの鍋を放り捨てるわけにもいかないし。
 さりとて知人のところに逃げ込んだら、先方にいらぬ迷惑がかかるかもしれれない。またこんなときにかぎって、同心をしている近藤左馬之助にも行き当たらぬ。
 かといってのんびり策を練る暇を破落戸たちは与えてくれない。
 というか、いつのまにやら追手の数が増えているではないか!
 おかげで行く先々で見咎められては、「待ちやがれ!」と追いかけられる始末。

 そうして追われて逃げるを繰り返しているうちに、気がつけば藤士郎たちは本所の深川界隈に立ち入っていた。

「う~ん、ずいぶんと奥の方まで来ちゃったよ。ここからだと竪川堀沿いを戻って、両国橋あたりの人混みにまぎれてしまうべきか」

 どうせ目立つのならば、いっそ開き直って、これを逆手にとる。
 衆人環視の中では破落戸どもも、無体な真似はできまい。
 そう考えた藤士郎が、こそこそ逃げ回るのは止めようと、両国橋の方へ足を向けかけたところで、またしてもである。

 りぃん――

 鈴が鳴った。
 ばかりか、急に懐がずしりと重くなったもので、藤士郎は慌てた。
 さりとて抱かれている銅鑼が暴れたわけじゃない。
 原因は懐にしのばせていたたぬきの彫り物である。
 軽い木彫りのそれが、まるで漬物石のように重くなったもので、藤士郎はたいそう困惑する。


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