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其の二百三十 蚤の市
しおりを挟むその日、藤士郎と銅鑼は知念寺の境内で開かれている蚤の市に顔を出していた。
母志乃から「鍋の手頃な出物があれば買ってきて欲しい」と頼まれたからだ。
ここのところ、九坂邸は客足が増えている。伯天流の門下生はさっぱりだが、道場を借り受けている猫又たちをはじめとして、夜な夜ないろんな連中がやってくる。
そのためにいろいろと物入りになってのことであった。
だったら、現在は家の懐に余裕もあることだし、新しいのを……と言わないのが、いかにも志乃らしい。ちなみにその金子は、妖怪専門の絵師である魚心に絡んだ事件のおりに、裏稼業の連中からもらったものである。切り餅ふたつ、手付かずにてそのまま渡したのだが、出処が出処なので志乃もなんとなく気がのらないのか、いまなお紙封を破いてはいない。
門前通りを抜けて、山門が近づいてくるほどに、早くも盛況な声が聞こえてきた。
知念寺の市は、事前に申し込んでおけば誰でも自由に商いができるとあって、毎回、とても賑わっている。
またここでは歩く仁王との異名を持つ巌然和尚が目を光らせており、他所の盛り場みたいに「所場代をよこせ」なんぞと言ってくる輩がいない。
いたら、すぐに屈強な寺の者どもに本堂の裏へと連れていかれて、拳骨付きの説法をしこたま喰らわされる。
なにかと銭勘定にうるさい巌然だが、市に関しては一切寄進を求めない。もちろん寸志はありがたく頂戴するけれども。
どうやら巌然は市は客寄せと割り切っているようだ。それに市にくれば、ついでに参拝したくなるのが人情にて、放っておいても賽銭箱に銭が増えるから、元は充分にとれているらしい。
天気に恵まれたこともあり、市目当ての客が多い。
だから藤士郎は迷惑がかからぬようにと、でっぷり猫の銅鑼をひょいと抱えて、市を巡ることにする。
あちこちの出店を見て歩きつつ、いい出物はないかと目を皿のようにして探す。
この市と藤士郎は、わりと相性がいい。
なにせ愛刀の小太刀・烏丸(からすまる)を手に入れたのもこの市であった。先代の頃より、九坂家では何かとお世話になっている。
子どもの頃から両親に連れられて何度も市に足を運んでいるせいか、藤士郎も馴れたもの。おのずと品物の相場もわかっているから、ぼったくりには引っかからない。懐具体と相談しつつ、目当ての品を探す。
蚤の市に並ぶ品は幾人もの手を経てきた品がほとんどだ。
出物との出会いは一期一会にて、これを逃せばふたたび巡り会うことは、まずない。
不思議なもので、藤士郎にはなんとなく予感があった。
「今日は、きっといい縁があるのにちがいがない」と。
◇
「おい、藤士郎、あれなんかどうだ? たくさんの芋を煮るのにちょうどいいんじゃないのか」
抱えている銅鑼に促されて見てみれば、たしかに母志乃に頼まれた条件に合致する大きさの鍋が売られていた。
店主に声をかけて値をたずねれば、手頃である。あちこちこんこん叩いては、具合を確かめてみるも、どこにも問題はなさそうだ。鍋の出処はとある小料理屋にて、営んでいた老夫婦が店を畳むので、商売道具の一切を手放すことにしたという。
「そういうわけかい。にしても、ずいぶんしっかりした鍋なのに、ちょっと安すぎるような気が……」
「あぁ、それですかい。理由は大きさですよ。ふつうの家で使うには、ちと大き過ぎて使い勝手が悪いもんで」
言われてみれば、たしかにその通りである。
いくら品が良くても、これで煮炊きをしたら、延々と同じ物を食べ続けるはめになる。
だからなかなか引き取り手があらわれずに、売れ残っていたというわけであった。
藤士郎はこの鍋を買うことにした。
けれども、銭を払いいざ品物を受け取ってみたら「おや?」
いつの間にまぎれ込んだのか、鍋の中にたぬきの彫り物が入っている。両の手のひらに乗るぐらいの大きさで、首に鈴をぶら下げていた。
お世辞にも出来がいいとは言えない。おそらくは素人の手慰みであろう。だが、妙に愛嬌がある。眺めていると、ほっこりした気分になってくる。
「ふふふ、銅鑼に似て、へちゃむくれだねえ」
「失敬な! おれはもっといい男だぞ。こんな間抜け面といっしょにするな」
そんなたぬきの彫り物だが、藤士郎が返そうするも店主は「いいよ、いいよ、あげるから持っていきな」と鍋のおまけにくれた。
くれるという物を突き返すのも失礼なので、引き取ることにした藤士郎であったが、それがよもやあんなことになろうとは……。
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