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其の二百二十八 飛び火
しおりを挟む駕籠かきに扮して松之助を殺めようとしていた男たち。
とっ捕まえてぎちぎち手荒く締めあげれば、どこぞの中間(ちゅうげん)にて、自分たちが奉公している武家屋敷で開かれている賭場で弥次郎と知り合ったと白状した。
弥次郎はとにかく調子の良い野郎で、まんまと「うまい儲け話がある」との口車に乗せられての犯行であった。
なんにせよ、これで裏はとれた。獅子身中の虫をふん縛れる。
と、藤士郎は意気込むも左馬之助は「うーむ」とむずかしい顔で腕組みしてしまう。
「中間どもはどうせ主家から切り捨てられるだろう。『当家にそのような不心得者はおらぬ』ってな。だからこっちは気にしなくていい。ただし、問題は弥次郎だな」
ぼたんの話では、お梅は思い悩んでこそはいるものの、いまだに決めかねている。善悪の彼岸を行ったり来たり。揺れ動いているが、どうにか踏みとどまっている。
このことからして、どうやら今回の襲撃は焦れた弥次郎の完全な勇み足であろう。
だからお梅とは一切関係ない。
とは都合よくいかないかもしれない。
左馬之助は危惧している。
「この手の小悪党はなぁ、いざともなれば平気で他人を巻き込む嘘を吐く。もしも、もしもだ。お白洲の場で野郎がお梅の関与を匂わせるようなことを口にしようものならば、たちまち紅楼にも飛び火するぞ」
つまり弥次郎が自棄を起こした挙句に、こうなりゃあ道連れだとばかりに「お梅にそそのかされた」と声高に吹聴しかねないということ。
ことの真偽については、ぼたんや自分たちが証言をすれば、疑いはすぐに晴れるだろう。
けれども紅楼は江戸でも名の通った料理屋だ。
そんな店の後妻が、流しの板前と手を組んで、跡継ぎの長男を害しては自分の子に店を継がせようとした。
いかにも世間が好みそうな筋書きにて、瓦版屋はこぞって面白おかしく書き立てることであろう。
そうなれば看板に傷がつき、紅楼の評判は地に落ちる。贔屓筋もこぞって離れるだろう。
そしていったんかぶった誤解や偏見は、墨の汚れみたいでいくらこすってもなかなかとれない。
お梅ばかりか、きっと子の竹太郎の将来にも暗い影が差す。
「これらのことを踏まえれば、紅楼側が訴えを取り下げるかも」
「えぇ! それじゃあ、悪党は無罪放免での泣き寝入りってことなの、左馬之助」
「……かもしれん、という話だ藤士郎。もしもそうなったら、せいぜい厳しく言い含めて、江戸所払いあたりが落としどころになるか」
この一件は表沙汰になったとて、誰も得をしない。百害あって一利なし。
善人ばかりが損をすることに藤士郎はむすっと不機嫌面になるも、さりとて店や子どものことを考えたら、すべてをなかったことにするのが妥当ということも頭ではわかっている。
すると当事者である松之助からも「どうか内々にすませたい」と懇願されてしまい、藤士郎たちもしぶしぶうなづくしかなかった。
◇
松之助が襲われた翌日のこと。
紅楼の一間に秘密裏に集っていたのは、松之助とお梅、弥次郎、ぼたん、近藤左馬之助、九坂藤士郎とでっぷり猫の銅鑼の、六人と一匹である。
なお紅楼の主人にはこの集まりについては報せていない。
松之助が頼んだ「内々」には、自分の父親のことも含まれていたのである。どうやら彼は家庭に波風が立ち、お梅や竹太郎に累が及ぶのを望んではいないようである。
南町奉行所の定廻り同心をしている左馬之助が出張っている時点で、薄々集められた理由を察しているのか、お梅は顔面蒼白にて小刻みに唇を震わせている。
松之助は沈痛な面持ちながらも、毅然とした態度を崩さない。
ぼたんは澄まし顔にて鎮座している。
一方でどっかと胡坐をかいては、ふてぶてしい態度なのが弥次郎だ。松之助が無事に帰宅した時点で、己の悪だくみが失敗したことは明白である。なのに逃げ出しもせずに居座っている。とうに料理人の仮面をはずして本性をさらしている。
会合の口火を切ったのは左馬之助であった。
昨夜の襲撃事件について触れ、事の顛末、それ以前からぼたんの勇気ある告発を受けて、秘密裏に動いていたことを聞かされて、お梅はますます顔を青くし、がくがく振るえてはいまにも気を失いそう。
弥次郎はきっとぼたんを睨んでは舌打ちにて「よけいなことをしやがって」と悪態をつくも、ぼたんはどこ吹く風だ。あかんべえと舌を出してはやり返す。
そしてひとしきり話が終わったところで、案の定であった。
開き直った弥次郎が左馬之助が危惧していたことを口にしては、「やいやい」と逆切れにてお約束の陳腐な台詞を口にしたもので、藤士郎は内心でげんなりする。
さしもの温厚な松之助も目元を険しくし、お梅はついに神経が耐えかねてくらりと卒倒した。
これを慌てて支えながら、ぼたんが「あんたって、最低のくず野郎だわ!」とぷりぷり怒れば、弥次郎は顔を歪め憎たらしい笑みを浮かべる。
左馬之助のこめかみには青筋が浮かび、藤士郎も苦虫を噛んだような表情となる。
事件は未然に防いだ。勝ったはずなのに、すっきりしない。なんともいえないやるせなさが漂う。
悪党の哄笑が耳にうるさい。
そんな厭な雰囲気のさなかのことであった。
のそのそとでっぷり猫が動き出す。これまで部屋の隅でおとなしく丸まっていたのだが、立ち上がるなり大きく欠伸をしては、背を反らし体をのばす。向かったのは弥次郎のところである。
あまりにも場違いな存在と動きに、みなが呆けて見ていたら、やにわに銅鑼が弥次郎の顔を爪でがりっと引っ掻いた。
「ぎゃっ!」
おでこから口元へとかけて、立てに三本の朱線が走る。
いきなりのことに驚く弥次郎、乱雑に振り払おうとする腕を銅鑼はひょいとかわして、今度はがぶりとその手に牙を突き立てる。
猫の牙は犬ほど強力ではないが、とても鋭い。噛まれるとまるで針か釘でも刺されたかのような痛みがある。
これに襲われた弥次郎は先ほどの威勢もどこへやら、ひいひい情けない声をあげては逃げ惑うばかりであった。
たまらず助けを求める弥次郎に対して、気を失っているお梅以外の全員がさっと顔をそらしては知らんぷり。
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