225 / 483
其の二百二十五 瓢箪から駒
しおりを挟む他人の目をしのんで、後妻のお梅と流しの料理人である弥次郎が蔵で会っている。
こっそり様子を伺っていたら、ぼそぼそと聞こえてきたのは物騒な話であった。
松之助を殺す。
目的は竹太郎に紅楼の跡を継がせるためだ。
とんでもないたくらみを耳にしてしまい、ぼたんはぎょっ!
ただし、よくよく聞き耳を立ててみると、なにやらふたりの雰囲気がおかしい……。
「なにを遠慮することがある。父親の目があるうちは従順なふりをして、それがはずれたとたんに……なんてのは、よくある話だ。やられる前にやらなきゃ、あとで後悔しても遅いんだぜ」
「そんなことないわ。松之助さんは本当にいい人で……」
「はん! だからこそ逆に嘘くせえってんだ。いつもにこにこして、だれにも親切で丁寧? そんなのありえねえよ。坊主どもですらもが平気で嘘をつくというのに、生き菩薩じゃあるまいし。ふりだよ、ふり。ああやって孝行息子を演じては、周囲の目をあざむいていやがるんだ」
「でも……」
「でももへちまもねえよ。ぐずぐずしていたら、取り返しのつかないことになるぞ! いいのか? 一文無しで放り出されて竹太郎と路頭に迷っても」
「………………」
いかにもおためごかしな物言いにて、熱心に話しかけては弥次郎が悪だくみをそそのかしている。
でも謀り事をもちかけられているお梅の方は、尻込みしておりあまり乗り気じゃないようであった。
このふたり、以前からの顔見知りのようだが、はて?
ぼたんは内心で首を傾げている。
道ならぬ男女の仲、といった甘く退廃した感じがまるでしない。では元恋人同士かといえば、そういったのともちがう気がする。しいてあげれば、幼馴染みとか。
おおかた弥次郎はお梅を焚きつけて、のちのちに甘い汁でも吸おうとの魂胆であろう。
にしても、厭らしい男である。腹を痛めた我が子が可愛い母親の心情につけ込んで、奸計を囁いては、悪の道に引きずり込もうとするだなんて。
弥次郎とお梅が蔵にいたのは、ほんのちょんの間のことであった。あまり長居をすれば周囲に気取られることを用心してのことであろう。
ふたりがいなくなってから、物陰よりあらわれたぼたんはすっかり困り顔となる。
「とんでもない話を聞いてしまったわ。お梅さま、あの様子だとまだ決心がつきかねているみたいだけど迷いがある。じきに押し切られそうな気がする」
ならば一刻もはやく主人に報せるべきではあるが、証拠がない。
それに自分と彼らの立場の差もある。
流しとはいえ腕を請われて厨房に入っている板前と、紅楼の後妻と、田舎出のおぼこ娘と。
周囲がどちらを信用するのかなんて考えるまでもない。弥次郎らにとぼけられたらそれまでだ。店の者らが自分に対して、内心でおもしろくないと思っているのは承知している。相談できる味方はいない。
そして孤立無援のような状況にて騒ぎ立てれば、自分はきっと店を追い出されるのにちがいない。
さりとて見て見ぬふりをするのもしのびなく……。
思い悩んだ末に、ぼたんがとった手段が投げ文であった。
べつに信じてもらえなくてもいい。ただ、店の周辺を岡っ引きがうろついているとわかれば、悪党への牽制になると考えたからだ。
◇
話を聞き終えた藤士郎は、ぼたんには引き続きお梅たちの動向にそれとなく目を光らせておくように頼んで、別れた。
「にしても、こういうのを瓢箪(ひょうたん)から駒っていうのかねえ、銅鑼」
「そうだな藤士郎、まさか本当にこんなべたな悪だくみが起こっていようとは……」
はじめて松之助の生霊を見かけたときに、幽霊だとかんちがいをして「ひょっとしたら跡目の座を巡って、義母の手にかかって」なんぞと、どろどろした跡目争いを妄想したものであったが、それがよもやにて藤士郎たちはとても驚いた。
1
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる