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其の二百二十四 ぼたん
しおりを挟む投げ文を出した若い娘、名をぼたんといい、妻籠宿(つまごめじゅく)の出身にて歳はまだ十一だという。家の事情により、縁を頼って紅楼に奉公にあがっているという。
信濃国の妻籠宿といえば、中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目で、交通の要所ゆえに、旅人の流れが引きも切らない。わざわざ江戸まで出稼ぎにこずとも、いくらでも生活(たつき)が立ちそうなものなのに。
ぼたんという娘、見た目こそは地味で、顔も煤けてくすんでおり、いかにも野暮ったく、まだ江戸の水に馴染んでいそうにはないけれども……。
いざ話をしてみればしっかりとこちらの目を見ては、ぽん、ぽん、ぽん、と要領よく喋る。若い娘特有の勢い込んでの空回りみたいな会話がなくて、言いたいことがすぐに伝わってくる。口から出る言葉にほとんど無駄がない。
ひょっとしたら、この娘……じつはかなり賢いのではなかろうか?
と、藤士郎は娘とのやりとりにて判断した。
◇
ぼたんは、真面目さと持ち前の負けん気、あとは無駄を嫌う気質もあってか、てきぱきと与えられた仕事をこなす。
その働きぶりが早々に主人の目に留まって、雑用係から奥女中の見習いとなり、竹太郎の子守りを任されるまでの信を得た。
おかげで主人一家とはわりと近い関係になれたものの、反面、周囲からの当たりはきつくなった。傍目には異例の出世にて、「うまく取り入りやがって」と誤解されて妬まれたからだ。
そのせいで自分を見る目がいっそう厳しくなり、ほんの些細な失敗もあげつらわれるもので、かえって気苦労が増えた。
そして名店の奥深くへと身を置くがゆえに、これまでは見えなかったことが目につくようになり、聞きたくなかったことが耳に入るようにもなった。
紅楼の主人一家、家族仲はいい。
主人は長子の松之助に厳しいものの、松之助はくじけることなく奮起している。
後妻のお梅と、腹ちがいの弟の竹太郎との関係も良好だ。
松之助はお梅を母として立てており、お梅もまた松之助をないがしろにはしない。
世間によくある継子や継母の揉め事とは無縁なのが、紅楼の主人一家であった。
これをぼたんは「ちょっと危ういなぁ」とみていた。
主人一家はよくも悪くも松之助が要(かなめ)となって、いい感じにまとまっている。
でも、それは裏を返せば、松之助に何かがあったら、瓦解する関係ということ。彼ひとりにかかる負担が大きすぎる。なにかのひょうしにぽきりと折れたら、いっきに崩れるのではなかろうか。
そんな矢先のことであった。
いつものようにぼたんが竹太郎を背負ってあやしながら、中庭を箒ではいていたら、蔵の方へと向かう男をみかけた。
厨房に勤める料理人のうちのひとりだ。あちこち渡り歩いている流しの料理人ながらも、腕がいいというので雇われている弥次郎という板前だ。紅楼には諸藩のお客様方が訪れるので、江戸前の味だけを出せばいいというわけにはいかない。いろんな味付けや料理が求められる。ゆえに外からも定期的に新鮮な風を呼び込む必要がある。それが弥次郎であった。
だがしかし、ぼたんはこの男があまり好きではない。やたらと料理の腕を鼻にかけており、上には露骨にへいこらするくせに、下にはやたらと威張り散らすからだ。なによりあの目つきが気に入らない。
おおかた仕込みに必要な乾物でもとりに行ったのであろうと、ぼたんはさして気にもとめていなかったのだが、すぐに「あれ?」と首をひねった。
弥次郎の性格を考えれば、下の者を蹴飛ばしてとりに行かせるはずだからだ。
かとおもえば、これに遅れることわずか。
今度はお梅が姿をあらわしたもので、ぼたんはとっさに石灯籠の陰に隠れた。
様子を伺っていると、お梅は周囲を気にしながら蔵の方へと行くではないか。
流しの料理人と若い後妻がそろって蔵の中に消えた。
よもや蔵で逢引!
訝しんだぼたんは、こっそり探ることに決めた。
けれども、いざ聞き耳を立ててみて、たいそう驚いた。
なぜなら聞こえてきたのは、松之助を殺害するという物騒な話であったからだ。
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