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其の二百二十一 投げ文
しおりを挟むはき溜めの空壺を知念寺に持ち込んだところ、壺をひと目するなり「ほうほう」と巌然は感心した様子にて、ためらうことなく封を開けた。
「ふむ、たしかに見た目は空だな。だが詰まっておるわ。これは危うい。壊さずに持ってきたのは慧眼であった。でかしたぞ、藤士郎」
めったに褒めることがない巌然が褒めた!
それが逆に不気味である。
「この壺……もしも叩き割っていたらどうなっていましたか?」
藤士郎がおずおず尋ねれば、巌然はそれには答えず、ただにやりと口角を歪めるばかり。
これに藤士郎は顔を引きつらせて、銅鑼はしゃーっと毛を逆立てていた。
なお空壺は巌然が預かるとのこと。なんでも「これはこれで使い道がある」とのことであった。
ゆえに壺は巌然にまかせて、藤士郎たちは松之助の方に専念することにしたのだけれども……。
◇
だいの男の口に丸めた紙人形を突っ込む。
しかもそれをごくんと呑み込ませる。
この難題を前にして、藤士郎と銅鑼はいろいろと知恵を出し合ってみたものの、どれもぴんとこない。
もし松之助が夜な夜な遊び歩くような輩ならば、ことは簡単であった。酔っ払っているところをちょちょいという具合に。だが、彼が店から出るのは用事があるときだけ、それも用事が済めばさっさと帰ってしまう。いつも供を連れているし、寄り道なんぞはしやしない。情人のところに出かけることもない。
ほとんど店中心の生活にて、下手な坊主よりもよほど規律正しく生きている。
ならば夜中にこっそり店に忍び込んで……。
とも考えたが、さすがはやんごとない方々が訪れる名店だけあって、守りが固い。それに店が終われば、裏方たちが一斉に部屋の掃除やら、料理の下拵えなどに入るもので、つねに誰かが動いており、紅楼はほとんど不夜城と化している。完全に灯りが落ちるのは、それこそ年末年始ぐらいではなかろうか。
「まいったね」
「まいったな」
でっぷり猫の銅鑼を抱えた藤士郎は途方に暮れつつ、それでも松之助の監視を続けた。
忍耐強くつけ狙っていれば、いずれ機会が巡ってくるかもという淡い期待にて。
でも見張っていること三日目のことである。
「下っ引きから妙な野郎が紅楼の周辺をうろついていると報せを受けて来てみれば、おまえは何をしていやがるんだ、藤士郎?」
うしろからいきなり名前を呼ばれて、あわてて振り返るとそこにいたのは南町奉行所の定廻り同心をしている近藤左馬之助(こんどうさまのすけ)であった。
有無を言わさず、近くの番屋に引っ立てられた藤士郎たち。
とはいえ捕縛されたわけではない。
いちおうぬるい白湯でもてなしを受けた。
「で、いったい何を探っている?」
左馬之助からぎろりとにらまれたもので、藤士郎はかいつまんで事情を説明した。
かつて八王子の狐騒動のおりに、危うく命を落としかけた左馬之助は、巌然の法力にて救われたことがある。
以来、それなりに怪異方面への理解を示すようになっていたもので、「なるほど、生霊ねえ」とうなづきつつも、ちょっと呆れ顔を浮かべていた。
「やれやれ、おまえは……またぞろ妙なことに首を突っ込んでいるな」
「まぁ、成り行きだよ。知ってしまったからには見過ごすわけにもいかないし。それよりも左馬之助こそ、どうして紅楼を下っ引きに見張らせていたのさ」
「あー、うん。じつはなぁ……」
ことの起こりは一通の投げ文である。
近藤左馬之助が受け持つ地域の番所に投げ込まれたのだが、そこにはこう書かれてあったという。
『料理屋紅楼の若旦那が危ない。命を狙われている。どうか助けてあげてください』
文は拙い女の文字で書かれていたという。
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