狐侍こんこんちき

月芝

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其の二百十八 片葉の葦

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 空壺と若い男の幽霊についての謎を解いてみれば、新たな謎が浮上した。
 どうにも気になった藤士郎と銅鑼は、夜が明けるのを待ってから東両国の駒留橋(こまどめばし)へと向かうことにする。
 隅田川からの入り堀にかかる橋を渡る途中のこと、藤士郎に抱かれている銅鑼が「駒留橋といえば、片葉の葦だよなぁ」とぽつり。

 本所七不思議というのがある。
 そのうちのひとつが片葉の葦(あし)という怪談だ。
 お駒という美しい娘に懸想した留蔵(とめぞう)が、しつこく言い寄るもお駒はなかなか首を縦に振らない。そして恋心をこじらせた留蔵は、ついに暴挙にでた。刃物を手に娘を追いかけ回し、ついには駒留橋にて捕まえ、その片手片足を切り落とし殺しただけでは飽き足らず、その身を堀に投げ落とした。
 以降、駒留橋の周辺では片葉の葦しか生えなくなったという。

「きっと留蔵という男の本性を見抜いていたからこそ、相手にしなかったんだろうけど、そんなのに見込まれたお駒さんもとんだ災難だ。でもこの怪談って、よくよく考えてみたら、かなりこじつけがすぎるような……」
「ははは、それを言っちゃあおしまいよ。突っ込むだけ野暮ってもんだ。適当に受け流してやれ」

 藤士郎が正論を吐けば、銅鑼がこれを笑う。
 すると脇を通り過ぎた女ふたり連れが、胡乱そうな目を向けてきたもので、藤士郎たちはあわてて口をつぐんで、素知らぬふりをした。

  ◇

 駒留橋まで足を運んだのは、もちろん紅楼の様子を探るためである。
 とはいえ相手は名の通った高級料理屋だ。でっぷり猫を連れた貧乏道場主では、おいそれと暖簾をくぐれない。

「さて、いざやってきたものの、どうしたものかしらん」

 少し離れた木陰から店の表を眺めつつ、藤士郎たちが思案していると、からりと音がして格子戸が開いた。奥から姿をみせた若い男を目にして藤士郎と銅鑼は「あっ!」
 箒(ほうき)を手にした松之助であった。
 しかも、ちゃんと足も生えている。
 藤士郎たちは驚くあまりつい声を発してしまったもので、松之助に気づかれてしまった。
 だが、松之助は少し訝しげな表情を浮かべて藤士郎たちをちらりとしたのみで、すぐに掃除を始めた。
 このこともまた藤士郎たちを困惑させた。
 松之助から向けられたあの目……。あれはまるで見知らぬ相手に向けるものであったからだ。
 とぼけている風ではない。
 藤士郎たちのことを忘れている? いや、それ以前に松之助はちゃんと生きているではないか。では、昨夜、家の前の雑木林で話込んだ相手は、どこの誰だというのか?

「ねえ、銅鑼、紅楼って他にもあったかな」
「さぁ、少なくともおれは知らんぞ」

 てっきり跡目を巡って後妻のお梅が、邪魔な松之助を殺害したのかと考えていた藤士郎たちであったが、その考えはどうやらちがっていたらしい。
 わけがわからず、藤士郎がうんうん唸っていたら、銅鑼が「へっ」と鼻を鳴らす。

「あれこれ悩んでいても埒が明かん。ここはその道の玄人に頼るのが手っ取り早いだろう」

 その道の玄人とは、知念寺の巌然和尚のことである。
 少々がめついところはあるが、妖退治の高僧として名を馳せている。
 和尚に相談することに決めた藤士郎たちは、さっそく知念寺を訪ねることにした。

  ◇

 かくかくしかじか……。
 藤士郎から一連のことについて話を聞いた巌然は、とたんにむずかしい顔をして「そいつは生霊かもしれんな」と言った。

 生霊とは、生きている人間の肉体から霊魂だけが飛び出して、うろちょろすること。
 巌然によれば、それ自体はさほど珍しい現象ではないという。徳と修行を積んだ僧や修験者の中には、自在に霊魂を肉体から出し入れできるようになる者もいるし、重篤な事故や病気にかかったのをきっかけとして、肉体と魂の結びつきが弱まって、霊魂が外に出てしまうことも、ままある。
 だというのに巌然が深刻そうに眉間にしわを刻んでいたのには、こんな理由があったからだ。

「気になるのが、店にいた松之助がおまえたちのことを知らなかったという点だ。ひょっとしたら、空壺の方にあらわれたのは松之助の霊魂の片割れなのかもしれん。だとしたら、少々まずいことになるぞ」

 巌然いわく、きちんと修行もせずに肉体を離れた霊魂というのは、とても無防備にて危うい状況である。のみならず本来一つであったものが二つに分かれていることで、自覚がないだけで霊魂には相当な負担がかかっている。いまはまだ表立っていないが、いずれは肉体にもその影響が濃くあらわれる。早く手を打たねば本体である松之助は、きっと寝込むことになり、やがては痩せ細り、衰弱して死んでしまうだろうとのことであった。


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