218 / 483
其の二百十八 片葉の葦
しおりを挟む空壺と若い男の幽霊についての謎を解いてみれば、新たな謎が浮上した。
どうにも気になった藤士郎と銅鑼は、夜が明けるのを待ってから東両国の駒留橋(こまどめばし)へと向かうことにする。
隅田川からの入り堀にかかる橋を渡る途中のこと、藤士郎に抱かれている銅鑼が「駒留橋といえば、片葉の葦だよなぁ」とぽつり。
本所七不思議というのがある。
そのうちのひとつが片葉の葦(あし)という怪談だ。
お駒という美しい娘に懸想した留蔵(とめぞう)が、しつこく言い寄るもお駒はなかなか首を縦に振らない。そして恋心をこじらせた留蔵は、ついに暴挙にでた。刃物を手に娘を追いかけ回し、ついには駒留橋にて捕まえ、その片手片足を切り落とし殺しただけでは飽き足らず、その身を堀に投げ落とした。
以降、駒留橋の周辺では片葉の葦しか生えなくなったという。
「きっと留蔵という男の本性を見抜いていたからこそ、相手にしなかったんだろうけど、そんなのに見込まれたお駒さんもとんだ災難だ。でもこの怪談って、よくよく考えてみたら、かなりこじつけがすぎるような……」
「ははは、それを言っちゃあおしまいよ。突っ込むだけ野暮ってもんだ。適当に受け流してやれ」
藤士郎が正論を吐けば、銅鑼がこれを笑う。
すると脇を通り過ぎた女ふたり連れが、胡乱そうな目を向けてきたもので、藤士郎たちはあわてて口をつぐんで、素知らぬふりをした。
◇
駒留橋まで足を運んだのは、もちろん紅楼の様子を探るためである。
とはいえ相手は名の通った高級料理屋だ。でっぷり猫を連れた貧乏道場主では、おいそれと暖簾をくぐれない。
「さて、いざやってきたものの、どうしたものかしらん」
少し離れた木陰から店の表を眺めつつ、藤士郎たちが思案していると、からりと音がして格子戸が開いた。奥から姿をみせた若い男を目にして藤士郎と銅鑼は「あっ!」
箒(ほうき)を手にした松之助であった。
しかも、ちゃんと足も生えている。
藤士郎たちは驚くあまりつい声を発してしまったもので、松之助に気づかれてしまった。
だが、松之助は少し訝しげな表情を浮かべて藤士郎たちをちらりとしたのみで、すぐに掃除を始めた。
このこともまた藤士郎たちを困惑させた。
松之助から向けられたあの目……。あれはまるで見知らぬ相手に向けるものであったからだ。
とぼけている風ではない。
藤士郎たちのことを忘れている? いや、それ以前に松之助はちゃんと生きているではないか。では、昨夜、家の前の雑木林で話込んだ相手は、どこの誰だというのか?
「ねえ、銅鑼、紅楼って他にもあったかな」
「さぁ、少なくともおれは知らんぞ」
てっきり跡目を巡って後妻のお梅が、邪魔な松之助を殺害したのかと考えていた藤士郎たちであったが、その考えはどうやらちがっていたらしい。
わけがわからず、藤士郎がうんうん唸っていたら、銅鑼が「へっ」と鼻を鳴らす。
「あれこれ悩んでいても埒が明かん。ここはその道の玄人に頼るのが手っ取り早いだろう」
その道の玄人とは、知念寺の巌然和尚のことである。
少々がめついところはあるが、妖退治の高僧として名を馳せている。
和尚に相談することに決めた藤士郎たちは、さっそく知念寺を訪ねることにした。
◇
かくかくしかじか……。
藤士郎から一連のことについて話を聞いた巌然は、とたんにむずかしい顔をして「そいつは生霊かもしれんな」と言った。
生霊とは、生きている人間の肉体から霊魂だけが飛び出して、うろちょろすること。
巌然によれば、それ自体はさほど珍しい現象ではないという。徳と修行を積んだ僧や修験者の中には、自在に霊魂を肉体から出し入れできるようになる者もいるし、重篤な事故や病気にかかったのをきっかけとして、肉体と魂の結びつきが弱まって、霊魂が外に出てしまうことも、ままある。
だというのに巌然が深刻そうに眉間にしわを刻んでいたのには、こんな理由があったからだ。
「気になるのが、店にいた松之助がおまえたちのことを知らなかったという点だ。ひょっとしたら、空壺の方にあらわれたのは松之助の霊魂の片割れなのかもしれん。だとしたら、少々まずいことになるぞ」
巌然いわく、きちんと修行もせずに肉体を離れた霊魂というのは、とても無防備にて危うい状況である。のみならず本来一つであったものが二つに分かれていることで、自覚がないだけで霊魂には相当な負担がかかっている。いまはまだ表立っていないが、いずれは肉体にもその影響が濃くあらわれる。早く手を打たねば本体である松之助は、きっと寝込むことになり、やがては痩せ細り、衰弱して死んでしまうだろうとのことであった。
2
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治
月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。
なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。
そんな長屋の差配の孫娘お七。
なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。
徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、
「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。
ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。
ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
野槌は村を包囲する
川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。
村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
御様御用、白雪
月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。
首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。
人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。
それは剣の道にあらず。
剣術にあらず。
しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。
まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。
脈々と受け継がれた狂気の血と技。
その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、
ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。
斬って、斬って、斬って。
ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。
幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。
そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。
あったのは斬る者と斬られる者。
ただそれだけ。
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
高槻鈍牛
月芝
歴史・時代
群雄割拠がひしめき合う戦国乱世の時代。
表舞台の主役が武士ならば、裏舞台の主役は忍びたち。
数多の戦いの果てに、多くの命が露と消えていく。
そんな世にあって、いちおうは忍びということになっているけれども、実力はまるでない集団がいた。
あまりのへっぽこぶりにて、誰にも相手にされなかったがゆえに、
荒海のごとく乱れる世にあって、わりとのんびりと過ごしてこれたのは運ゆえか、それとも……。
京から西国へと通じる玄関口。
高槻という地の片隅にて、こっそり住んでいた芝生一族。
あるとき、酒に酔った頭領が部下に命じたのは、とんでもないこと!
「信長の首をとってこい」
酒の上での戯言。
なのにこれを真に受けた青年。
とりあえず天下人のお膝元である安土へと旅立つ。
ざんばら髪にて六尺を超える若者の名は芝生仁胡。
何をするにも他の人より一拍ほど間があくもので、ついたあだ名が鈍牛。
気はやさしくて力持ち。
真面目な性格にて、頭領の面目を考えての行動。
いちおう行くだけ行ったけれども駄目だったという体を装う予定。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
各地の忍び集団から選りすぐりの化け物らが送り込まれ、魔都と化しつつある安土の地。
そんな場所にのこのこと乗り込んでしまった鈍牛。
なんの因果か星の巡りか、次々と難事に巻き込まれるはめに!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる